捧げもの、頂きもの

□Wonder Story
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アリス/拓也、帽子屋/輝二、ハートの女王/泉、チェシャ猫/輝一、トランプ兵/純平、三月兎/友樹


体格のいいトランプ兵に連れていかれた先は法廷だった。裁判を見届けろということらしい。たった一人で二階席に置いて行かれた俺は、おずおずと下を見下ろした。高い場所に設置された被告席はまだ空っぽ。それと対面する裁判官の席にはハートの女王が厳しい面持ちで座っていた。
「罪人が入場します!」
あまりに通る声にびくっとして、目を開け放たれた入口に向ける。トランプ兵二人に両腕を取られ入ってきたのは、
「帽子屋、」
無理矢理連れてこられたのだとありありと分かる姿だった。服のあちこちは裂け、頬には血がにじんでいる。だが女王を見上げる瞳に屈服はなかった。
「いかれ帽子屋」
対する女王の声も固く強張っている。だが、それは帽子屋が向ける視線に釣りあうほどのものではなかった。
「命令する」
「……」
「私と、結婚しなさい」
「断る」
え、と零れかけた声は横から不意に伸びてきた手にふさがれた。かろうじて声をのみ込み、目だけをそろりと動かして腕の主を見る。
「九十九回目のプロポーズだ」
「チェシャ猫、」
赤紫と紫の猫がいつの間にか俺の横で法廷を見下ろしていた。ゆらゆら揺れる尻尾とは対照的に、眼は微動だにしない。
「…また、断るの」
「世界に女王は必要だ」
「っだから、次の王を用意したわ!新しい『アリス』を!」
唐突に呼ばれた俺は思わず身を引いた。こちらを指す女王の指は俺を射抜きそうなほどなのに、帽子屋はちらりとも見ようとしない。
「王位継承は認められない。王位を譲る正当な理由がないだろう」
「なら、貴方がこの城に」
「三月兎が寂しがる。あれはまだ幼い」
「…帽子屋」
女王の声はいっそ哀れなほど冷えていた。
「命令に従わないの」
「ああ」
「…そしたら、貴方を殺すわよ」
「お前の望むままに」
帽子屋は微笑む。
「白薔薇を赤く塗るしか能のなかった俺に『いかれ帽子屋』という名を与えた『アリス』がお前である限り、お前は俺を殺せる」
「……っ!」
帽子屋の、大きな帽子がその頭から滑り落ちた。黒い艶やかな髪が肩に流れ、徐々に崩れていく。女王は唇を噛み、彼を睨みつけていた。
「お、おいチェシャ猫」
「どうかした?」
「どうかした?じゃねえよ!何が起きてんだ、帽子屋が崩れていくぞ!」
「名前を奪われたんだ」
「名前…?」
「名前を失うということは存在意義を失うということ。名前を与えた赤の女王は、同時に名前を奪うこともできる」
「それって、」
「処刑さ」
「…!」
頭がぐるぐるする。ちょっと待った、なんだそれは。
「…チェシャ猫、」
「うん」
「それ、おかしいだろ…。女王は帽子屋のこと好きなんだろ?なのに、なんで殺さなきゃいけないんだ。それとも、この世界じゃ違うのか?」
「違わないよ」
チェシャ猫の視線が滑る。俺を見て、にこりと笑う。
「よかった、君がそういうことを言ってくれる人で。力、貸してくれる?」
「…俺は、王にはなれないぞ。帰らなきゃいけないんだ」
「うん、ちゃんと帰してあげる。正しい帰り方じゃないから、ちょっと痛いかもしれないけど」
「それで、あいつらがどうにかなるなら」
「どうにかなるかは本人たち次第だけどね」
「…帽子屋は、女王のこと嫌いなのかな」
「さあね」
さあね、って。そんな確率にかけるのか?
「かけるさ。君は捨てるの?」
「…馬鹿言え」
チェシャ猫は身軽に欄干の上に飛び乗った。女王と帽子屋、そして傍観の俺の間で止まっていた時間が、動き出す。
「『泉』『輝二』」
女王の視線が動く。チェシャ猫を見据え、揺れる。帽子屋の目も動いた。チェシャ猫と、そして俺を崩れゆく体で静かに見ている。何の恐れもないように。
「王の座は俺がもらうよ」
「…!」
「だから『泉』、玉座を降りるといい。君は『輝二』のもとに行くんだろう」
「チェシャ猫」
制止の声を上げた帽子屋には見向きもしないで、チェシャ猫は極彩色を宿した緑の瞳を俺に向けた。
「『いかれ帽子屋』の名を、彼に与える」
「俺に?」
「そして彼に『帽子屋』の全ての咎を与え、この世界から追放する」
それって、つまり。女王と帽子屋から名前を奪ってもう一度違う名前で呼んで、だから二人から二人が負わなくてはいけない義務を奪ってまっさらに生まれ変わったことになって、んで同じ名前を得た俺らにその義務が与えられて、その結果俺はこの世界を出ていかなきゃいけなくて?
「女王、是とするならば俺に王冠を」
唇を噛みしめて、彼女は泣きそうに顔を歪めた。
「チェシャ猫」
かつて帽子屋だった男は、崩壊がとまった体でチェシャ猫を呼ぶ。猫は、笑った。
「お幸せに」
高い金属音に紛れる言祝ぎだった。滑り落ちた王冠も気にせずにハートの女王だった少女は走り出し、帽子屋だった男の腕の中に飛び込んだ。
「っ!」
「一緒に…生きてよ…っ!」
裂けた服も血のにじんだ頬も変わらないまま。でも確かに、男はそれまで見せなかった表情をした。
「…きっと、必要とされていない存在なんだろうと思っていた。お前が俺に、『帽子屋』の名前を与えて城から放り出すから…」
「馬鹿っ!」
涙で潤んだ少女の瞳は、とても綺麗な翠だった。
「ずっと一人で、寂しかった…」
「…『泉』」
チェシャ猫は俺に視線を向ける。俺は薄れ始めた体を示し、一つ頷いた。
「これで帰れそうだ」
「よかった」
「…チェシャ猫は、いや、『ハートの王』はこれからどうするんだ?」
「適当に『アリス』を引きずり込んで次の継承者にして、さっさと隠居するよ」
「なんつー…」
「いいじゃないか。これで物語はハッピーエンドだ」
にこりと笑った顔は猫らしくないくらい綺麗。寄り添う二人はハッピーエンドそのままに幸せそうで、ばらば らと薄 れる 意識の 先 で

目を開くと、大分傾いた日差しが木漏れ日になって目の上に降ってきていた。翠、金、黒、紺、緑、脳裏でぐるぐる回る色は瞬きの度に薄れていく。気だるい体を起こして伸びをした。帰らなくちゃ、弟が呼びに来る前に。


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