平助の母親
□19.
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「原田…?」
俺がその名を呟くと千鶴はハッとして口許を押さえる。
「あ、あの…、名前さんの職場の上司の方で…。平助くんとは初対面なのに、なぜかとても仲良くなっちゃって…。
平助くんも原田さんにだったら名前さんを任せても良いなんて言い出して…。」
「………。」
「連休中、名前さんをキャンプにつれていくことを許可してほしいんだってわざわざ平助君に頭を下げに来て…。
その様子が、なんだかわたしにはお嫁にください!っていう挨拶みたいに思えてしまって」
と眉を下げて笑う。
「………。」
原田って……、あいつか。
千鶴の言う原田と言う男が、先日近藤さんと行った名前の勤める車屋の営業マン、
近藤さんの担当でもあるあのチャラついた男だと結び付く。
「でも、そんな考え方、ただのわたしの妄想ですよね。何も心配することなんてないんですよね!そう思ってたんですけど…、
わたし、名前さんの事は小さな頃から見てたから、男の人を家につれてきたり、一緒にいたりするところなんて見たことなくて、
あんな風に名前さんや平助くんの事を大切に扱うような人、初めてで……。
この人もしかしたらって思っちゃって。」
困ったような笑顔で照れ笑いをする千鶴。
「……。お前は、」
そんな千鶴から視線を部員たちの方へ向けさらに千鶴へ言葉をかける。
そんな俺の様子を見るように千鶴は俺の顔をじっと見つめる。
「お前は、平助の母親が、もし再婚するって言い出したら、どうする」
俺の口からそんな問いかけが出てくるとは信じられないといったように目を見開く千鶴。
「え……、っと……。それは……」
どうするといわれても困るよな。
俺は自分が出した問いかけなのにフッと笑ってしまう。
「悪い、聞き方を間違えたな。たとえば、だ。金銭面での話をすると、
例えばこの先、苗字だけの収入だけではどうにも生活が回らないくらい困った状況に陥るかもしれない。それを危惧して苗字は昼も夜も関係なく働こうと必死になってなんとかしようとする。」
話続ける俺を小さく相づちを打ちながら見つめる千鶴。
「平助が結婚して家庭をもって一人前になれば必ず一人で生活していかなきゃならねえようになる。
そんな人生を送るか、子持ちでもいい。どんな家庭の事情があっても苗字に惚れて、苗字を取り巻くすべての事を愛して守ってやれるっていう男が現れて苗字と一生を共にするって誓えるやつと人生を送るのがいいか…。
お前なら苗字にどちらの人生を選んでほしい?」
千鶴の顔へ視線を戻す。
すると目を大きく見開いたまま瞳を揺らす視線とぶつかる。
どうだ?と首をかしげるそぶりで答えを促す。
「そ、それは…。やっぱり、わたしだって名前さんには素敵な人生を送ってもらいたいって思ってます。けど…」
一度そこで視線をそらし閉口するが、なにか思い付いたことがあったのか、すぐにまた俺に視線を合わせる。
「………。そうですよね。わたしがまだちゃんと原田さんがどういう人なのか知らないから、こんなに不安になってしまうんですよね。
平助君とはすぐに気があったみたいだし、原田さんにならって平助くんも認めてるくらいですし…」
「もし、この先原田さんが本当に名前さんとお付き合いするようになったら、わたしは喜んで祝福できるようにならなきゃいけませんよね。」
俺から視線をはずし、部員たちが雑巾がけをする方へまっすぐ視線を放つ。
「ほんとはわかってるんです。こんなことわたしが心配するようなことじゃないって。」
「名前さんが選ぶ人生なんだって」
そういって力強く頷いて俺を見上げる。
それに俺も無言で頷いて見せるが、そんな俺をみて千鶴はまた眉を下げて情けない顔をする。
「だけどわたしは名前さんの相手は土方先生だったらいいなって、思ったんですけどね!」
「なっ!?」
その台詞に俺は不覚にも平静を装うことができず弾けたようにどもってしまう。
そんな俺にはお構いなしで「これもわたしが言うことじゃないんですけどね。」
と言い放ち、清掃が終わってそれぞれこちらへ向かってそぞろ歩いてくる部員たちの下へおしぼりを配りに飛び出していく。
「な……。何いってやがる、あいつは…。」
部員の中へと消えていく千鶴の姿を目で追いつつ、千鶴の言った意味を考える。
千鶴の言葉は単に千鶴の願望か、
それともあの日の俺の様子を見ての発言か……。
どちらにしても、俺と名前は教師と保護者だ。
それ以上でもそれ以下でもないと普通の俺なら何も迷うことはないのだが…。
あの日、あいつの家で感じた感情は、紛れもなくこの世間一般の常識から外れた感情だった。
………。
俺が迷うなんざらしくもねぇ。
この感情がなんなのか…。
このまま知らないままでいれば迷うことなんてねぇはずなのに、
俺は自ら迷う道を選ぼうとしている…。
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