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針[2]


再び
8.
断末魔も今や音楽と同じような感覚で聞けるようになった。
「あらら、晋助どうしよ。失敗」
頭を真っ二つに割ろうと斧を振りおろしたのだが、顔の真ん中あたりでハマってしまった。
抜けない、と男は弱った表情を向けてくる。高杉を、母親のような存在だと思っているらしい。

人が集まってくる気配がした。皆、尋常でない叫喚を聞きつけ、身震いしたのだろう。
「やばい、いったん消えるわ。銃貸して」
「………」
この男は銃で頭を撃ち抜かれた瞬間を経験している。
どのようなものだろう。痛みはあるのだろうか。その前に意識が飛ぶのだろうか。
「晋助、あとは頼んだよ…」
無垢な表情で銃口を眉間に宛がう。他人の命も、自分の命さえも、この男にとっては遊戯のための道具でしかない。

「生き返ったらチロルチョコ食いてえな」
弾の破裂音と共に、男の身体はばたりと倒れる。脳みそと思われるものが、床に断片的に散らばっていた。
(こうして見ると、人の命は虫けらにも値しない)
脆い。簡単に、あっさりと切り捨てられる。
高杉は死体の傍で膝をつく。血まみれの頭に触れ、横髪を掻きわける。

針。

高杉が男の頭に埋め込んだものだ。先端が鈍い輝きを見せているそれを引き抜くと、血肉のついた部分を口に含む。
血の味。肉の味。これが命の重み。否、命の「軽さ」だ。
そっと、ポケットに隠した。

「ずらかるか…」

人生もまたゲームだ。一人一人は何だ。ゲームの駒でしかないのだ。
この、高杉の頭の中だけに眠る、最先端のテクノロジーさえ、一人の男のちっぽけな願いのため、
完全犯罪のための手段になり下がっている。
駒でしかない高杉がゲームを楽しむための、ただの手段なのだ。

9.
再び。
テレビを見ながらの食卓で、近藤は箸を止めることになる。
「次のニュースです」と途端に重い表情になる、このニュースキャスターには覚えがある。目の下に影を作るような、少し前かがみの体勢。
嫌な予感が背筋を撫であげた。

昨日の午後9時頃、○○市に住む○○さん55歳が、斧で頭部を切断されるなどして、殺害された事件。
斧で、頭を。
どれだけ凄惨な状況であったか。被害者はその時人間としての原型を留めていたのだろうか。
近藤は嘔吐感が込み上げ、口を押さえる。

「犯人は…」
口元の動きだけに、視覚を集中させる。
その名前を聞いた時、あの時の、異色の感覚とも呼べる衝動が、渦巻状になって現れ、近藤を夥しく戦慄させた。


平賀三郎。


おぼろげな記憶の中に、謙虚に漂っていた名前。
だがそれは、このニュースキャスターの一声によって、あまりに強烈なものに変化した。
さらに次の瞬間、近藤は目を見開いた。

「犯人は、すでに亡くなっている、との情報です」

頭を、銃で撃ちぬいて。
犯人の写真が出る。ああ、と近藤は声をあげた。
あの人だ。
あの時、スーパーの袋を抱えていた男。大柄で、たくましそうな男だった。

「どうなってんだ…」

猟奇的事件が再び。そして、自殺。
坂田銀八と同じだ。しかも、その恋人は、またもやノーコメント。
白い猫を一匹抱えて、よってたかって恋人に共犯者の汚名を着せようとするマスコミをまるで相手にせず、淡々とした物腰で、通り過ぎて行く。
彼の持てる心づかいは、すべて腕の中の猫に注がれてしまっていて、周囲を空気にしている。

高杉晋助。
近藤の疑心は、今回の事件ではっきりしたものになる。
坂田銀八に、この平賀三郎。双方に関わっている人物。
対面した時は、怪しいという、素振りも見せなかったが(むしろ、同情を誘うような人物であったが)、それは、自分が見抜けなかっただけではないのか。
そうだ。自分たちが見抜けるくらいなら、とっくに警察に捕まっているだろう。

