My Turn

□導師の悩み
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 悲惨なのは、山から飛来してきた黄色い毒ガスがご導師様の目鼻への攻撃の手を緩めないことによってダメージを受けているお経が、ただでさえ眠気を誘う音痴な歌に聞こえるというのに、一向に前へ進まないことだった。
 ご導師様は、何度も同じ部分を読み終え、また行の頭から同じ列を読み始めている。潤んだ瞳に映るのは、中国語の漢字が並んだ小難しい書で、荒々しいくしゃみによって行を見失う。

 だが、ご導師様のガスに侵された頭では、もはやどこを読み進めているかなど、迷子になっていることを知らない迷い人のように、気にすることも気を病むこともなかったのだ。


 ご導師様は悩んでいた。

 終わらないお経のことでも、苦笑の漏れる式場のことでも、噂話が止まらない霊たちのことでも、睨み続ける故人のことでもなく、ご導師様は深く深く心を悩ませていた。


「羯諦羯諦(ぎゃーていぎゃーてい)、波羅羯諦(はらぎゃーてい)」

 スナック玲院坊(レインボー)に足急く通っていたのは、誰のため。


「波羅僧羯諦(はらそうぎゃーてい)」

 看板娘のヒロちゃんに彼氏ができたってこと。


「菩提薩婆訶(ぼじそわか)」

 玲院坊をやめちゃうかもしれないってこと。
 ああ、心を悩ませる愛しのヒロちゃん。
 ああ、貢いできた金はいずこか。


「般若心経」

 途中で泣き出したご導師様を見送るべく、進行役の男の吐息交じりの案内によって式場にいた者は皆揃って合掌した。



チーン。

 般若心経、最後の心経の呪。「悟ったものに幸あれ」


fin.
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