My Turn
□スマイルベンチ
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かれこれ四、五時間はその場から動いていないんじゃないかと思う。
小さなベンチに居座っている麦わらのハット帽の人は、立ったり座ったりを繰り返しているけれど僕が気が付いた夕方頃からずっとそこにいる。
携帯電話がほぼ百パーセント普及した今、一人っきりの時には少なくとも一、二回は手に取ってメール受信はないかとか、インターネットにつなげてお気に入りのサイトを覗いたりとか、自分で発信したりとか、暇を持て余した時間をうまく活用するのではないかと思うのだけれど。
だって、現代人は忙しいから。
目まぐるしく動く世の中に、ついて行かなきゃいけないから。
でも、その人は携帯電話を取り出すような素振りは見せていなかった。この数時間ただそのベンチに座っているだけだった。
別に特別な地域にあるわけでも、特別な物を使って作られたベンチでもないけれど、
僕にとってはお気に入りの場所だ。
この地区には小さな坂がたくさんあって、アパートや一戸建ての家は半三階建てのような少しノッポな建物となって並んでいる。デコボコした石の塀やコンクリートの壁ができたばかりの新しい道路の両側にあって、綺麗に舗装された歩道に沿ってアジサイが植えられている。梅雨の季節には白や紫、ピンクの花が初々しい通りを飾ってくれる。
その歩道横の小さな区画に、僕のお気に入りのベンチがある。
二人掛けには小さい木材のベンチと今はあまり見かけない昔懐かしい柄の灰皿。
愛犬の散歩途中の一休みやマラソン中のちょっとした休憩とかワンカップを片手に一服などに活用されるその場所は、僕の住むアパートの西向きの窓からよく見える位置にあった。
この窓から見える景色が僕の世界のすべてだったら、その小さなベンチは毎朝登る太陽と同じくらいなくてはならない大切な場所だったろう。
実際には僕の知る世界はこの長方形の窓に入り切らないほど大きくて、ここから見渡せないくらい広すぎて。
大声で泣きたいくらい儚すぎる。