「そういや、トシのやつ…」
高杉とメルアドを交換していた。
土方のことだから、執拗にメールを送っているかもしれない。メールの内容から、何か掴めないだろうか。
今回の事件を、土方はどう受け止めるだろうか。


針を愛する男
10.
高杉は携帯の液晶画面を開き、フっと不敵な微笑を浮かべる。
欠伸をしながら、高杉の腕に収まっている猫が不機嫌な鳴き声をあげた。
「もうしばらくの辛抱だ」
溜息混じりの言葉をかけながら頭を撫でてやると、観念したように、猫は瞼を閉じる。

「食うか?」
チロルチョコ。あんぐり開けられた口の中に放ってやると、至極幸せそうに噛みほぐした。
「次の身体が決まったよ、銀八…」
牙を茶色にして、猫は耳を立てた。名前を聞いて、愉快そうな声を上げる。
残酷な坊やだ。自分と親しい人間の脳を破壊することも、「遊戯」のためなら厭わないらしい。

「さてと…」
彼に返信をするか。
高杉の指の動きは滑らかだった。甘い言葉で、死の宣告を送っている気分だった。

ニャーと鳴き声がしたので彼を見下ろすと、鼻を差し出してくる。
「キス?」
猫が笑っているのが分かるのは高杉だけだった。微かに触れる程度の接吻を、彼にしてやる。
猫の爪が高杉の頬を引っ掻く。キスが足りないのだ、と言う。
「小動物の分際で…」
それでもキスをしてやりたくなるのは、そうしている間が一番、自分が人としていられるからだ。

11.
今朝のニュースを見た者はほとんどいなかった。
教室に行くと、いつもの日常が広がっていて、近藤は一人だけ、精神が異空間を彷徨っている状態だった。
次に土方が登校する。近藤は席を立って例の話を持ち込もうとするが、土方は誰が見ても分かるほどに上機嫌だった。

「ああ、おはよう」と近づいてくる近藤に対して、へらへらした声音。
片手に開かれたままの携帯電話。もしや、と思った。

「なあ聞いてくれよ」
話したがっているのはむしろ、土方のほうだった。とんでもない爆弾発言が飛んでくるのではないかと、瞬時に身構える。

「高杉さん、ウチに今度来るんだぜ」

は?と近藤は声をひっくり返してしまう。
その手の内容だとは予想していたが、いくらなんでも話が進み過ぎている。
「脈ありだよなコレ」と、土方は一人で盛り上がっている。
こいつは何も知らないのか。

「お前、高杉さんから何も聞いてないのか?」
「え、何を」
「今朝のニュース、見たか?」
「今朝のニュース?何だよそれ、知らねえよ」
「平賀さんだよ」
死んだんだよ。と声を潜めて近藤は告げる。
が、驚かされるのはこれからだった。

「あー、知ってるよ。俺、高杉さんから聞いたし…殺人事件起こして、自殺したんだろ?」

近藤は閉口する。
平賀三郎の一件は、恐ろしいほど軽々しく、土方の口から語られた。

「先生と言い、平賀さんといい…高杉さんに迷惑かけんなよ、て感じだよ…」

平然と、溜息混じりに、彼らに対しての非難の言葉。高杉に対しては、何の疑いもない、と言った様子だ。
近藤はそんな土方に、戦慄さえ覚え、顔を見直してしまう。

「お前はおかしいと思わねえのか?」
「何がおかしいんだよ」
「高杉さんだ」
「どうして」
「二人も恋人が殺人事件を犯して、自殺している」
「だから何だよ。偶然だろ。高杉さんを責めるなよ」

かわいそうだ、と土方の声が怒気を帯びている。
近藤が考えているよりもずっと、この友人は頭までどっぷりと、甘い沼に浸かってしまっていた。
目を覚ませよ、と一際大きな声で怒鳴り、土方の肩を揺らす。土方は、近藤の目を見たが、土方の目には別のものが映っていた。

「好きだよ、あの人のこと…」

これほど真っ直ぐで、切なげな声を発した友人は初めてで、そう告げられると何も返す言葉が見つからず、近藤はただ目をぽかんと開けていることしかできなかった。
ただひとつ。何かが土方の頭に埋め込まれ、それが侵食し、もはや手のつけようがないほど、蔓延してしまっているといった感じだ。

