池袋という東京23区内、決して地価が安いとは言えないその場所に彼らの一軒家はある。
折原臨也、そして折原静雄の二人が住む立派な一軒家だ。
折原静雄の平穏な日常は、今日もこの家で始まる――。





【折原静雄物語U〜生活編ビフォー〜】





午前九時過ぎ、日は昇りきった朝とは言い難い時間帯に折原静雄は目覚める。
一人で眠るベットから降り一人で寝間着のまま洗面所に向かい顔を洗うと、やはり一人でリビングに向かう。
同居人である臨也はとっくの昔に新宿へ出ているため、今日もリビングは無人のまま静雄を出迎える。
キッチンに向かえば、壁際に置かれたちゃぶ台の上に朝食が準備されていた。
炊飯ジャーの中には保温されたご飯があり、ご丁寧に静雄の分の茶碗が準備されている。
おかずは焦げかけの目玉焼きと適当にちぎられたレタスのサラダ、それに豆腐とわかめの味噌汁。
ちなみに味噌汁だけは静雄が昨夜のうちに作ったものだ。

「いただきます」

そして折原静雄はいつものようにちゃぶ台で朝食を取る。
折原家には立派なシステムキッチンがあって、これまたご立派なダイニングにはピッタリと合う高級なテーブルなんかもあったりして、人によっては「この勝ち組が!」と唾を吐き捨てたくなるくらいには豊かな生活の場だ。
にも関わらず、彼らは昭和の香り漂うちゃぶ台を愛用していた。
ちなみに、家主である臨也の希望によりバーも設けられているため本格的なカクテルを作ることも可能なのだが、この家で生活して一ヶ月、未だにバーが活躍したことはない。

「ごちそうさまでした」

一人の食事というものは味気ない。
いつも通りもそもそと食べ終えた静雄はすぐに食器を片した。
といっても食器洗い機があるから静雄がすることがない。

「……洗濯と、掃除だけでもすっか」

普通家事というものは終わりがない仕事だ。
完璧を目指す神経質な性格の者なら、洗濯と掃除だけでもなかなかの重労働になる。
といっても静雄の場合、二人分の洗濯物など量も限られているし、几帳面でない性格では広い一軒家でも掃除は長続きしない。
さくっと主な家事が済んでしまい、いよいよ静雄は暇になってしまった。

「あー暇だわ……」

ならば料理でもしろという話だが、これも臨也に先手を打たれていて『お昼は出前を取ってね(^□^)』と書かれたメモと共に金が置いてあった。
これも一ヶ月間ほぼ毎日続く日常風景だ。
妙なところで律儀な彼は準備されたお金を律儀に使い、昼食は毎日出前を取っている。
よって彼にはもう、夕飯時に味噌汁を作るくらいしか仕事がない。

「ヤベー暇だ……今日も日向ぼっこすっか」

そして彼は今日も縁側にて光合成を行うのだ。
なんて自堕落な生活なのだろう。
三食おやつ昼寝付き。
ほとんどの人間が望みながらも手に入らない、夢のような生活だ。
ごろごろと猫よろしく日向ぼっこをする姿はヒモ、この一言に尽きる。


「……じゃねぇええー!!」

というわけではなかった。

「暇だ、じゃねえだろ俺!なんだこれ!おかしいだろおかしいよなおかしいに決まってる!」

自分ツッコミの勢いはすさまじく、食後のお茶ごとちゃぶ台が尊い犠牲となった。
コスモスなんかが咲くのどかな庭にぶっ飛んだちゃぶ台の破片が散って、嗚呼無常。


暖かな陽光が差し込む縁側(昼寝用の座布団完備)にて、本日も折原静雄の無機物にやたら優しくない自問自答は始まるのだった。






【元取り立て屋・平和島静雄(旧名)のターン!】


「シズちゃんの作った味噌汁を毎日飲みたい!」

唐突な叫びだった。意味不明な頼みだった。握られた手に驚いた。
それ以上に、臨也から目が離せなかった。
戸惑いながら頷けば臨也が抱き着いてきたりして、ありがとうシズちゃんとか言われたりして。
よく分からなかった。けれど照れたように笑う臨也は悪くなかった。
などと現実逃避していたら、あれよあれよのうちに臨也は幽に電話をかけ、さらに何故か俺の両親にまで連絡を取っていた。
本当に意味が分からなかった。
翌日には俺が足を踏み入れたこともない高級料亭に連れて行かれて、何故か俺の両親と幽が正座して待ち構えていて。
臨也はスーツを着て、やっぱり正座で思いっきり緊張した顔してて。
そんで開口一番。

