My Turn
□スマイルベンチ
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時計を見上げると午後九時を過ぎていた。具合いでも悪いんじゃないかと思わせるほど長くそのベンチにいる麦わらのハット帽の人は、今や足を丸めてベンチの上で体育座りをしていた。
引き寄せた膝小僧に顔をうずめる。
大丈夫かな。なんかつらそうだ。
僕が心配してもしょうがないのだけどと思いながら、もう少し窓に近づくためにブレーキレバーを握る。
「あ」
漏れた自分の声に少しびっくりしたけれど、その人の行動にもっと驚いた。
急に立ち上がったと思ったら、かぶっていたハット帽を投げてしまっていた。帽子は歩道横の植木の方まで転がっていったけれど、その人は投げつけられた可哀相な麦わら帽子を見ようとも取りに行こうともしない。
某然と立ち尽くしているかと思ったら、ストンとベンチに腰を下ろし今度は足をバタバタさせた。落ち着きのない小さな子供のようだ。
その人の行動が日常で目にするベンチを愛用する人たちとは明らかに違うことも僕がその場から目を離せない理由の一つだけれど、そんな風に一つの所から動けなかったり、何度も地団駄を踏んだり、手元にある物を投げたくなるような、そんな時を僕は知っている。
懐かしい気持ちになると言うより、苦々しい記憶だけれど。
苦しいんだよな、そういうの。
大きな何かに負かされて、輝いて見えていた明日が真っ暗に見えて、抗ってももがいても自分ではどうしようもなくて。
少し前に買った煙草は玄関に放られたまま放置されていたと思う。やけになって吸ってみたもののあまりに不味くて新品と変わらない本数のはずだ。
体の向きを変えて狭い廊下の先にある暗い世界に一歩出てみようか。
一歩という言葉は正確ではないけれど。
僕は手に取った銘柄もよくわからない煙草を膝にのせて、ドアノブを回した。