My Turn

□Non-Communications
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 男は水槽の横に置いてある網を手に取り、ふらふらともう一つの小さな円形の水槽に向かった。
 丸い水槽には金魚が元気よく泳いでおり、男が無造作に入れた網から逃れようと狭くて丸い世界をぐるぐると回っていた。粋の良い餌なら尚良いと男は嬉しそうに口を曲げると一匹の肥えた金魚を捕獲し、ぴちぴちと尾を跳ね上げ、口をパクパクとさせている哀れな魚を彼女のいる水槽に放り込んだ。

「こっちだよ、ピアニッシモ」
 金魚は水面近くを慌てたように泳ぎ、身の危険を感じているのか水槽の端の方へ進む。

 ピアニッシモという名をつけられた彼女は、動く餌を見つけると素早く方向転換を行い、すぐさま金魚に向かって突進した。しばらくは水草の漂う美しい水槽の中で鬼ごっこが繰り広げられたが、それは決して微笑ましい風景ではなく、魚と魚の命の取り合いであった。
 金魚にとって、この水槽は死刑台である。
 逃れることなどできはしない。

「やっぱ貪欲だなぁ」
 見るも無残な姿となった金魚をつつくピアニッシモを見つめながら、男は首を振った。

 担当の客もこのくらい貪欲だといいのだが、景気など関係なく客の持つ財布の紐は堅かった。押しが弱いのだと男は自分の短所を理解していたが、どうにも強気に商品を売り込むことができないでいる。
 一度でもノーと言われれば、そうですか、とおずおずと帰り支度をして腰を上げてしまう。「判を押してもらえるまで椅子から立つな」と先輩には教えられたが、強引が嫌いな男にはできない相談だった。

「なんで契約取れないんだろ」

 生息地の赤茶色の水に適応して染まった赤い腹と肉食性の魚を示す強靱なあごと尖った歯は、彼女が彼女たる所以である。
 相応たる姿はピラニア・ナッテリーそのもので、彼女は血に飢える肉食魚である。

 頭だけとなった餌をいたずらに頑丈な歯で引きちぎり、ピラニアのピアニッシモは少し汚れた水槽内を短いヒレをゆっくりと動かしながらしなやかに泳ぐ。
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