My Turn
□運命の人
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「よく外で仕事できるね。寒いのに」
「しょーがねぇだろ。現場が外なんだから」
「寒がりのくせに」
家の主は布団から出てこない。くぐもった声が聞こえるだけ。
「お前も今日は、おふくろさんところに行くんだろ?」
返事なんてない。俺の口が放った言葉は冷気の満ちた部屋の中に浮かんでる。
いつもそう。答えなんてない。
でも、こいつが考えてることなんて俺には筒抜けだ。
「寒いから厚着して行けよ」
丸く盛り上がったベッドに向かって捨て台詞のように言って、俺はキッチンへと足を運ぶ。
四角いパンをトースターに突っ込み、フライパンに玉子を落とす。時計に目を向けると七時半、あまり時間がない。現場監督のおっさんは人はいいが、時間にうるさい。まだ学生である下っ端のバイトが遅れるわけにはいかない。
着替えを済ませ、食パンに出来たばかりの目玉焼きをのせて口に運ぶ。
「飯、キッチンにある。俺は先に行くぞ、ジュン」
寝室の開いたドアから顔を出すと、もの欲しそうな目が二つ、俺を見上げていた。
何も言わなくたって、こいつの考えていることはわかる。その目を見れば、大抵のことは理解できる。
使わなかった枕をその細い腕で抱いて、寒いはずなのに肩をむき出しにして、固く唇を結んだその顔を見れば、俺には何だってわかる。
玄関に向かっていた足は勝手に止まり、刻々と過ぎる時間に焦っていた俺の心も一瞬にして冷めた。
食べかけの朝飯よりも、顔を赤くして怒る監督よりも、ベッドの上の沈んだ目をしたジュンの方が何倍も大事だ。
ゆっくりとベッドに腰かけ、俺の手が白い頬を撫でる。
「おふくろさん、寂しがってるだろうから行ってやれよ。病室が暗いって言ってただろ。花でも買ってさ。お前の元気な顔を見せてやるだけでいいから」
言い聞かせるように優しく、促すように笑ってみせても、俺に微笑んで頷くような女じゃない。
睨んだ目の奥に見えるこいつの抱える苦しみがわかるから、その態度に対して怒るようなこともない。俺がわざわざ病院に行きたくない理由を尋ねることもない。
行きたくないけど、会いたい。顔なんて見たくないのに、会いたい。
ジュンにそっくりな母親。母の血を色濃く継いだ娘。
「一緒に行ってやろうか?」
そう言うと即座に首が横に振られた。
「面会時間に間に合うように帰るから」
「別にいい。一人で行ける」
そっぽを向いたジュンのその横顔に鼻を寄せる。きめ細かい肌に唇を押し付けて、心の中で頑張れと言う。あまりに似た母に、自分の将来の姿を見るその恐怖と向き合いながら、病院への道のりを歩く。
一人で歩くのが辛いなら、俺が一緒に歩いてやるのに。
手を強く握って、その小さな背中を押してあげるのに。
布団越しに体を抱きしめて、しばらく体温を感じ合う。
運命の相手なら、それだけできっと心安らぐはずだ。後ろ向きで見えない顔がどんな表情をしているのか、確認する必要なんてない。
「早く行って。遅刻するよ」