夜鷹の恩返し
□挨拶
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自分は案内された部屋の前にいた。重厚な扉は金庫のように堅く閉ざされ、開かずの間のように感じた。
この向こうに月読様がいらっしゃる。
そう考えると、いくら人型をとったところで本来の身なりが良くなったわけでもない自分が、はたして月読様のような方にお目通しして良いものかと、今更になって後込みしてしまう。
案内してくださった女官の方は、静かに自分の前から消えた。女官が消えたと同時に、開くことのないと思われた扉が開いた。
精一杯下を向き、何も視界に入らないように目を堅く瞑った。そして、慎重に部屋に入る。中は薄暗く、埃っぽい匂いで満ちていた。床には何か固く重たいものが落ちていて、何度となく転びながら、決して瞼が開かないように強く瞑り、進んだ。
ふと、埃っぽさも薄暗さもなくなった。そこには、清らかな暖かさと引き締まった空気だけを感じた。
「誰だ?名を名乗れ」
稟とした御声に、聞こえないと分かっていながらなるべく不愉快になられないような声を出す。
「夜鷹でございます。」
「何故、名を名乗らない?何故、そんなに汚い?」
恥ずかし過ぎて、蒸発してしまいそうだった。汚い。それは、自分自身そのもののことだろうか?
「まあ、いい。何の用だ?」
幾分呆れられたような御声に、どうしたら良いか分からず、膝をつき額を床に付けてなるべく平ら区くなった。
「お前、何を…」
突然、後ろから強い光を感じた。
「月読、いつまでその不毛な会話をしてるのですか?」
「姉さん」
「その者は話せません。伝えていたはずですよ。近々、貴方が気紛れに慈悲をかけた身の程知らずの鳥が貴方の屋敷を訪れると。」
「慈悲?そんなものかけたかな?」
「全く、気紛れにも程があります。責任がとれないのだから、軽々しく願いを叶えるなといつも忠告しているというのに…」
「あ、思い出したかも。」
ちょっと失礼と、腕と床の隙間からお手を差し伸べなさって、自分の醜い顔を持ち上げられる。天照大神様の不愉快そうな御声が漏れるが、月読様はお気になさることもなく、自分を隅々ご覧になられる。
「月読、もう」
「ちょっと、瞳を見せてよ」
月読様のご所望ならば、どうすることも出来ない。自分は、月読様が衝撃を受けることのないように、緩やかに瞼を開く。
「分かった。君は夜鷹だね。」
そんなお声と一緒に、視界いっぱいに月読様が映る。
銀色の輝く御髪は、長く束ねられていらっしゃる。そのため、高貴な顔付が余すことなく自分の視界に入る。
御髪と同じ銀色の睫は長く、瞳は対照的に夜の闇のように深い漆黒で、虹彩は天の川に浮かぶ無数の星のように、細かな光が飛び交っている。
消えてもいいや…
これまでのあらゆる出来事が全て吹き飛んでいく。
「月読!止めなさい!そのような下賤なものに触れてはならぬ!」
「何言ってんのさ、姉さん。下賤なんかじゃないよ。夜鷹は立派な星の子じゃないか。」
「しかし、その者は貴方の許可なく貴方を視界に入れたのですよ。まもなく、爆発してしまいます。」
「許可?そんなのいらないよ。僕はこの部屋に入って来たものは、好きにするようにこの部屋を作ったときから、決めてるんだ。」
「な、なんてことを…」
「まあ、いいじゃない。とにかく、不思議な訪問者の正体も判明したことだし、姉さんは帰っていいですよ。」
「姉に向かって、何て口の聞き方ですか!貴方には、直属の小間使いを置くにあたっての説明があります。とりあえず、それをどこかに御遣りなさい。いくら、貴方が許可したところで、私の姿を視界に入れたが最後、ただの消し炭となることでしょう。ここは、燃えるものも多いことですし、つまらないことで、燃やしたくはないでしょう?」
「承知しました。姉上。」
月読様は、着物の合わせの中から赤銅色に鈍い光を放つ銅鏡を取り出し、自分をその鏡に映し出しされた。
次の瞬間、自分は夜の世界にいた。辺りには無数の星が飛び交い、どこまでも深い闇が、自分を包み込んでいた。自分の足下で激しく爆発をしている星がある。きっと、あれが自分の星なのだろう。いつまで、そうしていたのだろうか。気が付くと再び、月読様の御前にいた。
「君にはやってもらいたいことが2つある。一つはここの掃除だ。」
自分は声が出ないから、とりあえず頷く。
「ご飯は扉の前に置いてある。それから、君は何があってもこの部屋から出てはいけないよ。分かったね。」
月読様は、2つ目の作業を仰ることなく奥の部屋に入っていかれた。
付いていくわけにも行かず、早速掃除に取り掛かる。