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あなたの隣に誰かいる[14]


昔の話だ。
昨日のことのような話なのに、二度と取り戻せない苦しみを、お前には理解できないだろうよ、土方。



受験と進学。その先の未来まで託されるような重い任務は、自分には不向きだと知っていた。
どうして教職など取ったのかと今更な質問を揺り籠でも繰り返し、その日、目が覚める瞬間ですら鬱鬱しかった。
面倒くさいな、の一言が漏れた。

高校3年ともなれば、授業中大暴れして講義をボイコットする、といったヤンチャな学年でもないから、
一種、楽ではある。
少なくとも小、中学校よりはマシだと思っていた。
まあこの二つは向いてはいない。まだ物事の良しあしの、端っこしか齧ったことのない子供の相手など耐えられない。

自分には、両親の代わりになるような包容力のかけらもない男だと思っていた。
格別な愛情を受けたわけでもないし、大分前に両親は事故で亡くなっているわけで。
良かったことと言えば、無駄に広い家で、親戚連中の強張った顔の筋肉を覗い見る日々が、自分を人よりも早く、
自立させたということだろう。

今年は桜の目覚めが早かった。年々少しずつ、旬のタイミングがずれていくのは奇妙でしかない。
銀時は教室のカーテンを開けた。
はしゃぎまわる少年少女に、昔の自分は決して重ならないと苦笑いした。
「新学期か…」
みんな、学校に来るの早いな。

クラス分けが今日、彼らの一大事だった。
銀時はZ組の担任だった。おそらく自分の名前を見て、首を傾げる生徒がほとんどだろう。
担任を受け持つのは二度目で、しかもこの学年の担任は初めてだからだ。
銀時、という名前は珍しいから、知名度だけはあったかもしれないが。
どこへ行っても自分は常に異邦人でしかないし、どう思われようが、別によかった。
少しでも楽しい一年であればいいな、という希望が、自分の背中をちょっと押すだけで。


「今日からみんなの担任になる坂田銀時です。よろしくねー」


少年少女は名物でも見るような目で、黒板を背景にした銀髪の男を眺めていた。
面白おかしく自己紹介をするつもりはない。愛想だけは繕う。これは習慣だ。
多分、自分は一年後も君たちを愛さないだろうし、と銀時は冷ややかに構えていた。


見渡して、ふと、銀時の視線は一点に留まった。


(お…)
かわいい子。率直な感想だった。

後ろのほうの席の子だった。欠伸をして眠そうにしていた。
ストレートの黒髪で、長い前髪が、片目を隠していた。
切れ長の二重に小生意気な印象を受けたが、どことなく、繊細な部分も匂わせた。

思わず名簿を確認する。『高杉晋助』

(しんすけ、か…)
君を愛してやまない日が来ようとは。

試しに話しかけてみたら、とても素直な子だった。
その時はいい子だなあと感心した程度だったが、きっとその時から、自分は君にぞっこんだったと思う。
一語一句、優しさを交えた、たまに棘のある受け答えが、銀時の心を柔らかくかき混ぜた。

教師と生徒。近づいた理由も、惹きつけあった理由も、立場は関係してない。
自分の目の前に立った君はもう、抱きしめたくて仕方ない、魅力的な子だった。

自分が抱いていたのは、どうこの障害を乗り越えて、とかいう苦悩ではなくて、
君と食事をして、抱き合って、キスしたいな、という、
初めて抱いた、少年のような恋心だったと思う。

だからデートに誘うことにも、躊躇いは一切なかった。
勿論向こうは驚いていて、メールの返信が、不安になるくらい遅かった。
受け入れてくれた時はほっとして、らしくもなく、デートプランを必死に練った。
否、自分にそんな一面があるのだと、知る機会にもなった。

晋助のことがほしくて仕方ない、という顔を、年上ぶって暫くは出さなかったと思う。
だけど一緒にいると、どうしても手が出そうになって、付き合う前が一番、苦労していた。
結構無謀だし。

「先生…」

満更でもない声が、衝動でキスをしてしまった後、晋助の口から洩れた。
震えていたけど、きっと君も好きだって思ってくれてたよね。
抵抗もなく、黙ってそうされていた小動物のような晋助を、自分以外には拝ませたくないとさえ思った。

