Cocktail

□NO LIMIT.(2)
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 半年後、彼は盛大な結婚式を上げた。
 彼の幸せそうな笑顔をネット上にアップされた画像で見かけ、僕は胸の痛みを無視して幸せだけを噛みしめた。

 あの日の対談は、きちんと雑誌に掲載された。
 でも、色々なところが削られていて、僕らは深い友情でつながった間柄という世間で安易に受け入れられる形に表現し直されていた。そのことについて、僕は何とも思わなかったし、怒りも感謝の気持ちも起きなかった。
 やはりというか、そのスポーツ誌は世界中でとても売れて、僕の元に刷り上がった雑誌と御礼の手紙が送られてきたけれど、僕は封を開けようともしなかった。

 彼との、あの夢のようなひとときは、僕にとって本当に素晴らしいひとときだったけれど、同時にとても辛い思い出にもなった。
 今でも彼の笑顔と、彼の悲しそうな顔と、彼の泣き出した顔と、最後に見た彼の背中が僕の脳裏に貼り付いて消えない。
 決して泡のように消えてなくなったりはしないけど、思い出す度に彼への想いを無理矢理胸にしまう日々は、そう簡単に過ぎ去ったりはしてくれなかった。

 それでも年月が経つ毎にだんだんと痛みは優しくなっていき、僕の心に残るのは彼への想いだけで、あの日は夢のようなひとときとして記憶されていった。


 三年ほど経って、一度だけ彼と会う機会があった。
 大きなパーティが開かれて、過去に世界スポーツ賞にノミネートされた多くのアスリートたちが招かれた華やかな会の場だった。

 僕の隣には妻のソフィーがいて、彼の傍らには美しいドレスを身にまとう奥さんがいて、僕らはそれぞれのテーブルでパーティの催し物を楽しんだ。
 高すぎる天井には煌びやかに輝く巨大なシャンデリア、高級アクセサリーを身につけた人々、真っ白いクロスのひかれたテーブルには銀のフォークとナイフと一流シェフが作る色鮮やかなディナー、美しさを競い合うセレブを連れたアスリートたち。

 席に座ったまま顔を上げ、僕は彼の姿を探す。ほんの少しでも彼の顔が見れるなら、それだけでよかった。
 でも、会に出席している大勢の人の中から彼を見つけ出すのはとても困難で、僕は気落ちした感情を隠すことができなかった。
 ツアー関係者や顔見知りの人と話をしていても、うわの空。会話を続けるのも億劫で、僕は会場の入口近くに立って、通路を通る人と適当に言葉を交わしていた。

 一言だけでも彼と話がしたかった。
 もちろん、顔を見るだけでも十分なのだけど、抱き合った時の彼の温かさや優しいキスを思い出すだけで体が熱くなる。もっと欲しいと感じてしまう。
 妻がドレッシングルームに行くというから、僕は一人、壁を背にして立っていた。

 奇跡だと思った。
 彼がたった一人で赤い絨毯の上を歩いてきたから。
 僕の数メートル前を通って出口へと進む彼は、僕の姿を視界に入れていなかった。手にした携帯に視線を落とし、もう一方の手はあごの髭を撫ぜる。
 あの日もしていた彼の変わらない仕草。ただそれだけ目にしただけなのに、僕は今すぐに顔を覆って泣きたくなった。
 いつから僕は、こんなに泣きべそになったのだろう。

 勇気を振り絞って彼の後を追う。ゆっくり歩を進める彼に追いつくのは簡単だ。
 でも、彼の名を口にするのはぜんぜん簡単じゃない。渇いた口内が息をする度、痛みを発する。

「よう、ロジル」

 呼ばれて振り返ると、ロードレースのライバル選手が笑顔を向けていた。カラカラの口でなんとか相槌を打つけれど、僕は背後にいるだろう彼のことが気になって仕方がない。
 何を話したかも、僕自身が何を言ったかもわからず、適当に会話を終わらせる。僕はすぐに視界を広げ、彼を探す。

 すると目の前に、彼がいた。

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