My Turn
□天使の梯子(BL)
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「織田!」
見知った声に名を呼ばれ振り向くと奥さんと子供を連れた渡部がいた。
「なんだよ、お前も来てたのか」
大股で私の方へ歩いてくる渡部の姿を見て私は懐かしさに顔をほころばせた。ウェアを身につけた渡部はあの頃から何も変わっていなかった。
学生時代、共にボードに時間を費やした。暗くなっても習得したいトリックを練習する日々。インナーにまで入ってくる雪をかき出し、崩れたキッカーを何度も直し、食事を取ることさえ忘れて一日中ジャンプに明け暮れた。
「どう? 滑れるようになった?」
キッズランドへ走り出した子供と息子を追う奥さんの後ろ姿を見やる。
「ああ、まあまあだな。ソリの方が楽しそうだよ」
それはしょうがないと笑い、私はリフトの上を指差した。
「渡部は? 滑った?」
「ああ、一回上まで行ったよ。ここ、キッカーがあるんだな」
いたずらっぽく笑顔を浮かべると渡部は体を揺すった。一緒に行こうと親指を立てる。
「河内、お前渡部と行って来いよ」
私の後ろに棒立ちになっている河内に声をかけると、遠慮気に手をかざした。
「河内?」
渡部は目を丸くして私の背後に立つ隠れてもいない河内を見た。渡部に軽く会釈してから河内は首を振る。
「俺はいいですよ」
「そうか? じゃ、織田、行こうぜ」
強引にでも私を連れて行く気なのだろう。渡部は嬉しそうに肩を回す。
誘ったわけではないが、このスキー場を勧めたのは私だ。この白いゲレンデでボードウェアを着た姿の渡部と鉢合わせになったのが運の尽きだろう。
以前の私なら、誘うのは私の方からかもしれない。気が進まないが行くしかない。
学生時代の昔懐かしい思い出に触れ、重かった気持ちが多少軽くなったように思えた。
「大丈夫ですか? 織田さん」
心配そうに私の顔を覗き込む河内の困ったような顔が、入院中何度も見舞いに来た渡部の強張った笑顔にあまりにも似ていて、私は思わず吹き出した。
「なんだ? その顔は。お前も来ればいいよ」
河内の背中を軽く叩いてから、私はブーツを手に取った。河内はほんの少し頬を緩め「一緒に行きます」と言って腰を捻った。
このスキー場のスノーボードパークには小さいながらもアイテムがいくつかあり、七メートルキッカーから複数のジブ(ボックスやレールなどを滑る)トリックを決めながら滑り下りることができる。
私は昨日の衝撃と筋肉痛で固まった全身の筋肉を叩き起こすため、念入りに準備体操をしながら二人が舞う姿を眺めていた。
空中でスピンしながら回転し、片手で板を持つ。もう一方の腕は高く空に上げポージングを決める。着地の反動を体で受け止めバランスを保つ。
「いいねぇ、河内!」
渡部が吠えるように声をかけた。河内はボックス手前で止まり、腕を大袈裟に振って応え「織田さん! どうでした?」と走り寄ってくる。
もう二度とエアトリ(エアートリック)などしないと思っていた。もう二度とワンメイクなどしないと思っていた。
渡部に無理矢理にでも連れていかれなければ、決してやることはないだろう。キッカーの近くにも寄らず、ボックスを視界に入れることもしない。
「もっと高く飛べるだろ」
一時期でもプロを名乗ったのなら素人レベルのジャンプで満足などしない。私の小言を聞いて河内は嫌な顔せず「はい」と言った。
渡部がアプローチ(助走)に入り、一気に飛び上がった。上半身を下半身の反対方向へひねり、空中で板を平行に保ったまま半回転した。
「うわっ」
悲鳴のような声を出して渡部が着地時に体制を崩した。雪面に手をついてバランスを取ろうとするが後傾したせいで尻から転がる。
「のぉー!」
斜面を背中で滑る。無様だ。
だが、渡部は楽しそうに笑顔を作る。
「ああ、くそぉ。笑ってんじゃねぇ! お前もやれよ」
私も笑っていた。あの頃に戻ったような錯覚を覚え、表情が緩み、大口を開けて笑っていた。
渡部はプロにはならなかった。スノーボードのスクールに共に通ってはいたが、芽は出なかった。スキー場などのインストラクターにもならず、卒業後山から降りて地元に戻り、一般企業に就職した。
私は渡部とは違い、就学中から全国区の大会に出てキャリアを積み、卒業を待たずプロへ転向した。
「私の番か?」
スケーティングしながら寝転んだままの渡部に近づき、手を取って引き上げる。
「出たな、貴公子」
甘酸っぱい思い出の中のニックネームを口にされ、私は苦笑いをした。あまり好きになれなかった呼び名だ。
板を外して斜面を登る。五年ぶりのキッカーを目指して。