Sour1

□Burning Blood1
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 ヤナセの拳が風を切って飛んできた。
 蒸し暑い夜に吹く風はない。奈良(なら)の頬をかすめたのは重い風圧。寸でのところで避けた奈良は、睨んだ先にある怒り狂った顔へと反撃を繰り出そうと腕を振り上げた。

 そこへ、呑気な声が一言。

「俺のドラッグスターに傷つけんなよ」

 奈良の立つ場所から数センチのところにあるアメリカンバイクが今にも倒れそうに揺れていた。
 思わず車体に手を伸ばし、シートごと引き寄せる。
 危なかった、と奈良が胸を撫ぜ下ろした時にはもう遅かった。ヤナセの蹴りが奈良の体を吹き飛ばした。飛ばされた反動でせっかく救ったバイクも一緒に倒れた。

「あー! 馬鹿野郎、てめえ俺のバイク傷つけんなって言ったろ!」
 倒れたバイクに駆け寄ったのは走り屋チーム唯一の三十路男、カズ。

 鬼のような形相で奈良を見下ろすヤナセは、カズの不満の声を無視し、「立てや、コラ!」と怒鳴る。唾を吐きながら立ち上がった奈良に敵意いっぱいの鋭い視線を向け、指を鳴らした。

「てめー、何しに来たんだよ」

 喧嘩慣れしたヤナセを前に少しも怯まない奈良は、土のついたジャケットを叩き、首を回す。喧嘩なら、奈良も負けはしない。
 黒いネクタイを緩め、眉を寄せて睨み返す。

「ああ? なんだよてめー、言いてーコトがあんなら言えよ」
 挑発するヤナセは、顔に貼り付いた髪を掻き上げ、一歩前に出て、間合いを定めるかのように距離を縮める。
 互いの拳を知っているのだから、危険な位置は避ける。スピードを増した拳や足が飛び交う瞬間を待つ。
 だが、この喧嘩にルールはない。

 ふいにすっと近寄った奈良はヤナセの足を思い切り踏みつけ、同時に右手を握りしめる。目の前の憎々しい顔がひん曲がるビジョンが見えた。
 吹っ飛んだのはヤナセ。左頬がめり込み、奥歯がぐらつく。

「ああ、言ってやるよ! オマエのせいであいつが死んだんだろ! オマエらがいつまでも落ち着かねぇから、こんなことになったんだろうが! ああぁ?」

 大事なバイクの傷を確かめていたカズも、愛車に腰を下ろして二人の喧嘩を傍観していた走り屋仲間のオトンとヒロも、一斉に奈良へと目を向ける。

「オマエらがいつまでも馬鹿みてぇなことしてるからだろ! あいつのおふくろに何て言った?」

 通夜の提灯が揺らめく式場で泣き崩れた母親。仲間の一人ヨシキが事故で死んだ。
 ヨシキのバイクは車と衝突して何十メートルも飛ばされた。ハンドルやタイヤがひん曲がり、ヨシキの単車は原型を留めていなかった。短い信号待ちでも入念に磨いていた自慢のタンクはぺしゃんこになった。

「うるせーよ。オレたちが悪いんじゃねー、轢いたヤツが死んで詫び入れんのがスジだろーが」

 威勢のよかったヤナセの声はほんの小さく、辺り一帯に染み込んだお香のかおりに溶けていく。
 式場の外、駐車場に立ちこめていた暗雲が悲しみに負けた。
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