短編
□知りません、そんな人間
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床に臥せった女が一人、ボクは心配そうに彼女の顔を眺めている。女の顔は随分青ざめていて、きっとこのまま死ぬんだろうな、と心の中で呟いた。
女は黒く艶やかな髪をシーツに広げ、ぼんやり天井を眺めている。それに視線を合わせようと少し前に屈むと、何の前触れもなく、女が右の手をゆるゆると力なく持ち上げた。
ボクに気付いていないのか、まるで何かを掴むようにさ迷うその細く白い手を取って、ボクは言う。
「詩音、死なないでください」
と。
女はやっとボクに気付いたのか、少しだけ笑った。虚ろな瞳で少しだけ笑って、そのまま息絶えた。
気付くとボクは、女の華奢な体を抱き締めていた。何故か悲しくて、女を抱いたまま辺りを見渡す。
兄上や、女の友人達がボクと、ボクに抱かれている女を見ていた。皆、一様に悲しげな顔をしているが、誰一人として泣いてはいなかった。
詩音、と小さく呟いて、自分の声が随分震えていることに気付いた。
「これは、夢だ…!」
と、そこで目が覚めた。
最近ボクはおかしな夢を見る。内容はいつも同じで、詩音が死ぬだけ。目が覚めた時は決まって呼吸が荒い。悪魔が悪夢に魘されるなんて、聞いたことがない。
夢の内容に、覚えは全くと言って良いほどなかった。兄上に尋ねてみても、不思議な顔をされるだけ。いや、内容云々の以前にそもそも、
「詩音って誰ですか?」
確かに女を抱き締めていた腕を眺めながら、まだ日の昇らぬ世界で呟いた。
知りません、そんな人間
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