Cocktail
□Suit & Tie
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あんたは俺にすべて見せてない。
男の言葉に彼は顔を上げた。
きっちりとしたスーツに身を包み、いつもしわ一つない白いシャツを着て、腕にセンスの良いハンドバッグを挟み、髭はすっきりと剃られ、指の先についた小さな爪は綺麗に手入れされ、程良い香水のかおりを漂わせる彼は、ふて腐れたような横顔を見せる男に向かって微笑んだ。
「お前に何を隠してるというんだ?」
「話してくれないんだろ?」
視線を合わせない男はデスクに腰を下ろして、大きなミラーの中に映る自分の顔を見つめた。
バックステージ横にある鏡張りの部屋に、彼はいた。
男のステージを見に忙しい仕事の合間をぬって足を運んだというのに、目の前には目も合わせない男の姿。
金メッシュの入った黒い髪はセットされておらず、耳にはいくつものピアスの穴が見え、Tシャツも着ずにレザージャケットを羽織り、床に裸足のまま立ち、ほのかに酒の臭いをさせた男の首元には、鎖のネックレスに重そうな南京錠がぶら下がる。
もうすぐ開演の時間。
男はステージに立とうとはしない。ただ彼を責める。
「話してくれないんだろ?」
二度繰り返された問いに彼は答えた。
「お前は私のすべてを知ってるだろう?」
「ほんの少しさ」
男は歪んだ笑みを浮かべ、鏡を睨む。
その先にはスーツ姿の彼がいる。立ち上げた会社のために身も心も捧げ、一日中仕事に明け暮れ、疲れた顔一つ見せない。小汚ないライヴハウスに全く似合わない彼は、今日初めて男のステージを見ようと時間を割いた。
鏡越しに睨む男が欲するものを彼は知っていた。
夢を追う男。ただただ求めるのはバンドの成功、デビューへの道。
「俺はあんたを知らない」