Cocktail

□ 警部:手塚3
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 この女の血が彼女に一滴ほども流れているなど、考えたくもない。この女が腹を痛めて彼女を産んだなどと、そんなことも信じたくもない。
 一体どこが似ているというのか。欠片も似ているところなどない。
 この痩せて骨と皮に成り果てた愛する我が子に裏切られた女は、精神すら正常とは言えない状態でいまだ癒えない深い傷を負ったまま病院の一室にいた。

 被害者との面会はあまり心が進まないが、この女は別だ。
 ベッドに横になったままの女は時よりモゾモゾと体を揺らす程度で、その四肢は自由に動くことを知らない。女の視点は常にふわふわと浮いていて、発する言葉も意味のないもので、私が誰かもわかってはいないのだろう。
 私はこの病室へ足を運び、ただこの女のみすぼらしい姿を眺めるだけだ。


 彼女が訪れるのは、週の中の決まった日ではない。急にフラッと現れ、女の世話を焼き、ベッド横で少しの時間を過ごし、ゆっくりと重い腰を上げる。
 今日も終わったと、週に一度面会に行くという娘としての最低限の務めを果たしたと、ほっと胸を撫で下ろす。
 絆などないに等しい母親の世話をしなければならない不条理に歯を食いしばる思いで雪絵は、見舞いという名の拷問に耐えているのか。


 壁の影に身を隠し、病室の扉が開くのを待つ。
 エアコンのよく効いた廊下から窓の外を眺めると、まばゆい太陽の光がじりじりと世界を照らしていた。猛暑の続く夏日、短命の蝉の金切り声が締め切られた院内にも聞こえてくる。

 この病院には、雪絵の訪問を即座に私に報告する張り込みの刑事がいる。彼女を落とすことが逃亡者の逮捕につながるのだから、そのことに疑問を感じる者はいない。


「御苦労なことだな、見たくもない顔を毎週拝みに来るとは」
 扉から出てきた整った横顔に声をかける。驚きの表情を見せた彼女が敵意をにじませて私を見上げた。

「あなたも」
 嫌味を含ませた雪絵の言葉に鼻で笑う。彼女に”あなた”と呼ばれるとは面白い。

「わざわざこんなところまで」

「母親のいる病院だ。奴が現れる可能性がある」
 足を止めない彼女の後ろについて、私もゆっくり歩を進めた。
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