書庫 2

□夏祭りの夜 2
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授与所の反対側にある建物はちょっとした休憩所らしく、いくつか長椅子が置いてあり、壁には地元の小学生が授業で書いたらしい書が飾られている。
小学生にしてはかなり上手なものもあれば、年相応の個性的な作品もあり、何とも微笑ましい。
冥加には少々低すぎる長椅子に座り書を一通り眺めていると、そう遠くない未来に自分とかなでの間に出来た子が一生懸命書いた書をこうして此処に飾られるのだろうか等という考えが頭を過る。
将来の約束をした訳でも無いのにそんな事を考える自分が可笑しくて苦笑を溢しながらも、いずれそんな日が来るだろうという妙な確信に手の内に収まっている御守りの入っている袋をそっと撫でた。

「玲士さん、お待たせしました!」

いつもならば冥加の元へと早く辿り着きたいとばかりにぱたぱたと駆け寄ってくるかなでも、今日ばかりはしずしずとした足取りでやって来た。
てっきり着替えて来ると思っていたのに巫女装束のまま現れたかなでに思わず見入ってしまうと、嬉しそうに見上げていたかなでは頬を染めて視線を落とす。

「あ……」

冥加の手の内に収まっている袋を目にして小さく声を上げ、ますます恥ずかしそうに俯く様に微かな笑みを溢すと、かなでは桜色に染まっている頬を膨らませ渋い顔をしてみせた。

「…玲士さんがニアの冗談に乗るなんて思いませんでしたっ。」

悪戯を咎める様にむぅっと見上げてくるかなでに、昂然とした口振りで「支倉の言う事も一理あると思ったまでだ」と告げて小さな袋を差し出す。

「え?」

一瞬の躊躇いの後、ぎこちなく有難うございます、とおずおずと受け取ったものの、何が一理あるのかしらとかなでは首を傾げた。

「子宝は兎も角、安産に関して俺にはどうする事も出来んからな。」

冥加が至極真面目な顔でさらりと言った言葉に最初はきょとりとしていたかなでだったが、しばらく考えてからその意味を正しく理解した途端に頬を赤く染める。
要するに『子供は問題なく出来るだろうが、実際に宿った子を産む事に関しては自分の力が及ばないからせめて御守りを買って安産である事を祈るしかない』と言われたのだと気付き、内から火が点いたのでは無いかと錯覚する程に身体が熱くなる。

「……必要無ければ処分して構わん。」

小さな袋を手にしたまま固まっているかなでをどう思ったのか、素っ気なくそう言った冥加にかなでは慌てて首を横に振った。

「いっ…いいえっ!その…大切にします…」

そう言うと袋を握り締め、恥ずかしそうに俯いてもじもじするかなでに感化された様に、冥加も微かに赤く染まった顔で視線を泳がせる姿は端から見ると新婚夫婦の様な仲睦まじい光景である。
だが、普段からそんな二人を嫌というほど見せつけられている人間にとっては鬱陶しい事この上無い様で。

「……おいっ、そこのバカップル。いつまでも二人の世界に浸ってんじゃねぇよ!ほら、さっさと着替えに行くぞ!」

実は一部始終を見ていた響也は苛立たしげな声でそう言うと、かなでの襟をむんずと掴んで冥加から引き離した。

「きゃあ!きょ、響也っ!?」

よろけながら助けを求める様に伸ばされた手を、冥加が咄嗟に掴む。

「わゎっ!玲士さん!?」

加わった力に響也は顔だけで振り返って冥加を睨み、冥加も鋭い視線を響也に向ける。
おろおろするかなでを挟んで睨み合うこと暫し。
先に口を開いたのは響也だった。

「…かなで。お前が『その格好のまま』そいつとデートしたいっていうなら別に構わないけどよ。」

「うっ…」

ぱっと手を離した響也はかなでを置いて、ふんっと鼻息も荒くずんずんと歩き出した。

「あっ!待って、響也!私も着替えるってば!」

そう言うとかなでは繋がれた手にきゅっと力を込めて「玲士さんも来て下さい!」と引っ張り、響也の後を追う。
もう少しだけ巫女装束姿を堪能したかったがとちらりと思ったが、ぐいぐいと手を引かれるまま冥加も歩き出した。



「じゃあ響也、玲士さんの事よろしくね。」

「…ああ。」

「……何の事だ?」

何をよろしくされる事があるのかと訝しげにかなでに視線を向けると「ふふっ、なるべく早く着替えてきますねっ」と、やけに嬉しそうな笑みを浮かべながらニアと行ってしまった。

「…おい、さっさと部屋に入れよ。」

不貞腐れた様にそう言って障子を開けた響也に、冥加も不機嫌さを隠すことなく眉間に深々と皺を刻む。

「貴様の指図は受けん。そもそも俺が部屋に入る理由が無い。」

かなでを待つだけなのだから、わざわざ部屋に入って待つ必要は無い。
大体、部屋に入った響也が着替えるだけで他に何があるというのか。
そんなものを見たところで楽しくも何とも無い―――かなでの着替える姿であるならば話は別だが。

「……あんたも着替えるんだよ。」

「…何?」

「かなでが、あんたの浴衣姿を見たいんだってよ。」

苦々しげにそう言うと、響也はさっさと部屋の中に入って行く。

「……かなでが?」

その言葉につられ響也の後に続いて部屋に入ると、目の前にずいっと綺麗に畳まれている浴衣を差し出される。

「浴衣を着た事は?」

「………無い。」

だろうな、と嘲笑う響也に、だからかなではこの男に後を託したのかと苦々しい表情を浮かべた。
こんな事になるならば浴衣くらい着れる様にしておけば良かったと思った所で、今更どうしようもない。