好きで好きで仕方ない、という感情を、君のおかげで味わえた。
自分がこんなに嫉妬深い男だということも知らなかった。凄いことだった。
経験は豊富なほうなのに、手探りすぎるセっクスをした。
普通の少年の身体が、あまりに眩しく自分には映った。触れていいのか、と自問自答して、やっと繋がった。

「好きだよ…今、俺、すごくやばいよ…」

情けない顔でそう伝えたかもしれない。
晋助が初めてなのか、そうでないのか、それすらも分らぬほど、頭が真っ白だった。

「俺も好き…」

銀時、と最中に笑ったよね。
あれ、ずるいよ。

あっという間に全てが叶えられる距離にいても、朝起きては電話をして、また明日、と別れたばかりでも電話をした。
馬鹿な男だと思わないでほしかった。だけど、何でも素直に、すんなり受け入れた晋助が、自分の中ではもう、
自分の命以上に大事なものだった。

今となっては、大きすぎてどうしたらいいのか分からない。
神はなぜ、愛情を醜くする術を思いついたのだろう。


「銀時、死んじゃダメだ…」


俺では、ダメでしたか?
いずれ晋助を不幸にする男だと、あなたは見抜いていたのでしょうか…

そんなことは…

少なくとも、この男のほうがいいなんてことは絶対にない。



殺してやる。土方。
ここからは思い出という、精神世界でしかない場所で。

見慣れた商店街を歩いていたはずが、いつの間にか、記憶にもない狭い一本道を歩いていた。
思わず空を見上げると、灰色の雲しかない、孤独な景色にも思える。雨が降るようで降らない、奇妙な天気だ。

「どこへ連れていく気だ…」

土方は身の危険だけ付け足されていく感覚に呑まれそうになりながら、神経を尖らせる。
平坦な道のはずなのに足がとても重い。
一歩踏み出すだけで、体力が確実に削られていくのがわかる。呼吸が弾む。

「晋助に会わせてやるよ」
「え?」

意外な切り返しに、土方の顔は皺を寄せる。
次の言葉を待たせずに、男はさっと踵を返してきた。土方を睨む。

「触れさせねえけどな」

土方は頬を強張らせる。
細められた男の目は、尋常でない火の灯し方をしていた。
悪意、なんてレベルではない。
まさにこれから神の天罰を自分に与えようとしている。そんな感じだった。

「お前は…何者なんだ…」

喉を震わせて、土方はやっとの思いで口にする。
携帯電話の中に大切に保管されていた一枚の写真が、土方の脳裏を掠める。
高杉の隣にいた男と、この男が重なる。7年前という、時間差。
占い師の不吉な予言と、意識を失う前に微かに聞こえた、この男の声が、聴覚の裏で不協和音を奏でている。

高杉の顔が浮かぶ。
最後に冷たい視線を投げかけた彼と、彼を殴った自分と、それらはその前の、平和な日々と一緒に首を擡げる。

様々なものに、苛まれた。
もうわけがわからない。誰だお前は。何を目的に、自分を殺そうとした。晋助と、何かあったのか。だとしたらどんな関係だった。


「そのうち分るよ」


先のないお前には、意味のないことだと思うけど。
土方にその言葉が届くことはなかった。

沈黙の時間が続いた。進めば進むほど酸素が薄くなっている気がして、土方は眠気さえ覚えた。
悪い夢でも見ているようで、自分の感覚が徐々に信じられなくなる。
ああ、どこに向かっているのだろう本当に。
自分たちを囲っている木々が、息苦しいくらいに差し迫っている気がした。
趣きなどない、両側はただの壁のようだ。

一体誰についていっているのかさえ、分らなくなってしまう瞬間が何度かあった。
時折、夕飯のことを考えた。家では晋助と、シンが待っている。今晩はどんなメニューだろう。
なぜだろう、とっても疲れている。どうして自分は家に帰ろうとしないのだろう。
晋助が心配するだろうに。


「トシ」


土方は咄嗟に振り向いた。
真っ白い霧一面の景色に、きょろきょろする。今、確かに声が。
そのまま呆然と立ち尽くしてしまうと、前を進んでいた男の足も止まり、距離が広がった連れに踵を返す。

