SS(本)

□翌日の話
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「ウイルス。お前気持ち悪い」


トリップの隣。
熱心にコイルを見つめていたウイルスが顔を上げ、トリップを見る。
その顔にはいつもの涼しげな笑み、ではなく、緩みきった微笑みがひっついていた。

「気持ち悪い?俺が?」

そう言いながらまたすぐにコイルに視線を戻してしまったウイルスの顔には、やっぱり緩みきった微笑み。
長年傍にいるトリップだったが、こんなウイルスを見るのは初めてだった。
いや正確に言えば、こんなに長い間この緩みきった顔を見せているウイルスを見るのが初めてだった。
ウイルスがこの顔を見せる時は唯一、そう、蒼葉を見つけた瞬間だけだった。
それでもその笑みは、いつもの涼しげ…というか胡散臭い笑みにすぐ戻るというのに。

「きもいよ。なにその笑顔。すげぇきもい」

そこまで言われると流石に不服らしい。
ウイルスは軽く溜息を吐き眼鏡をかけなおす素振りをしながら、トリップを軽く睨み付けた。
どこか浮き気味だった声色も、普段のどこか冷めた色に戻っている。

「俺からしたら、トリップ。お前も十分気持ち悪いんだけど」
「ん?」
「ニヤニヤしてんの、俺だけだとでも思ってる?」
「っ、」

トリップがすぐに己のコイルを見つめた。
真っ黒の画面に映った、自分の顔。
確かに、口元が緩んでいる。
いやこれは普通の人からすれば気付かない程度のものなのだが、長くいるウイルスからしてみれば満面の笑みと言える程の微笑みだ。
普段無表情のトリップだからこそ、余計に目立つ。

「あー、これきもいな」
「だろ?」
「俺たち、きもいな」
「だねぇ」

そして数秒間そのまま見詰め合った後。
二人は更に気持ち悪く、ニッコリと笑いあった。

「でも、仕方ないよなぁ?」
「よね」

笑みを作る唇の間から漏れる、至福の溜息。

「ついに、あの蒼葉さんを手に入れちゃったんだからねぇ」
「あの蒼葉を俺たちが、ね」

まるで夢のような、確かな事実だ。
けれど二人はそれを改めて確かめるように、そのままどちらともなく互いの頬を捻り合って、痛いなと笑った。

「夢じゃないな」
「ああ、現実だな」

傍から見れば、これも充分気持ち悪い光景だった。
しかもこれを、二人は数十分置きに繰り返しているのだ。

「本当、最高のぼたもちでしたよ。蒼葉さん」

まるでそれに語りかけるように、再び、ウイルスの視線が己のコイルに戻っていく。
朝から、事あるごとにずっと眺めているコイル。
ウイルスがこんなにも熱心にコイルを眺めているなんて珍しい。
そう思いながらウイルスの肩越しにコイルを覗き込んだトリップの眉が、顰められた。

「おい、ウイルス」
「ん?」
「なにそれ。すげぇずるくね?」

ウイルスのコイルに映っていたのは、見覚えのありすぎるあの部屋の映像。
まさかの映像に、トリップが不満げな視線をウイルスを投げる。
ウイルスはいつものように、楽しげにフフッと笑った。

「だったら、お前のオールメイトにも録画機能をつけるべきだな」
「…帰ったらすぐにつけよ」

そしてそのまま、二人は画面に釘付けになった。
そこに映る、あの部屋のベッドの上で芋虫みたいに必死にもがいているもの。
昨日捕まえたばかりの、蒼葉だ。
目隠し口枷手枷足枷…出来る限りの拘束をして出てきた訳だが、予想通り逃げ出そうと必死になっている。
何をしたって、無駄なのに。
二人の口元がニヤリと吊り上がった。

しかし、そりゃあウイルスが熱心にコイルを見続ける訳だ。
こんな楽しいこと、何でもっと早く気付けなかったのかとトリップは悔しげにウイルスを睨み付けた。
でもすぐに、視線はコイルに、いや蒼葉に戻っていってしまう。

「必死で俺達から逃げようとしてる蒼葉さん、可愛いな」
「ああ、すげぇ可愛い。可哀想で惨めな蒼葉、かわいい」

見ているだけなのに、体の奥からゾクゾクしたものが駆け上がってくる。
慈しみと加虐心が煽られて交じり合って、喉が乾きを覚える。息が上がる。
部屋から抜け出そうと、必死にもがき続ける姿。
無駄なのに。絶対無理なのに。
その姿が惨めで哀れで可哀想で…愛しい。

「ダメだ。仕事だから一応ずっと我慢してたんだけど、もう無理だな」
「ああ、無理無理。絶対」

まだ蒼葉から離れて一時間だというのに、既にこれだ。
こんなんじゃ、仕事など手につくはずもない。
本当は蒼葉と一緒にいたくて仕方なかったのに、不審に思われないようにといつもの様にわざわざ出てきたのに。
でも、今は蒼葉の傍にいることが一番楽しいのだから仕方ない。
二人は開き直った爽やかな顔で、同時にくるりと体を反転させた。

「さて帰るか。蒼葉さんも寂しがってるだろうし」
「うん、寂しがらせちゃ蒼葉可哀想だ。すぐ帰ろ」

まるでスキップでもしだしそうな軽い足取りで、今来た道を二人で帰っていく。

「蒼葉さんに触りたくて、仕事なんかしてる場合じゃないよな」
「ないね。あー早く触りてぇ。つか、撫で回してぇ」
「溶けるまで?」
「溶けるまで」

楽しげにはしゃぐ二人の笑い声と会話は止まらない。
顔をまた緩ませて、二人の悪魔は愛しい生贄の待つ牢獄へと戻っていった。




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