短編
□嵐の夜、無欲な部屋にて
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嵐だった。
びゅうびゅうとまるで遠慮を知らない風が、ガタガタと窓枠を鳴らす。
きっと今夜は来ないだろうな。
窓しかない部屋の真ん中で横になりながら、うるさく鳴り続ける窓を見つめて思った。
ここは一体どこか、なんて、私には知る由もない。強いて言うなら、ドアのない壁に囲まれた部屋だ。そう言う他ない。
だってここには、窓しかないのだもの。
しかもその窓だって、微妙に私の身長では外を伺えられない位置にある。
おあずけを食らった犬の気持ち、とはきっとこんな感じに違いない。
最初こそ色々なこと(例えば食料など)をどうすればいいのか分からなくて。けれどここではあまり、いや、全く欲求という欲求が働かないことに気づいてからは、何もかもがどうでもよくなって、日がな一日ゴロゴロと、ある意味幸せな日々を過ごしていた。
いつからここにいるのかなんて、50日を過ぎた辺りから数えなくなったので、よく分からない。数えるのを止めた日だって、一体どれくらい前だったのかも忘れてしまった。
今はこの部屋にいるのは私だけだが、数日に一回程度の頻度でここを訪ねてくる男がいる。その男によれば、私はかれこれ4年はここにいるらしいが、とにかくその間、私は一度たりとも腹が減ったとも、眠いとも、退屈だとも思ったことはなかった。
男の名前は知らない。
知ろうという欲求も生まれないし、向こうもまた何も言わない。だから私も名前を教えていない。
彼は私のことを"ぼさぼささん"、と呼ぶ。
それは私の髪がぼさぼさで、櫛をまったく入れていなかったから。
私は男を"とんがりさん"と呼ぶ。
それは男の頭が、天辺のところでつんと立っていたから。
時折彼は、くわえていた飴を噛み砕き、私にくれた。
私は彼にあげられるものを何も持っていないが、"オクムラ リン"という人の話を聞いてあげる。
男はそれで満足していたし、私も甘いものが食べられて満足していた。
ムクリと起き上がってはゴロリと寝て。ゴロリと寝てはムクリと起きて。
眠いと思ったことはないが、寝ようと思えば寝ることが出来るご都合世界。
もう寝てしまおう。風の音もうるさいし。
次に目を開いた時には、窓の外も明るくなっているだろう。風も幾分か落ち着いているかもしれない。
そう思って目を閉じた時、ごぅっという何かが唸るような音がして、部屋の中がかき混ぜられた。
まさに寝耳に水。飛び起きて辺りを見渡す。久方に感じた強い風に、ぼさぼさの髪がさらに乱れる。それを手で押さえ付けて窓の方を見ると、やはり窓が開いていて、大粒の雨粒と共に風が吹き込んでいた。顔に当たる雨が冷たい。風のせいでうまく前が見えない。
「とんがりさん?」
窓を開けたであろうと思われる男に呼び掛ける。暫くしてばたん、と窓が閉じられた音がした。
伏せていた目を上げると、やっぱりそこにはとんがりさんがいて、この嵐の中わざわざ来てくれたのか、服も髪もぐっしょりと濡れていた。
「こんばんは、ぼさぼささん」
「え、あぁ、こんばんは」
顔を流れ落ちて行く水滴なんて気にならないのか、彼はいつも通りに口を開いた。私も反射的に挨拶を口にする。
「すみません、」
「えっ?」
「起こしてしまったようだったので」
「あ、いや、気にしないでください」
どうせちっとも眠くないんですから。
そう言うと、そうですか、良かったです。とだけ彼は言った。
「外、随分酷い嵐ですね」
意味もなくポツリと溢すと、そうですね、という返事が返ってきた。
とんがりさんを振り返ると、唇に何かを押し付けられた。一体何かととんがりさんに目配せをすると、口を開くように言われた。言われた通りに少しだけ口を開くと、その隙間からコロンとあめ玉を放り込まれる。ふんわり甘い匂いが鼻を擽った。
「今日は何の話をしましょう。何がいいですか?」
「あ、"オクムラ リン"という人の話が聞きたいです」
「ハイ、分かりました」
とんがりさんは一度首を縦に振って、それから話し出した。
びゅうびゅうとまるで遠慮を知らない風が、相も変わらずガタガタと窓枠を鳴らす。
嵐だった。
嵐の夜、無欲な部屋にて
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