My Turn

□ジ・エンド
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 メールの内容はいつもと変わらず同じだった。
 パソコンのモニターには何度も目にしてきた文章が表示され、メルヴィンは半分も読まずに画面から目を反らせた。
 デスクには売り出されたCDが並び、いくつかのトロフィーが背比べをしてこちらを向いている。目の前にあるコーヒーカップの湯気はとっくに消えていたが、真新しいCDジャケットを映す彼の視界の中は、白く濁っていた。

 ZEPTOの四枚目となるアルバムから約五年ほど経ち、クリスチャン・セロの衝撃的な死から半年後、待望のニューアルバムが発売された。
 クリスの歌声で歌われた楽曲であり、ギターはアイザックが、ベースはサンディーが弾き、ドラムはダグが叩いたまぎれもなくZEPTOの音で制作されたそのCDは、待ち望んでいたファンたちを大いに喜ばせ、多くの音楽批評家を唸らせ、ヨーロッパで最優秀ロックアルバム賞に輝いた。
 だが、この栄誉ある賞を喜ばなかった者がいた。それは受賞した三人のメンバーだった。


『 クリスのいないZEPTOは、ZEPTOとは言えない。解散するべきだと思う。』

 メールの内容はいつも同じ解散を促す言葉だった。
 楽曲の制作からバンド活動のすべてを担っていたメルヴィンへの、メンバーからの初めてと言える強い要望だった。

『 クリスの死はバンドの終わりを示しているんだ。どんなに泣いて足掻いても、彼は帰ってこない。』

 三人から代わる代わる送られてくる繰り返されるメッセージの意味をメルヴィンは重々承知している。クリスチャン・セロの声はZEPTOの要であり、ZEPTOそのものだからだ。
 だがメルヴィンは、ZEPTOを解散させるつもりはなかった。このまま活動を続けていくために作曲活動に励んでいるのだ。スタジオにこもり、楽曲を作り出すことを彼はやめなかった。

 メルヴィン・コールマンはプロデューサーとしても成功していた。いくつかの楽曲を他のアーティストに提供し、コラボレーションした曲の多くは評価され、世界中で耳馴染みとなっているほどだった。
 彼にはZEPTOに固執する理由はなかった。売れっ子プロデューサーとしての仕事の話はまだ両手が埋まるほどあり、この先働かなくても金に困ることがないほど彼の懐は温かいはずだった。

 だが彼は、ZEPTOのメルヴィン・コールマンであり続けることにこだわっていた。


 何十通にもなるメンバーからのメールに、彼は返信をしていない。書きたいことは幾晩かけても書けず、伝えたいことはいくらキーボードを叩いても言葉にならなかった。

『 あのレコードをどうやって創り出したかなんて、聞いたりしない。今までだって聞いてこなかった。今更聞かせてくれとは言わないよ。でも、あのレコードは俺たちのものとは思えないんだ。どうしても受け入れられない。ZEPTOはクリスが死んだ時に消えてしまったはずなのに、亡霊を見るような気分だ。』

 パソコンに背を向けてメルヴィンは椅子をくるりと回した。何度となく見上げる天井に何かを探すように視線を止める。
 探し求めているものが見つかったのか、彼は一人、ふと笑った。

「亡霊でもいいさ」

 誰もいない部屋にぽつりと彼のつぶやきが舞う。

 今でも彼の耳の奥にはクリスの歌声がよみがえる。それは、どこにいてどんなことをしていたとしても、変わらない。
 メルヴィンにとってクリスの声は理想と想像を超える奇跡的なものだった。
 その声に出会った時、これは神から与えられたギフトだと思った。神が御子イエスに授けた力と同等の力があるとメルヴィンは感じた。視界が開け、世界が、未来が明るく光り輝くようだった。
 畏怖さえ感じさせるその歌声には、文字通り力があった。クリスチャン・セロはヴォーカリストとしての栄光をその手に掴んだ。

 曲を作り出す時、神が授けたその声を想像する。クリスの声で歌い上げる歌詞はクリス以外のヴォーカルでは役不足だ。クリスにしか歌えない歌、それがZEPTOの曲だった。

 メンバーたちが訴えていることもメルヴィンが感じていることと全く同じ意味を持っている。
 だが、彼は解散しようとしない。クリスは今やいないというのに、彼はZEPTOを続けると言う。それは、メンバーたちから見れば矛盾していると感じるだろう。

 ギタリストであるアイザック、ベースのサンディー、ドラム担当のダグがZEPTOを脱退するというのなら、メルヴィンには止めることはできない。バンドを存続させたいと思っているのは彼一人なのだ。

 もし、メルヴィン一人残されたとして、その楽曲をZEPTOの曲だと言っていいのか。
 アルバムを作るために集めたギタリストやベーシストと制作したレコードをZEPTOのアルバムとして売り出していいのか。オーディションでメンバーを募い、ZEPTOに入らないかと誘うこともできるだろう。
 だが、その集合体は果たして本当にZEPTOなのだろうか。

 音楽業界にそれをノーとするルールはない。
 ZEPTOのリーダーであるメルヴィンがZEPTOだと言えば、それはZEPTOの楽曲であり、ZEPTOのレコードになる。
 抵抗があるのは誰でもないメルヴィン自身だった。それはZEPTOではない。ZEPTOには三人が必要だった。クリスのいない今、彼らこそZEPTOだった。

 だが、それを説得できる術がメルヴィンにはなかった。
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