My Turn
□グッバイトーキョー
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「今すぐ会いたい」
電話越しの彼の言葉を聞いて僕は少し驚いた。
珍しいこともあるもんだ。彼の方からこんな風に言ってくることなんて今まで一度もなかったのに。
どうしたというのだろう。僕の部屋に来る時だって、わざわざ了承を得ることはあまりなかった。
いつだって勝手気ままに訪れて、僕の部屋のこたつに入ってミカン片手に和んでいたり、ガンガンにクーラーを効かせて気持ち良さげに涼んでいたり、花粉症で苦しむ僕のために大きな空気清浄器を置いていったり、虫かごに入った鈴虫を買ってきて僕の眠りを妨げたりしていたというのに。
ちょっと考えてから僕は、「いいよ」と返して、ガスメーターの下に隠してあるカギの場所を伝えた。
彼は知ってるよ、とか言って笑う。でも、その聞き慣れた彼の軽い笑い声がなぜか冷たく聞こえて、僕は少し不安に思った。
何かあったのかな。
いつも明るいわけじゃないけど、クールとは程遠い彼。ユーモアを知っていて、周りの空気も変えられて、リーダーシップを発揮したり、皆を先導できる力を秘めている。
彼、千枝(ちえだ)は学生時代からの僕の友人で、社会人になっても変わらない関係でいてくれる唯一の人。
何か、あったんだろうな。
「仕事で遅くなるかもしれないけど、部屋で待っててよ」
僕の返事に彼が、ああ、と短く答え、電話が切れた。
『じゃあ、夜な』
通話の終了を示す彼の最後の言葉が、僕の耳に残っている。
どうしてか、嫌な予感がする。
僕のカンが外れればいい。そんな風に思いながら僕は仕事に戻る。
きっと集中なんてできないし、またヘマをやらかして先輩や上司に怒られるかもしれないけど、そんなことよりも、千枝の声や言葉から予想する今夜会うことになる彼の顔が脳裏から離れなくて、怖かった。
嫌だな。会うのも怖いな。
僕は彼に会いたくなくて、わざわざしたくもない残業をした。
うるさい上司や偉そうな態度を取る一つ年上の先輩に命じられることなく、残っていた書類に手をつけた。今日はいいよ、と言う上司や期限はまだ先だから、と帰宅を促す先輩を黙らせて、僕はデスクに居座った。
帰りたくなかったんだ。
僕は、千枝に会うのが怖かった。