My Turn

□小さきものよ「一章:一ノ瀬」
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 もう少し彼女に対して優しくしたいという願望を自分自身に認識させて、水を待つ彼女の元に戻っているとベンチの方で騒がしい声がした。
 嫌な予感がして走る。人だかりができている場所の中心には彼女がいた。

「おい。どうした?大丈夫か」買ってきたペットボトルを放り出してコンクリートに横になっている彼女の肩を揺らした。ベンチから転げ落ちてしまったのか、膝から少し血が出ていた。
 泣き出しそうに繰り返し大声を上げる一ノ瀬を見て担架を持ってきた駅員が声を掛けた。

「君の友達?気持ちが悪いみたいだから駅員室に運ぶけど、いいね」
 一ノ瀬は動揺して頷くこともできず、放置されていた彼女のカバンを力の限り抱いて、担架に揺らされる弱弱しいその体をただ茫然と見送ることしかできなかった。

 そばにいてやらなきゃ。進もうとした足が動かなかった。
 俺が?
 俺がそばにいてやるのか?
 俺でいいのか?

 脳裏に浮かんだのは、彼女の携帯を受け取って丁寧にお礼を言ったあの男だった。



『もしもし、ユキか?今どこにいる?』
 賭けだった。どちらかがあの男の番号なはずだ。一つは表示がない。掛けた番号は彼女の携帯の通話記録にも着信履歴にもあった唯一の名前表示。

【夏生】

「もしもし」
 勢いで電話してしまったせいで何を伝えればいいか何も考えていなかった。上擦った自分の声に一層頭がパニックになった。

「I駅から電話してます。その、ユキさんが倒れて。あの、駅員室にいるので来てもらえますか?」
 一ノ瀬の早口でも必死な言葉が届いたのか、【夏生】という男は『I駅ですね、わかりました』と手短に言って電話を切った。

 ユキ、それが彼女の名前。
 夏生、それがあの男の名前。

 自分の名を名乗ることすらできなかった一ノ瀬は、彼女の黒い携帯電話を手の中に握った。
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