最遊記
□ピロートーク
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あんたはきっと、俺の為に、何一つ――――。
久しぶりに屋根のある部屋に泊まれた夜は、必ずと言っていいほど三蔵と悟浄は熱を交わす。
お互いに溜まったものを吐き出し、旅の疲れとはまた違ったけだるさを共有していた。
三蔵はいつものように余韻に浸りながら煙草を燻らす。
そんな三蔵の姿を、枕に顔を押しあて俯せのままの紅い瞳が捕らえた。
情後、煙草をふかす様はいつにも増して雄臭い。
先ほどまで散々鳴かされたと言うのに、その表情を見つめるうち肌が粟立って身体の中に熱が篭り出す。
その度に悟浄は、本気でこの生臭坊主の「女」にされてしまったのだと思う。
男として情けないと思わないではないが、現状に何ら不満はない。
はずだった。
「なぁ、俺の為に死んで」
三蔵の顔を眺めるだけで、今まで静かだった悟浄がかすれた声で言った。
今までの情熱的な時間と比べ随分と物騒な発言に、三蔵の、形のよい眉が歪む。
「って言ったら聞いてくれる?」
「沸いてんのか」
それは悟浄の予想通りではあったものの満足のいく答えではなかった。
「じゃぁ、経文と俺、どっちが大事?」
言っておきながら、本当に女のようでとても無粋だと悟浄は思った。
あまりにも陳腐な台詞に、三蔵もきっと呆れているだろうと想像してなんだかおかしくなった。
「何ださっきから」
案の定、溜め息混じりに呟かれたが、いつもの軽口とは受け取られなかったのだろう、流すわけでもなく聞き返された。
物ぐさなくせに、僧侶としての性か、こんな話に耳を傾けてくれた事が少し嬉しい。
「いんや?たださ―――」
普段なら絶対に言いはしない。
情事のけだるさが、悟浄を後押しする。
閉じていた蓋が、今なら簡単に開いた。
降り積もった思いが関を切って溢れ出した。
「アンタは俺の為に、何にも無くしちゃくれないんだろーなぁってね」
そう、何一つ。
「どうした?」
「別に」
悟浄の言葉に他意はない。
何かを、無くして欲しいわけでは決してない。
ただ少し。
自分を見てくれなかったあの時の瞳が、ほんの少し悲しかった。
カミサマに奪われた経文を取り返そうと不様に取り乱した三蔵が、ほんの少しだけ憎らしかった。
「……俺にはやるべきことがある」
ほらまた、と悟浄の胸が痛んだ。
師匠や経文の話をする時は、三蔵はいつも遠い目をする。
入り込む事など不可能に思えた。
どれだけ欲深くなるのだろう。
好きだと、三蔵の口から聞けただけでも十分なはずなのに。
「俺はこれ以上何も無くすつもりはない」
それは悟浄にもよくわかっている。
それに、三蔵が自分の為に何かを失うなんて、それこそ悟浄の本意ではない。
「知ってる。―――うわっ」
普通の人間には気付かれない程度に溜め息をついた。その途端、派手な頭を掴まれ、乱暴に枕へ押し付けられた。
「よく覚えとけ。『何も』だ、バーカ」
僅かに悟浄の目が見開く。
これでもかというほど顔が赤く染まった。
「……ハズい野郎」
「女みてぇな駄々のこね方してた奴が何言ってやがる」
「こねてねぇし!」
図星をさされて恥ずかしいやら情けないやら。
いつものように、それを逆手に取ってからかう余裕もない。
だから悟浄は気付かなかった。
「――――でもまぁ、言うようになったじゃねぇか」
「ん?何?」
「何でもねぇ」
煙草を加える仕草でごまかされた三蔵の緩んだ口許に。
紫煙はゆっくりと暗い天井へ吸い込まれていった。