骨と花冠

□guilt.1
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花さえ抱けない魂に、せめて手向けの冠を。










分厚い雲で覆われた夜空と、音もなく降り続く霙雪が浮世を包む。

頭に被った笠は霙の水分を吸ったせいで少々重たい。

吐き出した息はあっという間に白く染まり、歩けば歩くほど不快指数はじわじわと上がった。

客人を迎えるでもなく酒を嗜み、三味線を弾き、一人で障子の外を眺めた晩。

宵の楽しみを気分よく味わったばかりなのに、状況はあっさりと変わってしまった。

孤独は感覚を鋭くする。

小料理屋から船へと戻る途中で察したのは、俺の後を付け回す連中の気配だ。

女なら弄ぶ甲斐もあるが、大した思想も持たない幕府役人の男共が相手だと、残された道は二つしかない。

連中を撒くか、斬るか。

いずれにしても似たようなものだが、今夜は霙雪だ。

この天気で激しく動けば着物の裾も汚れてしまう。

人を斬れば返り血を浴び、人を撒けば足に泥がつく。

どのみち何かは汚れるようにできている、それが世の常だ。

歩幅も歩く速さも変えないまま、どちらにしようかと僅かな時間で考えれば、視界の隅に鳥居が映った。

天気のせいかくすんで見える朱色は現実味がなく、怪しげに闇の中から浮かび上がっている。

賑やかな通りから一本奥の道へ入り込むと途端に別の顔を見せる場所、かぶき町。

歓楽街の裏には石段があり、その先は十分な明かりもなく、物音もしない。

ましてや雪が全ての音を奪い去っていて、鼓膜に残るのは凛とした静寂だけだ。

足元が滑るのも気にせず、躊躇いなく石段を登り切ると、そこには古びた神社があった。

正月の名残だろうか、いくつか並んだ提灯の火は消えている。

開け放たれた境内からは御神体と謳われる丸鏡が、これから起こる惨劇を物言わず見据えていた。

御神体、神が宿るもの。

神聖さと紙一重の不気味さを想像すれば、背中に嫌な寒気が走る。

やがて足音と呼吸がばらばらと聞こえ始めた。

俺を尾行していた連中が後を追ってきたのだろう。

くだらない茶番にこの手で終止符を打つ、それが連中に対する俺なりの心遣いだ。

腰の愛刀は久しぶりに血を欲していたし、相手は数人しかいない。

遊びを嗜む気軽さで、神社の境内を背にゆっくりと抜刀する。

まだ石段を登り切っていない連中の姿が見えた瞬間が勝負の決め手だ。

構えた刀身は雪の光を浴びて白々と光り、獲物を捕らえるべく細い筋を作り出している。

深呼吸をしてから目を開ければ、そこにはちょうど俺の姿を見つけた連中がいた。

片目で刀を振るうのは容易くないが、慣れてしまえば狭い視野でも相手の動きは十分わかる。

事のきっかけを探していたであろう男が、気色悪いほど丁寧な口調で切り出した。

「過激派攘夷志士、高杉晋助殿とお見受けする」

「…間違っちゃいねェな」

「倒幕を風潮して、悪戯に国政を乱しているのはオマエか」

「業の深い男だ、」

「許せん!」

相槌を打っただけなのに、よくもまあ次から次へと話が進むものだと感心しつつ連中を一瞥する。

これで全員なら、さほど手こずらないだろう。

「許しなんざ乞わねェよ、」

吐き捨てた言葉は、双方が刀を手にするきっかけとなった。

笠を頭から外し、雪化粧をした砂利の上へと投げ捨てる。

滑らかに斬り、鋭く突く。

刀はしなやかに扱うべきだと教えてくれた師は、もうこの世に存在しない。

本能を剥き出しにして刀を交えれば、時折紅く生暖かいものが顔や着物へと飛び散った。

一人、また一人と確実に急所を狙って捕らえていく。

いつしかその場から俺以外の生は消え果て、静けさがひっそりと辺りを包み込んだ。

殺しは神仏の前で行ってこそ相応しい。

柄にもなくそんな概念が頭の中をよぎり、堪えきれず鼻で笑ってしまった。

所詮何も成し得ない神に、己の力を見せつける。

どれだけ偶像を崇めようと、神は人を救わない。

刀を鞘に収めようと視線を落とし、ついでに丸鏡でも拝んでやろうかと境内を見たときだった。

凍てつくような視線を境内から感じ取り、思わず目を凝らしてしまう。

闇に浮かんだのは、白の小袖に真紅の袴。

長い黒髪を一つに束ね、足元の死体には見向きもしない。





俺以外に、人がいる。

尊さを醸し出しながらも、慈愛に欠けた目をした女が。





背負ったのは犯した罪か、虚構の罰か。

このときの俺はまだ、何も知る由がなかった。









   
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