「何してる」
「今…晋助の声が」
「殺すぞ」

男が口を尖らせる。向き直ると、男の目は冷ややかすぎるくらいだった。


「晋助がお前を呼ぶわけがねえよ。あの子が必要としているのは俺だ」
「………」
「お前じゃない」


いつの間にか、行き止まりになっていた。否、男の後ろには、ドアがあった。
どんな造りだかよく見えないが、家、だろうか。
男は鍵を握りしめていた。鍵穴にそれを通す。
ガチャリと、左にまわした。

扉は静かに開けられた。中の様子が少しだけ窺える。
視界に飛び込んできた、狭い玄関。靴が二足、並んでいる。双方ともスニーカーだった。
土方と同じくらいのサイズのものと、それより小さめのサイズのもの。
後者は見覚えがあったが。どこで見たんだっけ、この靴。


「遠慮なくあがれよ」


土方を先に通そうと、彼は室内への道をあけた。
明らかに罠であろう案内人に対して睨みを利かせながらも、それでもここへ入らなければならない、という感情が先にあって、
土方はおそるおそる、足を踏み込んだ。

靴を脱ぐ余裕もなく、一歩一歩、土方は進んでいく。
薄暗い中の様子を探りつつ、一方で男に背を向けていることに不安を覚える。
一人暮らしの男の部屋、という感じで、洒落ているわけでもなく、どちらかというと殺風景だった。
小さな本棚があって、一番上の段は、単行本サイズのものが並んでいる。よく見ると、小説のようだ。
二段目は教科書だろうか。その下に問題集も何冊か並んでいる。古典、現代文?

台所も狭い。料理もしにくいだろうな。食事をするテーブルも小さい。
窓にジャケットがかかっていた。スーツジャケット。
左から右を目で追うと、右の端に、何かある。

これは、写真立てだ。
土方は引力に引き寄せられて、それに手を伸ばす。
今時写真立てとは、と、それを眼前に翳した。

土方はそれから目を離すことが出来なくなった。
指の筋肉が夥しく痙攣した。両目に宿した映像がぶれる。
気づけば土方は、携帯電話を手にしていた。
液晶画面には二人の人物が映っていた。ふたりとも笑っていた。



「おなじ、だ……」



あの、画像と。
土方の足元に写真立てが落ちる。
足音が忍び寄ってくるのを背後に感じていた。土方は動けない。
どういうことだ。なんで、ここに。


「もう7年前かな…懐かしいね」


すぐ後ろに男は立っていた。土方は振り向けないでいた。

「幸せだったんだ」
「………」
「顔を見ただろ?嬉しそうにしてるの、わかるだろ」

写真立ての面は割れて、硝子が散らばっていた。
二つの表情は、その破片で歪んでいるように見える。

「何でだろうな…どうして神は気まぐれの刃を俺に向けたかな…俺は何も贅沢してなかった」

光がほとんどない世界でも、写真の歪みだけは鮮明だった。
透明な一片は、人物が泣いているように錯覚させた。

「その子は、俺みたいな男を疑いもなく受け入れてくれて、好きでいてくれた。いなくなった今でも、
忘れないでいてくれてることもわかった。俺もその子のことだけは、片時も忘れたことがないんだ。
思い出したくもないことのほうが多い中で、その子だけは、心臓が止まってしまった後でもずっと残っていた」