「一目ぼれだけど、あれからメールしてて、思ったんだ。あの人はどんな俺の悩みも聞いてくれるし、何だか母親みてえなんだ。
小さい頃、あの人に抱っこされてる記憶が勝手に捏造されちまうくらいにさ。だから、俺はあの人が万一事件の真犯人だったとしても、
味方のつもりだ」

母親みたいだ、と聞いて、近藤は土方が幼い頃、母親を亡くしていることを、今更のように思い出した。
この17の少年を、女性のように淑やかに、包容するようなメールの内容とはどんなものだろうか。

「お前が疑うならそれは自由だけど、それでお前、あの人にどうこうするつもりなら、俺、お前と縁切るからな」

近藤は、反論する術を完全に失った。

12.
少し伸びた爪が目につき、ベッドの上で足の爪を切っていた。
高杉は平賀三郎の家を離れ、ペットの飼えるマンションに越してきた。条件は決して悪くなく、家賃もさほど高くない。
部屋は狭いが、そこそこ快適だった。

猫が膝に纏わりついてきたので、爪が切れない、と叱咤した。猫はぶすっとする。
かまってくれ、と駄々をこねているのか。こいつはネコでもヒトでも変わらないな。
爪切りを置いて、猫を抱きあげようとした。だが猫は腕をすり抜けた。

「おい、何してる」
高杉の両脚の間を通り、くすぐったい感覚にはっとすると、猫はズボン越しに高杉のそれを舐めていた。
「そのナリで欲情すんな」
そんな小さな、猫の姿で。人間の身体になるまで、大人しく待つことは出来ないらしい。
ある程度は割り切れるが、こんな猫とどうやって性交しろというのだ。

まあ、やってみるか。

駄目だと言っても聞かないだろうから。
高杉はその場で細身のデニムと下着を下ろす。どうしてくれるものかと様子を見ていると、猫が背後に回ってきて、小さな孔の割れ目を突いてきた。
「尻を突き出せってか?」
猫はニャーと頷く。まさかその鋭い爪を立てるんじゃないだろうな、と睨みつけながら、高杉は四つん這いの体勢になる。猫のふさふさの毛が、挿入部のあたりをそよいだ。

「ん…っ」

人間よりもざらつきのあるそれが、高杉のそこを舐め上げた。
実際はさほど気持ちよくないはずだが、小動物に犯されるという背徳感、その中身があの男なら尚更。
高杉の全身は昂揚し、震えあがった。

「あ、ぁ…っ…、イイ……」

その舌は高杉にとって、すでにあの男のものだった。
自分はこんな猫相手に、はしたない声をあげて。それでも彼のためなら、と励んでいるつもりか。
濡れている。それをずるずると吸われて、とんでもない甘ったるい叫びを轟かせてしまう。

「銀八…銀八…っ、それ、ダメ…っ」

舌が内部に侵入し、ほぐされる。相手は猫でも、舌の動き、行為のパターンは彼そのものだった。
一度快楽に身を委ねたら、何の区別もつかなくなる。

狂っているな。この坊やも狂っているし、自分も一方では人よりもずっと鮮明で、現実的な感覚を持っているのに、
もう一方は、地獄の感覚とも呼べる狂気を兼ね備えている。

「こっちも、舐めて…」

ついには自分で曝け出した。シャツを胸元まで捲り上げ、猫の口元に薄く色づいた乳首を宛がう。
猫の呼吸が荒い。興奮しているようだ。

「ああ…っ」

乳首を舐められながら、自らの指を挿入部にいれ、掻きまわした。
切なげに息を零しながら、高杉は追いこみに入る。

「イク…イクよ、銀八…っ」

一度大きく波打つと、高杉の身体はその場に崩れ、両脚からどろどろと、白い欲望が流れて行くのだった。
しばらく猫を抱きしめながら、ごろごろした。
猫はすっかり泥のように眠っている。高杉にとって、恋人であると同時に、子供でもあった。猫もそのつもりで、高杉に全てを委ねている。

「キス…」

どういうわけか、今度は自分からキスを求めた。
子へのキス。子守唄と同じ感覚の柔らかさで、高杉は唇を落とした。


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