My Turn
□小さきものよ「一章:一ノ瀬」
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一ノ瀬が駅で待っていると雪絵が笑顔で走ってきた。母の日のプレゼントを買いに行こうと待ち合わせをしているのだが、ここのところ体の調子が良くなさそうだった。学校も休むことが多かった。あまり遠出はさせたくない。
デパートを何件が回り、母親が好きそうなものをあれこれ言いながら商品を見て回った。自分の母親にプレゼントをあげるかのように楽しんでいた雪絵に一ノ瀬は以前も聞いたことのある質問を投げかけた。
「雪絵のお袋さんにはあげないの?」
雪絵は商品を見る視線を変えず、言葉を濁した。
「お母さんはあんまり家に帰ってこないから」
あ、見てと言って他の棚にのっていたティーカップを手に取った。雪絵の両親のことはなかなか聞けない。父親らしい人はいるのだろうけれど、そのことも面と向かって聞けていなかった。
「雪絵」
彼女を呼ぶ聞きなれない声に一ノ瀬は振り向いた。呼ばれた本人である雪絵は微動だにしなかった。その場に足が貼りついたかのように顔の向きも変えずに動かない。
「おい、雪絵。何やってんだ? 誰だ? そいつは」
この話し方はあの男だと一ノ瀬は脳裏に残っている声を思い出した。電話中に怒鳴って雪絵を呼んだあの声だ。兄夏生より大柄でプロレスラーのような図体をした声の主は鋭い目をいやらしく曲げて大きな声を出した。
「おいおい、彼氏かぁ。お、夏生の方がでけぇじゃねぇか。なんてぇのお前?」
男は一ノ瀬を見て馴れ馴れしくじゃれつくと名前を聞いてきた。雪絵はやっと動いたと思うと「関係ないでしょ、やめてよ」ときつい口調で言った。その目に敵意が表れている。
男の手が雪絵の髪を掴んだ。
「何だってぇ?」男の顔近くまで引っ張られた雪絵は苦痛に顔を歪めていた。「やめて」とその唇が動いた。
「ちょっとやめてください」
思わず一ノ瀬が大声を出してその腕に触れると今度は雪絵が拒んだ。「ダメ、やめて」その小さな声は弱弱しく、拒んだ手は白かった。
この男に関わるなと雪絵は言っているようだ。
「名前はなんてぇの? お前の彼氏くんの名前だよ」
雪絵が答えるより早く一ノ瀬が口にした。
「一ノ瀬龍也です」
「イチノセくんね。イケイケくんだね、髪の色もお揃いか? おもしれぇなぁお前ら」
雪絵の髪を離し、今度はその小さな肩を抱いた。子供を抱くようにすっぽりと雪絵の体は男の胸に収まった。面白いものを見つけたというように嬉しそうに笑う男は雪絵の耳元に顔を近づけ、視線を一ノ瀬に話し続けた。
「お前知ってんの? こいつが何やってるか」
雪絵の体が震えていた。その顔色も腕も白くなっていた。唇に色がなくなっている。雪絵の視線が泳いでいる。何を知ってるんだ。何なんだこの男は。
「教えてやるよ。あー、今持ってねぇんだ。連絡するよ、イチノセくん。番号教えてよ」
男は大袈裟に顔をしかめると携帯電話をポケットから出した。雪絵はその携帯を両手で思い切り掴んで引っ張った。
「やめて、やめてよ。関係ないでしょ」力でこの男に叶うわけがない。軽くあしらわれてしまった雪絵は「やめて、やめてよ」と言いながら男から体を離そうともがいた。
「うるせぇ、黙ってろ! 関係あんだろぉが、お前の彼氏だろ」
雪絵が涙目で一ノ瀬を見ていた。首を横に何度も振りながら、ダメダメと口元が声にならない言葉を発している。
「彼氏なんだろ?」
「そうです」と一ノ瀬は答えた。
「じゃぁ教えろよ」男の口が笑っていた。
「あの、雪絵の親戚の人ですか?」殴り合いの喧嘩をして勝てるとは思えない。でも聞きたい。雪絵の何なのか。何を知っているのか。
男は、はぁ?と顔をゆがめるとそのいやらしい口を広げて言った。
「父親だけど。こいつと、夏生の」