自分に重なる影がないと気付いたのは、その時だった。
瞬時に凍りつく感覚にそう促されて、土方は振り返る。

男はすぐ目の前に立っていた。足元に、影を落とさずに。



「まさか……お前は……」



土方の言わんとすることに、男は表情を変えなかった。
冷たくなった熱が土方の鼓動を凄まじく早めていく。

暗がりで男は沈黙に笑う。土方から少し遠ざかり、背を向ける。
男はそのままゆっくりと進む。
青暗い中に、薄ら横長の輪郭が見えた。

ベッドだ。
そう理解した時は、男はベッドのすぐ傍まで行って、膝をついていた。
柔らかく空を切った二本の指は、ベッドの上の何かに触れていた。

土方は目を凝らす。
一体何に触れている。物を見る器官に、全神経を集中させる。
指はそれを撫でた。はっとした。



「晋助……」



さっと男がこちらを睨みつけた。
赤信号。
土方は青ざめて、真っ先に男に殴りかかった。



一瞬の間にどうなったのかわからない。
銀髪の男と取っ組み合いになったが、人間とは思えない力で床に抑え込まれた。


暗い、よく見えない。急に首のあたりに圧迫感が広がる。
不意に土方は呻いた。男の腕に締められているのだと気づく。


「やめ、ろ…っ」


ほとんど声なんて出なかった。正直頭が上手くまわらなくて、只管もがいていた。
弱弱しく握られた拳で、抵抗を試みる。
それは相手に触れもしないで、締め付ける力だけが恐ろしい勢いで強まった。


「地獄に堕ちろよ、盗人がっ」


自分の知っている杉田数馬の声ではなかった。
冷静になれ、と自分に言い聞かせるが、呼吸のほうがやり場をなくし始めた。
意識が静かに去ろうとしている。

全然見えない。相手の顔ですら。
神経は自分の手から離れていく。


(こんな、ワケわかんねえままで…)

晋助、まだちゃんと話し合ってもいないのに。


土方の目が閉じられる。
もうすぐ死に顔になるであろうと、男は満足気の笑みをこぼして相手の面相を覗き込んでやる。
もう終わりだという確信があったのだろう。男は力を弱めていった。

不意に、左の頬に鋭い痛みが走る。次の瞬間、左の視界が失われた。

男の両腕は土方から離れる。半面を抑えたまま呻き声をあげて、男は塞ぎ込んだ。
顔の半分が物凄い熱を帯びている。
呆気にとられたまま、男は襲撃の方向を見やる。


「猫……?」


黒猫。

それは威嚇の牙を剥けていた。双方の爪は、血ぬれている。

土方は酸素の通り道が開かれたと共に、意識を取り戻した。
詰まって、咳き込む。
状況が把握できないまま身体を起こすと、予想だにしない光景が飛び込んできた。

「シン?」

暗闇の中でも、土方の目にははっきりと、小さな黒猫が英雄に映った。
男が土方の声に反応する。
先に動いたのは土方だった。

視界の不自由さからか、男の動きは鈍く、土方を抑え込もうと起き上ったのも束の間、
土方が瞬時に足をかけ、相手を崩しにかかった。
相手が床に倒れ込むと、黒猫がさらに追い打ちをかける。
縦に傷をつけられている左目に、もう一度、爪をひっかけた。
見事に抉れた。
少々目を塞ぎたくなるものがあったが、とにかく完全に身動きを封じなければ、と、
必死に武器となるものを探した。

今の時代珍しかったから気付いた。
本棚の上に薄らと見えた、旧いタイプのもの。CDデッキだ。

取手を掴んで持ち上げる。男の両足に、思い切り振り落とした。
残酷なことをしていると脳の片隅で思いつつも、今は余裕などなかった。

男の動きが微弱になったのを見届けて、土方はベッドのほうへ向かう。
ベッドの上に横になって眠っている人を、揺さぶった。


「晋助、晋助っ」


ぐったりとなっている高杉の姿。こんな形で、再会になるなんて。
身体が熱を保っていたことにほっとしたが、何度揺さぶっても、反応はない。

「目を覚ますんだ、覚ましてくれっ」

上体を抱き起こして、刺激を与える。眉を寄せもしない。
いくらなんでも深く眠りすぎだ。

「何しやがったあの野郎…」

土方は原因究明を急ぐ。
薬を飲まされた可能性もあるが、身体に傷がないことを確認する。
腕を触った時に、虫さされのような感触があった。
よく見ると、その一点だけが膨れている。血が固まった痕。

