My Turn

□ジ・エンド
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◇◇◇◇◇◇

「そうじゃない。もっと爆発した感じで。何か噛みちぎりたいみたいな」

 手に持っているフォークを噛む真似をしたメルヴィンは大袈裟に歯をむき出した。音響機材横のトレイに置かれたペンネボロネーゼは可哀想なほど干からびている。打ち合わせを始めたランチから数時間が経過していたが、終わりは見えない。
 歌詞の書かれたメモを覗き、クリスは壁沿いの小さなソファから立ち上がりながら首をかしげた。

「怒ってるのかよ? 歌詞はずいぶんと穏やかだぜ」

「いいんだよ。破裂しそうなんだ。それを必死で我慢してるってわけ」

 オーケイ、と小さく返事をし、クリスはもう一度同じパートを歌い出した。スピーカーを通らないクリスの声は、メルヴィンのすぐそばで大きな火花を散らすように漂う空気を裂く。
 メロディラインの美しさがクリスの歌声をより高める。部屋の中を舞うのは炎をまとい、翼を広げた火の鳥のよう。ありとあらゆるものを燃やして灰にし、残った黒い煤からはなぜか甘い香りがする。

「swimming in the smoke.は、落としてもいいな。語尾にはギターソロが入るだろ。フェードアウトさせるから限界まで伸ばして」

 手元のノートに向かってペンを動かしながらメルヴィンはボソボソと何か独り言をつぶやく。同時にパソコンでデモを流し、何十となるトラックを並べ、パートに音を加えてアイデアを形にしていく。
 ヴォーカルの打ち合わせのはずだったが、メルヴィンの目はクリスを見てはいなかった。もうその頭の中には様々なメロディと多種多様な音、アイデアが浮かび、吐きどころを求めている。
 うねる洪水のような膨大な量の情報が渦を作りながら走り回って衝突し、また新しい何かを生み出す。どこかに飛んでいったアイデアの欠片を拾い集め、何一つ見逃さないようノートと画面に書き出す。

 スケジュール通りに進むほど作曲作業は単純なものではない。
 アイデアは命綱とも言える。曲を売り出すには、豊富な経験より突発的に生まれるアイデアが根本にあるのではないか。もちろん音楽業界には流行があり、時代の流れも関係するが、インパクトのない楽曲に聴き手の心を掴む力はない。

 ロックバンドZEPTOには、天才的ヴォーカリストであるクリスチャン・セロがいる。その存在感は誰もが認めているのだから、楽曲を作るメルヴィンには自ずとプレッシャーがかかるものだ。
 だが、その大きなプレッシャーを物ともしない作曲家としてのメルヴィンの能力こそがデビュー後数年でロック業界の頂点までのぼり詰めたZEPTOの力の根源でもあった。

「この間作ったサンプルはどこだっけ? どこに保存した? なんだよクソ。どこにもないぞ」

 悪態をつきながらパソコンに向かうメルヴィンを置いて、クリスは隣の部屋へと移動した。
 メロディを口ずさみ頭に叩き込む。バンドのすべての楽曲の作詞作曲を手がけるメルヴィンの意向に合わせた歌い方ができなければ、ZEPTOのヴォーカルとは言えない。
 ギター担当のアイザック、ベースのサンディー、ドラムのダグも皆メルヴィンの指示を聞き、練習を重ねる。 ZEPTOは、メルヴィン以外のメンバーは誰一人作曲に加わらず、出来た楽曲を完璧に奏でる役を担っている。

 ロックバンドZEPTOは、作曲、楽曲のプロデュースからバンドの方向性、活動方法までほとんどすべてメルヴィン一人が決定権を持っていた。


 隣の部屋にはサンディーがいて、同じベースコードをひたすら弾き続けていた。
 クリスは聴き慣れたリフに合わせて首を縦に揺らし、サンディーの座るピアノの椅子の横に腰を下ろした。

「クールじゃん。ちょっと歌ってみる」

 サンディーとクリスは視線を合わせ、頷きと共に各々の音を重ね始めた。
 ベース音とクリスの歌声はまったく異なる音階のものであったにも関わらず、染まらない互いの色を弾きながらも寄り添って走っていくようだった。
 メインメロディを何度か繰り返していると、ドラムスティックを持ったダグとアイザックが顔を出した。

「クールだろ?」

 満足げな二人の顔を眺め、クリスは笑顔を作る。
 ギターソロを起点にロック調に変化していくこの楽曲は、除々に複数の音が重なっていく。パンチのある電子音を加えることによって、よりギターやドラムの音が際立つ。

 アイザックがそそくさとブースへ戻りアンプからギター音を響かせ、続いてダグの叩くリズミカルなドラムの音が端の部屋から聞こえてきた。
 スタジオにはいい音楽を作ろうと努力する仕事人がいて、皆それぞれに自分に与えられた責任を全うすることだけを考えていた。

「ライヴが楽しみだな」

 サンディーが指先で弦を弾きながら目をつぶる。ライヴ会場を想像し、耳をつんざく歓声を聞く。クリスは喉を震わせて声を張り上げ、数万人の観客がいる会場に満ちる熱気を感じていた。

「やばいな、こりゃ」
 
 扉の前で感嘆のため息をこぼし、二人のメンバーが作り出す音に聴き入っていたのはメルヴィンだった。

 メルヴィンは、一人でバンド活動ができないことを理解していた。自分のアイデアは自分だけのものではなく、メンバー全員のものだった。アイデアは天から降ったり、勝手に湧くのではなく、メンバーたちの作る音からインスパイヤ(触発)されることが多い。
 クリスの歌声、アイザックのテクニック、サンディーの安定した低音、ダグの叩く生きたドラム。すべてはZEPTOの音であり、メルヴィンのアイデアの源だった。

「バーを増やそう。二人共いい仕事してるぜ」

 プロデューサーの声に現実に引き戻された二人は拳をこつんと合わせ、笑みを浮かべた。

「ダグは?」

「奥のドラムルームにいる」

 クリスが答えるとメルヴィンは大声を出して自慢のドラマーを呼ぶ。

「ダグ! スネアのタイミング、もうちょっとインパクトがほしいんだ。ちょっと来て聴いてくれよ」

 ZEPTOのリーダーはメルヴィンであり、ZEPTOはメルヴィンの思い通りの音楽を提供し活動するが、メンバーはただ従っているわけではない。アイデアがあれば伝え、バンドの頭脳の判断を仰ぐ。最終決断はメルヴィンに任されているが、それはメルヴィンが誰よりも楽曲制作に時間を費やし、誰よりもバンドのことを考えていると知っているからだ。
 アイザック、サンディー、ダグ、そしてクリスはバンド結成時からZEPTOに所属し、メルヴィンの背中を見てきた者たちだった。
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