「まぁそんなに難しくないから、すぐに着られるようになるだろ。」

そう言ってざっと手順を説明した響也は、後は着ながら教えるからとさっさと着替え始める。
意外にもてきぱきと浴衣を着ていく響也に倣い、冥加も浴衣を着ていった。

「……慣れているな。」

「……地元にいる時は祭や花火大会っていうと浴衣着て遊びに行ってたからな………皆で。」

躊躇う様に空いた間の後に付け加えられた言葉。

それは響也なりの気遣いなのか、優越感なのか。

『皆で』

その中には必ずかなでが居たのだろう。
過ごしてきた時間の差は如何ともし難いと頭では理解していても感情的な部分ではそうもいかず、嫉妬と羨望が胸を締め付ける。
だがそれを悟られるのは矜持が許さず、冥加は何でも無い風を装ってぎゅっと帯を締めた。

「……初めての癖に……つくづく嫌味な男だな…」

出来上がった浴衣姿の冥加を上から下まで確認した響也は、憮然とした表情を浮かべている。
勝ち誇った様に口の端を上げ、浴衣を完璧に着こなした冥加はふんっと鼻を鳴らした。
用意されていた白絣の浴衣は手縫いで丁寧に仕立てられており、布地も上質なものであるらしく体にしっくりと馴染み、涼やかな着心地が心地好い。
袖も裾も、標準よりも飛び抜けて背の高い冥加に合わせた様に丁度良い長さで仕立てられた浴衣は既製品とはとても思えず、ある可能性を確める様に響也に視線を向けるが、不機嫌そうに顔を背けた響也は脱いだ服を片付け始め何も語ろうとはしない。
何となく気まずい雰囲気が漂い始めた時を見計らったかの様に、微かな衣擦れの音と静かに床を踏みしめる音が冥加の意識を障子の向こう側へと向けさせた。

「響也、支度出来ている?」

かなでが障子越しに声をかけてくると、気配に気付いていなかったらしい響也はびくりと体を震わせ、ばつが悪そうに視線を逸らしてずかずかと冥加の脇を通り、少々乱暴な仕草で障子を開けた。

「準備出来てるぜ。」

そう言って体を避けた響也と障子の間からひょこりと顔を覗かせたかなでは、冥加の姿を瞳に映すなりぽぅと頬を赤らめてもじもじし始め、冥加もそんなかなでの反応に照れを隠しきれずに視線をさ迷わせ。
そんな2人に囲まれた形の響也に沸き上がるのは苛つく気持ち、今日だけで一体何回こんな光景を見せつけられたか、だんだん腹が立ってきて。

「あんたの考えている事、正解だぜ。それ、かなでの手縫いだから。」

「ちょ…!響也!?」

頬を膨らませて不満を露にしているかなでから逃れる様に廊下に出ると、響也は足音も荒く玄関へ向かう。
かなでに、その事は冥加に言わないで欲しいと言われていたのだ。
それをあえて言ったのは、自分の気も知らないで冥加といちゃつくかなでへのちょっとした嫌がらせ、大人げないと自覚はある、だが。

「いつも我慢している分この程度の意趣返しは許されて然るべき、といったところか。」

「おぅわっ!は、支倉!?」

いつの間に後ろにいたのか、急に声をかけてきたニアに驚かされた事に文句を言おうと振り返った響也は、その目に飛び込んできた浴衣姿に釘付けになる。
紺地にすっきりと白く染め抜かれた鉄線柄の浴衣、定番の和柄だが意外な程良く似合っており不覚にもどきりと心臓が跳ね、そんな自分に戸惑う。
心情を言い当てられた事もばつが悪く、じろりとニアをひと睨みすると不貞腐れた様子で再びずんずんと歩き出した。

そんな響也にニアは小さく笑みを浮かべながらしなやかな身のこなしで隣に並ぶと、するりと腕を絡めた。

「…なっ!?」

「別に良いだろう?知らぬ仲でも無いのだから。」

「誤解を招く様な言い方すんなっ!」

物凄い勢いでニアの腕から逃れると後退り、睨み付ける…が、真っ赤に染まった顔では迫力も何もあったものでは無い。
解ってはいるが、響也のかなでに負けず劣らずの純情っぷりに愉悦と安堵と、僅かな失望を感じる自分に、ニアは口許を歪めた。
それを響也は自分を笑ったのだと思ったらしい。

「お前な…人をからかうのもいい加減に…」

「心外だな。からかったつもりは無いが………やれやれ、君もかなでの事を言えないな。」

ふぅ、とこれ見よがしに溜め息を吐いて、ニアはくるりと響也に背を向け歩き出す。

「え?あっ!ちょっと待て!どういう意味…」

「気にするな。さて、折角浴衣を着た事だし屋台でも冷やかしに行くか…ではな。」

そう言って再び背を向けたニアの、普段は絹糸の様な艶やかな髪に隠された白い項が夜目にも鮮やかに浮かび上がる。
はらりとかかる後れ毛の艶めかしさに胸がざわつき、落ち着きなく視線をさ迷わせた。
だが、そうこうしている内にもニアはすたすたと歩みを進めていき、はっと我に返った響也は慌てて後を追いかける。

「………何故ついて来るんだ?」

隣に並んだところでニアの歩調に合わせて歩く響也を見ずにそう問い掛けると、決まり悪そうに顔をうろうろさせる気配。

「………そんな格好で、女一人歩くのは危ないだろうが。」

ぶっきらぼうにそう言った響也にニアは一瞬驚いた様に目を見開き、そうして口許を嬉しそうに綻ばせたが、そっぽを向いていた響也はその事に気づかなかった。

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