注射の痕だ、と直感した。素人が打ったからだろう。
酷い腫れ方をしている。

「ニャーッ」

シンの声を聞いた。
ただならぬ様子に、土方は振り返る。

「嘘だろ…」

シンは空中でぶらぶらしていた。
男に尻尾を掴まれて、逆さ吊りにされていた。

「シンって言うんだコイツ。へえ、まさか晋助からつけたとか?」

男は何事もなかったかのように平然と立っていた。両脚を狙った時、確かに手ごたえはあったのに。
いやそれ以上に、左目がいつのまにか、元の状態に戻っている。

「死んだ人間がこの世で暮らすって、並大抵のことじゃねえんだよ」
「化けモンか…」
「その子と離れたくない」

男は一歩近づく。

「それだけの理由でここにいるんだよ、俺」

お前とは全然違う。その子の必要性が。
シンの尻尾がぐっと掴まれる。間髪いれずに、黒猫の小さな身体は放り投げられ、壁に叩きつけられた。

「シンっ」

黒猫を案ずるも目前の男の存在に、高杉の身体を抱きしめて逃げようとした。
遅すぎた。すでに男の腕がこちらに伸びていた。
掴まれたのは土方の胸倉で、それも首が締まりそうな勢いだった。

先ほどのダメージが急にむせ返してきて、土方は再び咳き込んで蹲る。
男がそれを蹴り飛ばし、高杉との間に距離を置かせた。

体勢を整えようとすると、また足蹴にされ、転がる。
倒れている自分と、立ちはだかる男。絶対的な存在に思えた。

「目障りだ」

身体を支えようと踏み出した左手に、踵を落とされた。
あまりの痛みに土方は絶叫に近い声をあげる。これは折れた。
煩わしいと思ったのか舌打ちをした男が、また土方の腹を蹴って寝返りさせる。
残る可能性すら見いだせないまま、土方は暴力に耐えるしかない。

「くそ…」

狭い視界が横たわった高杉の姿を捉える。それも徐々に小さくなっていく。
数日前。すべてが嘘のようだと思った。


































「救急隊ですっ、どいてください」

白いヘルメットを被った、顔のない男たちが大勢、血まみれの恋人を取り囲んだ。
彼らは標的を暫く見据えて、耳打ちをし合った。

「ダメだな、こりゃあ。魂抜けかけてる」
「早いとこ処分しちゃいましょう」
「そうですね、腐る前に」

影たちが急に気味の悪い笑い声をあげ始める。
恋人の身体を持ち上げ、得体の知れない乗り物へ運ぶ。

「待って…」

銀時を、どこに連れていく気だ。

高杉は手を伸ばして、彼らに呼び掛ける。
高杉の声に影たちは動きを止める。

「俺も同行させて」

言うと、彼らは目に見えない面相を向け、

「一緒に来たら、魂抜けちゃうよ」

と、掌で高杉が近づくのを制してきた。

「銀時は…?」
「この男はもうすぐ死ぬ。だから連れていく」

高杉は顔色を失くす。


「そんなの、いやだ…」


銀時が死ぬなんて。
影たちに抱えられている恋人が突如、目を開く。


「晋助…おいで…一緒においで…」


指先まで伝った血が、一滴一滴、地に落ちる。手招きしてくる。

「銀時…?」
「俺と一緒に、おいで…晋助…」
「……うん、行く…」

その手に届きたい、と手を伸ばす。一回り大きな手が、背後から伸びてきて掴まれた。



「行くな、晋助」



え?

高杉は即座に振り返る。



「トシ……?」



何でここに。


「そっちに行くな。行ったらお前、死ぬぞ」
「で、でも…」
「しっかりしろ」


一喝された。そのあとはその両腕に包まれた。
あたたかい、と思う。


「俺が守るから、そいつの分も」


だから、晋助。
目を覚ましてくれ。


違う次元に飛ばされる感覚に陥った。
急に身体が重力を感じ始めた。だるさを覚えた。

「……ん……」

あれ、暗い。
重苦しい瞼を、数秒かかってあげる。
飛び込んできたのは眩しい光、ではなく、闇の中に僅かに残っている光だった。

ここは、どこだ?

高杉は自分が眠っている状態であったことを理解した。
寝心地の悪いベッドだ。枕も高い気がした。
誰かの家に泊りに来ていたっけ?慣れない場所だから嫌な夢を見たのか。



『おいで…』



いや、違う。
音が鼓膜を貫いてきたのはその時だ。

はっとして、闇界を探る。

争う音を聞いた。聞き覚えのある声と声だと思う。
その二つはすぐに、はっきりと彩って高杉の視界と心を捉えた。
なぜ、という言葉が脳に響く。


(どうして……)


同時に思い出した。

この部屋が、誰のものかということを。


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