My Turn
□小さきものよ「一章:一ノ瀬」
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「誕生日、おめでとうございます」
プレゼントをバッグから取り出して手渡した雪絵に父親は少し照れて笑った。目の赤い息子を見て何かを察したのか穏やかな視線を送る両親は、いつものように普通に彼に接した。
父親の誕生日パーティーとかこつけて作った母親の手料理はたった一人客が来ただけなのに、その品数も量も普段見ることができないほどだった。「こんなに食えない」などと腹をさすってぼやく男たちを尻目にキッチンで紅茶を淹れていた母親と雪絵は何やら楽しそうに談笑していた。
「荷物持ってきた?」大き目のバッグを視界に入れて母親が聞いた。
「はい。でも本当にいいんですか?」
「いいのよ。お客さん用の布団も用意したんだから」
ゆっくりしていってねと言いながら、テーブルを拭く母親に一ノ瀬は緩む表情を隠し切れなかった。
「雪絵、泊まるの?」
「そうよ、約束したんだもの」ねぇと言って彼女に目配せをする。
「俺、聞いてねぇし。部屋汚いし」 ねぇと頷いていた雪絵の手が止まった。
「何言ってるの、龍也。客間に寝てもらうわよ」
呆れ顔で言う母親が首を振っていた。一ノ瀬は「そうだよなぁ」と頭を掻いてばつの悪そうに顔を背けた。
母親と雪絵は頻繁ではないが、メールのやり取りをしているようで一ノ瀬を差し置いて今日のことも色々決めていた。「トランプするの」と嬉しそうに笑う雪絵は小さな子供のようだった。家族と一緒にトランプで遊ぶなんていつ以来だろうと懐かしげにリビングに移動すると四人分に用意されたトランプがテーブルにあった。
「おやじ、張り切りすぎ」
「お前も久しぶりだろ。やり方忘れてないか?」
今日のおやじはちょっと恥ずかしい。若い娘にたじたじになっている様なんて息子としては見たくもない姿だ。手に持つお盆に紅茶のカップを載せて雪絵がリビングに来た。マンゴーの甘い香りが部屋中に広がった。最近の母親のお気に入りのようだ。
「私、二人でしかトランプしたことないかも」
誰でも幼い頃は両親や兄弟、親戚や友達とトランプやUNOなどのカードゲームをやって遊んだ記憶がある。時代が変わってテレビゲームで遊ぶ確率の方が多いのかもしれないが、それでも大人数での遊びには思い出が多い。
「兄貴と二人で?」こんな風に兄貴のことを言葉にできるのは、今の雪絵の気持ちを知ったからかもしれない。好きな人のことを考えてしまうのは俺も雪絵も一緒なのだ。どうしようもない。
「うん、いつも二人でやってたなぁ」目を細めて昔を語る彼女の脳裏には、今より大分小さな兄夏生と今より少しだけ小さな雪絵がカードを囲んで笑い合っている愛くるしい姿が映し出されているのだろう。
「双子の兄貴がいるんだ」
父親に雪絵の家族の話をしようと口を開いたが、兄貴以外の家族のことは一ノ瀬にもわからない。あの乱暴な話し方をする男の声が耳に残っていた。
「空手部のエースなんだぜ」なんで俺が自慢気に兄貴のこと言うんだと腹立たしく感じたが、雪絵は隣に座って頷いていた。「へぇ、何段なの?」と聞いてきた父親に「初段です。九月に昇段試験があって」頑張ってほしいと言葉をつないだ。
「高一で弐段なんてすごいじゃないか」
兄夏生を褒められることが雪絵にとって何よりも嬉しいことなのだろう。上気した満面の笑みで「そうですよね。でも弐段はなかなか難しいみたいです」と続けた。
「でも、部活頑張ってんだろ?」
一ノ瀬が言葉を挟むと「うん。八月に選手権があるし、大丈夫だと思うんだけど」とまるで自分が試験を受けるような心配ぶりだった。
兄夏生の物柔らかな表情を思い出す。ここしばらく会っていないが、あのタレ目の優しい笑顔は変わらず雪絵に向けられているのだろう。
胸がちくちく痛い。笑っているのがきつくなってきた一ノ瀬は話題を変えようと口を開いた。
「この間の電話の声、親父さん?」
兄夏生の話にうんざりしていたとはいえ、この話題はまずかったと今さら悔やんでも遅かった。雪絵の固まった顔と緊張した空気が隣の彼女の体全体から一ノ瀬に伝わった。
「ううん」少しの間の後、首を小さく横に振った。
親父さんじゃなくて一体誰なんだ?
電話の時自宅にいると言っていたし、あの言い方は親しげというより馴れ馴れしくて、ちょっと無神経な感じで。
少し下品でいやらしくて。
「母さん、まだぁ?」目の前で発せられた父親の大きな声にびっくりして飛び上がりそうになったのは一ノ瀬だけではなかった。