My Turn
□天使の梯子(BL)
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「吹雪いてなくて良かった。織田さん、この景色が好きなんですよね」
上った血は急激に冷め、今度は脱力した体の重さを感じた。軽々しく口を開くこの河内という男にほとほと気が滅入る。
「いつもこの場所にいるし、滑らないで景色ばっかり見てる。でも見てるのは景色だけじゃないんじゃないかと思って―」
顔を出したばかりの光を、そのただ一点だけを見つめて私は河内の言葉を聞かぬようにした。煩わしい会話などしたくはない。
「何を見ているんですか?」
話などしたくない。これ以上は御免だ。
今日何度目かの溜め息をつき、私はこれで終わりだとベンチ横に立つ河内に顔を向けた。
「なあ、君」
「河内です」
訂正なのか、覚えろということなのか。私はそのどちらもする気はなく、男の台詞を聞き流し言葉を続ける。
「プロボーダーだったの?」
過去形にして、河内の心を試す。驚いたように目を見張り、表情を曇らせる。私への質問の答えを得られるという期待を潰された歯がゆさからか、それとも私の質問に答えることが男自身の心に憂鬱を招くのか。
「調子がいい時があっただけです。それでプロと呼ばれた時期もあったかな」
「やめたの?」
「ボードはやめてないですよ。ほら」
片足に装着されたボードを指差す。曇ったはずの表情は柔らかくなっている。
なぜだ?
「織田さんもやめてないじゃないですか」
目の前の平らな雪面をスケーティングしながら河内は言う。私に向かって「ほら」と、立てかけてあるボードをあごで示して「ね?」と。
胸がむかむかしている。こめかみの血管が浮き出ているのではと私はいぶかった。こんな男に怒りを発散させても意味がない。
「あんたの話だ」
「河内ですってば」
思わず睨みつける。
「いいですよ、あんたでも。えーと、俺の話だっけ?」
なんなんだ、この男は! へらへらと笑いながら勝手に楽しそうに話を進めるな。人の気も知らずに一体何を考えている!
「運が悪かった。ただそれだけですよ。プロでなくてもボードはできるし、ここにいれば、織田さんにも会える」
にやと笑い私を見る。
苛立ちは限界まできていた。この男とここにいることが我慢ならない。
「もういい! 私に話しかけるな」
立ち上がりバインディングにブーツをはめ込む。体をほぐしていないが、今は何よりここから立ち去ることが優先だ。この河内という男と一緒にいる時間が不快でならない。
「なんで怒ってるんです? 俺、変なこと言いました?」
河内の問いになど耳も貸さず私はコースに板を滑らせ始めた。
「待ってください! 俺の話をしただけです」
背中に聞こえる河内の声は、だんだんと小さくなっていった。
「織田さん!」
私の名は織田ではない。今は名も分からぬ生きる意味も見い出せない価値のない、ただの人だ。