ぬけがら

□アンドロイドサブマス
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ガタン、と勢いよく椅子から立ち上がった音に、デスクワークに集中していた鉄道員達は肩を跳ねさせて音源を見た。その先にいるのはバトルサブウェイを統治するサブウェイマスター・クダリだ。
普通ならばあり得ない、感情持ちのアンドロイドである彼はそれはそれは嬉しそうな顔で、「ノルマ達成、仕事終わった!ぼく偉い?偉い!」と自身を拍手で褒め称える。かと思えば次の瞬間にはぐるんと首を回転させて、未だ仕事に励む鉄道員たちを見回して元気よく言った。あまりの早さに誰かがうおっとびびった声を出す。

「あとはよろしく!ぼく、ノボリのところ行ってくる!」
「…ああ、お疲れさまです。行ってらっしゃい、ボス」
「うん!ばいばい、また明日!」

クダリはせかせかと帰宅準備をするなり真っ直ぐ、ぶんぶんと手を振りながら退室していく。鉄道員たちは慣れたもので、生暖かくそれら一部始終を見守り終えたならさっさとデスクワークを再開し始めた。たった一人を除いて。

「…あの、」
「ん?どうした」
「……『ノボリ』って、誰ですか?」

まだ若い鉄道員が先輩に問う。問われた本人はぱちぱちとまばたきを繰り返し、ああ、と資料から目を離さずに後輩に教えた。そういえばお前はここに来たばかりだからな、とそう言って、

「ボスの兄弟機だ。ずっと昔にシングルトレインのサブウェイマスターをしていたって、記録に残ってる」
「兄弟機?ボスはアンドロイドでしょう?なぜその兄弟機は…」

「……死んだんだとさ」躊躇うような間の後に、先輩はぽつんとそう言った。「ボスに何も言わず、ある日死んでしまったんだと。まあ唯一同等の家族だし、ボスたちは相等仲がよかったらしくてな。ボスは一年に一度、絶対に『ノボリ』に会いに行くんだ。…どこにそれがいるのかは、俺たちは誰も知らない」

るん、とリズムを刻みながら機嫌良く退室していった上司の姿が脳裏に浮かぶ。あの幼さを残すサブウェイマスターの兄弟機とはどのようなものなのだろうか、と若者は考えたが、先輩鉄道員にわかったらさっさと仕事しろと背中を叩かれ、慌てて机に向かい直った。










――彼は、人がめったに足を踏み入れぬ名もない樹海の奥地にたったひとり、ひっそりとそこに存在していた。苔と蔦にまみれた、長い樹齢を思わせる巨木に背を預けている彼は、もうその体を動かすことはない。巨木と同じように、全身を自然に侵食され、まぶたも口元も固く閉ざされ、ちぎれた片腕が繋がっていた肩からはだらんと朽ちたコードが垂れており…。木々を通し淡い日光に照らされる黒コートのサブウェイマスターの姿は目を見張るほどに、神秘的であった。『ノボリ』が起動停止――死んでから、ゆうに百五十年以上は時が流れている。彼がどうしてここにいるかを知っているものは、この世にはひとりだけしかいない。
片割れを傷つけぬよう孤独で朽ちていくことを選んだのは、他でもないノボリ自身だったのだけれど、白コートのサブウェイマスターは彼の行方を探す内に、ここに辿り着き、ノボリが何故そのさだめを選んだのかを思い知ることとなった。…それももう、五十年か、百年ほど昔の話だ。

ノボリの傍に、積み重なったいくつもの、枯れてしまった小さな花がある。それは全てを知った兄弟機が年に一度ここに訪れ、供え続けているものだった。

さく、と水や木々が鳴るだけであったその場所に、ひとりぶんの足音がこだまする。ノボリとは正反対に、白コートで真新しいボディのままのそれは、兄弟機を見て、いつものように貼り付けた笑みではなく、それこそ微笑むように、やんわりと笑った。今にも溶けて消えてしまいそうな、寂しげな笑顔だった。

「――ノボリ、久しぶり」

クダリの声が静かに、空気を震わせて溶けていく。彼はノボリの正面にしゃがみこみ、手袋を外して兄弟機の頬をそうっと、壊れ物を触るように優しくなぞった。

「元気にしてた?」

生きたものに語りかけるような調子のそれは、確かにそこにいるものと話しているようであった。返事もなにもない、沈黙を保つノボリの冷たい額にクダリは自分の額をくっつけて、離して、次はにこりと笑う。

「ぼく?ぼくは大丈夫、ちゃんと仕事してる。ノボリにうるさく言われるの、好きじゃないから、すごくすごく頑張ってる。エライでしょ」

「今日は挑戦者、ひとり来たよ。ぼくには勝てなかったけど、なかなかいい筋。また来るって言ってたから、次はきっともっと手強くなってる。…うん、楽しみ」

「この間ね、育ててたヒトモシがうっかり家燃やしそうになったから、全力で阻止した。大変だったけど、ノボリとぼくの家、ずっとぼくが守るって、約束したから」

「――お花、今年はこれ持ってきた。綺麗でしょ?ヘリクリサムって名前」

一輪だけの、赤いヘリクリサム。それを枯れた花の上に重ねて、クダリは立ち上がる。辺りはもう、オレンジ色に染まっていた。そろそろ帰って、ポケモンの世話をしなければ。明日も早いのだ。

「もう、帰らなきゃ。寂しくなるけど、また来年、絶対来るね」

――またね。ばいばい、ノボリ。

踵を返す。振り返らずにクダリはまっすぐ、元来た道をなぞっていく。しばらくすれば足音も聞こえなくなって、ノボリはまた、ひとりになった。





――何回も何回も、同じことばかりを繰り返す。本当に寂しいのはどっちなのか、けどアンドロイドは泣けない。泣きたいのに泣けない辛さを分かち合えるものすら、もうぼくにはいない。ひとり、ひとり。ああ………ぼくが本当に望んでいるのは、

「――ねえ、ノボリ。ぼくはいつになったら、死ねるのかな」

きみと居れたなら、ぼくにはもう何も要らないと、いうのに、な。




(たとえば世界にひとりぼっち)




▲▽
ヘリクリサム:永遠の思い出

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