短編

□心猿
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食べてしまいたいくらい可愛いという言葉がある。もちろんそれは比喩だし、実際に食べてしまった、という話もあまり聞いたことがない。


けれどボクは違う。比喩なんかじゃなくて、本当に食べてしまいたくなる。欲しいと思ったものや、気に入ったものは全部、腹の中に収めないと気が済まない。だから何でも食べた。腹が減ったと感じる前に、食べたいものは全て食べた。我慢なんてものはしたことがなかった。しようと思ったこともなかった。これから先も、そうやって何でも食べるんだろうと思っていた。なのに。


彼女がボクに呪いをかけた。ボクは彼女が好きで好きで好きで好きで仕方がなくて。彼女の柔肌に牙を突き立て、その肉をその血をその魂を、全部全部喰らい尽くしてやりたいのに、なのに。喰おうとした瞬間、彼女は笑った。今までボクが喰らってきた奴らは泣いて命乞いをしたっていうのに。彼女は笑ったのだ。


食べたいという本能と、食べたくないという理性がせめぎ合う。食べたいけど食べたくなくて。食べたくないけど食べたくて。ボク自身何を言っているのか分からないけれど、ボクをこんな風にした彼女は、今も変わらずボクの隣で笑っている。今だってボクは彼女の喉に咬み付きたいのに。


彼女がかけた呪いのせいで、ボクは枷を付けられたかのように、身動き一つ出来やしないのだ。そんなボクに寄り添い笑う彼女に頭がクラクラ。甘い香りに目が眩んで、今にも喰ってやりたい。けれど頭の中で何かが駄目だと叫ぶ。一体何が駄目だって言うんだろう。今までこうしてきて、今更駄目なことなんかあるもんか。それでも頑なに駄目だと喚く何かに折れて、結局我慢我慢。


でも慣れないことはするもんじゃない。我慢をすればするほど辛くなって、どうしようもなくなって、メチャクチャにしてやりたいと思って。けれどもそれも我慢するから堂々巡り。ついにボクは彼女にそのことを打ち明けた。彼女にかけられた呪いを解いてもらおうと思ったんだ。


呪いを解いて下さいと彼女に頼んだら、彼女はとても驚いていたようだった。詳しく説明すると、納得いったのか、また笑う。そして言った。




「簡単なことだよ。呪いを解きたいのなら、私を食べちゃえばいいんだよ」




それが出来ればどれ程楽か。それが出来ないから苦しいのに。


苦しくて苦しくて、にっちもさっちもいかなくて。彼女ならボクを助けてくれると思ってすがったのに。どうして、どうしてどうしてどうして。どうしてそんなに綺麗に笑ってそんなことを言うんだろう。こんなのって、あんまりだ。酷い。酷いよ。彼女はきっと魔女なんだ。


彼女がそうして笑う度、胸の真ん中がギュッとする。きっと呪いの核がここにあるんだ。ボクの魂に絡み付いて、彼女に笑い掛けられる度に更に重ねられていくんだろう。




「アマイモン、それの名前を教えてあげる」




彼女は笑う。




「心猿って言うのよ」





心猿



心猿…心の欲の制し難い様を、猿が喚き騒ぐのに例えた語

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