平助の母親
□13.
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しばしの沈黙の後、俺は自分の行動にらしからぬ思いを抱きつつも、今の状況に後悔や戸惑いはなかった。
「………。仕事は、大変か?」
ポツリと呟くように聞く。
いま気がついたが、俺は校舎を出てから、何故か保護者に対するコトバではなく、気の置けない仲の連中や生徒たちに話すような感覚で話しかけていた。
それに対して特別驚くようでも、失礼な!と怒る様子もない苗字。
俺の呟きにこちらに顔を向けると、
「いえ、仕事は全然苦になりません。むしろ楽しいくらいです。」
と俺の鞄を胸に抱えて答える。
そんな様子を横目でチラッと見てフッと息を吐く。
「だろうな。昨日のあんたは活き活きしていた」
そういうと一瞬俺の横顔を見たまま動きが止まる。
「だが、今のあんたは昨日とはまるで別人だ」
そこまで言うとこちらに向けていた顔を鞄に向けて視線を落とす。
「…。わたし、自信がないんです。」
ポツリ、ポツリと語りだす。
「今までは私の父母が家にいて、平助が学校から帰ってくる時間には必ず母が家で迎えてくれていて…。私もそれに甘えて母に任せっきりで外で働いて…。」
ギュッと鞄を抱き締める。
「父も母も立て続けにいなくなって、平助にはさみしい思いをさせて、でもその割りに私の収入はとてもじゃないけど満足できるほどのものじゃなくて…」
「母親としても、一家の大黒柱としても両方とも中途半端で、平助の親としてほんとはもっと学校でのことや成績の事も気に掛けてあげなきゃならないのに、」
「それがうまくできなくて…」
そういったときにポツっと鞄の上に雫が落ちた。
赤信号で止まる。
「わたし、平助と一緒に過ごす時間を大事にしたいんです。子離れできてないって思われるかも知れないけれど、休みの日も合わないのでほんとに朝と夜しか顔を合わせられなくて…。会話も夜に少ししかできなくて。平助は男の子だから、きっとそのうち私との会話なんてなくなったってなんとも思わなくなるだろうけど…」
「やっぱり、そんなのわたし、さみしいな」
顔をこちらに向け眉を下げて泣き笑いのような笑顔を見せた。
「!」
思わぬ表情を見せられ心臓が脈打つ。
唐突にドキドキと音を刻む心臓がうるさい。
こんな、心臓をギュッと掴まれたような感覚は初めてだった。
「あっ!」
そんな俺の心境などお構いなしに、いきなり声を上げる苗字。
「!どっ、どうした!?」
俺らしくもなくどもってしまう。
苗字に視線を向けるとパーカーの袖を伸ばして鞄を擦っていた。
「………。」
「………。」
黙ったまま俺に視線を合わせる。
「………。」
「…………。」
……………。
「えへ。なんでもなぃです。」
そういってまたギュッと鞄を抱き締めた。
さっき泣いてたヤツがもう笑ってやがる…。
フッ俺からも笑みがこぼれる。
平助と似ているようで似てないような、雰囲気の柔らかいこいつから
何故か目が離せなくなる…。
昨日のショールームでの自信に満ち溢れキラキラ輝いていた苗字。
今日の教室に現れた時の平助とそっくりなしぐさをする苗字。
すごすごと俺のうでの下を通ったり、顔面蒼白で燃え尽きたり、
子育てや家庭の事情に思い悩み涙を溢したり…。
さっきの悪戯を隠すような無邪気な仕草だったり。
たった二日でこんなにもいろんな顔を見せられ、心臓を鷲掴みされて…。
いままでこんな風にもっと知りたいと興味を持つ女に会った覚えがねぇ。
もっといろんな顔を見たい。
俺にしか見せない顔を…。
さみしいなんて言ってられないくらいずっと側にいてやりたいと、
何故か無性にこのまま家に帰したくないと思ってしまった。