Cocktail
□刑事:橘(たちばな)
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塙は壁に寄りかかって大木さんの怒号を聞いている。俺は自分のデスクで他の事件の報告書を確認していた。
事件はいつだって一つではない。今、この瞬間にだって事件は動いている。目を離した隙に心変わりをしてそっぽを向く。しかも川の流れのような速さで。
犠牲者は常に弱き者で俺たち警察官が目を光らせ、彼らを守ってやらなきゃいけない。
賭博は違法だ。
賭博行為には暴力沙汰がついて回る。軽い気持ちで手を出した人間の破滅へのカウントダウンは、はたから見ていると曲がり角のないまっすぐな道を歩くほど簡単明瞭なものだ。
市民を暴力や破滅から救わねばならない。
こんな話を俺が真面目な顔で塙にすると笑われる。
如何にこの世の中が悪人に優しいか、善人が大粒の涙を流しているかを。
「大事なのは、権力を持つ者が正しい行いをすること。その使い方を間違えないことが求められるんだ」
「馬鹿じゃないの、お前。権力ってのは強者に与えられるものだろ」弱者はいつも虐げられる存在だと塙は言う。
「それがこのクソみたいな世の中ってわけ」
もちろん塙は間違ってはいない。
「強者が弱者をもっと思いやって守ってあげればいいだろ」
俺の考えを甘いとかただの理想だとか言われることに慣れていた俺は、いつでも自分の思ったことを、自分が正しいと思うことを言う。善人でいたいと思うし、この世界を嘆いているだけでなくどうにかできたらと感じていたからだ。
それに嘘を言っても意味はない。この塙という男には特に。
塙はゲラゲラと笑い転げて俺を指差す。
「てめぇにいいようにするに決まってるだろ。権力を持つ強者が自分にいいようにルールを作り、生きやすいように世界を作るんだ」
俺はムキになって言い返す。
「俺は自分だけが生きやすい世の中にしようとは思わない」
「お前はな」
塙は口の端をつり上げてにやりとして続ける。
「お前はお前のやりたいようにやればいいんじゃないの」
投げやりに言われた台詞に俺の心が傷付くことはなかった。
俺は俺のやりたいようにやれ。
塙の言葉は、無理に一人突っ走っているように感じていた俺の深い部分に突き刺さった。
行動に移せ。
態度で表せ。
間違っている道を正せ。
塙の真っ直ぐな言葉は俺の道しるべとなった。
塙が刑事という仕事に熱心でなくても、堕落した人生を送っているように見えても、俺の背中を押してくれた唯一の人間だった。