「息子さんを俺にください!」

と、奴は深々と頭を下げながら言いやがった。

茫然自失。
自分の耳がなにを拾ったのか理解できなかった。
宇宙語か?ついに電波を受信したのかノミ蟲。
などと平和島一家全員が唖然とする中、臨也の攻撃――もとい口撃は始まった。
あれはまさに口撃だった。
日頃から無駄に口が回ると思ってたノミ蟲は、やっぱり伊達ではなかった。

自己紹介から始まり表向きの仕事や年収、人間関係まで簡潔に、ここまで嘘をさらりと使いこなしていいのかと怒りを通り越して感心させられるくらい、見事なトークだった。
さらに高校時代に俺と出会ったこと、喧嘩ばかりして周囲に迷惑をかけてしまったことまで暴露し、あのノミ蟲が幽に謝った時点で俺は眩暈がしてきた。
そろそろ思考回路がショート寸前というか完璧焼き切れて断線した辺りで、話題は何故か世の中の同性愛事情に発展していた。
あまり興味は持てなかったが、臨也の熱弁にらしくなく感動してしまって、結局は知りたくなかった専門知識がついた上、もう同性愛に偏見なんて持たないと堅く誓いそうになった。

――それにしても男同士で結婚できるのか。養子縁組って形でそーかそーか……ん?

揺れすぎて頭痛がする中なにか一瞬、なんか意味が繋がった気もしたが……気のせいにした。

――だってそんな、なぁ?まさか俺と臨也が……そんなわけない。無いっつったらない!

というわけで俺は全力で放心していた。
聞いた話は脳みそを通らずに左から右に流れていった。
今思えば、たぶんきっといや確実に、防衛本能だったんだろう。
だってあん時うっかり現実に戻ってたら、俺は幽や両親の前で殺人を犯していただろう。
むしろ殺しておけばよかったと、今は逆に後悔している。

「いかなる差別からも静雄さんを護っていく所存です」

――こいつって真面目に話してる分にはいい奴だよな。

金あるし頭いいし顔いいし、女からすれば最高の旦那ではないか。
性根が腐ってるのでどうしようもないが、案外こいつも惚れた相手の前ならこんな真っ当な顔をするのだろうか。
麻痺した頭でそんなことを薄ぼんやり思っていると、ついに臨也の一人弁論大会はクライマックスに差し掛かっていた。


「だから!どうか静雄さんを俺にください!」


間違えた、とっくにクライマックス最終兵器アルマゲドンだった。



「――はい?」

この、すっごい間抜けな声を上げたのは俺だけでした。
そんなにも息子のことを!とか親父が言ってました。
どうか息子をお願いします、とかおふくろが涙を浮かべながら言っていました。
初めは俺と同じく戸惑った表情をしていた筈の両親は、臨也の熱弁の後には満面の笑みでした。
なんすかこれ?
勝手に酒盛り始まってんすけど。俺なんでか敬語なってんすけど頭ん中。
ホォワット?

「待て、ノミ蟲待ってくれ」

臨也と固く握手をしている男は俺の親父のような気がする。
ハンカチで涙を拭きながら「おばあちゃんの墓前に報告しなくちゃ」と言っている女性は俺のおふくろだ。
なんで両親と臨也が仲良くなってるのだろう。
え?俺がもらわれるからか?
なんで俺がもらわれるんだ臨也に!?

――って、もらわれるってなんだ!?

展開についていけない。
もらわれるってどういうことだ。

すっごくすっごく、アレに似ているこのシチュエーション。

「まさかこれ……けっこ」

「大丈夫だよ兄さん」

不吉な言葉というか死亡勧告を言い終わる前に、そっと俺の背中をさすってくれたのは幽だった。

「幽……」

見た目は相変わらずの無表情。しかし最愛の弟が穏やかに笑っていると俺には分かる。
宥めるように微笑む幽に俺も安堵して、目の前の非日常は何かの冗談だと思った。
よかった、まともな弟がいてよかった。
そう思ってたら、

「照れなくてもいいんだよ」

あっさり裏切られた。

「違くて!」

「大丈夫、名字が変わっても兄さんが俺の尊敬する兄さんであることに変わりはないから」

なんて幽から言われて、『尊敬する兄さん』発言にうるっときたり嬉しいななんて思ったのがいけないんだ。

「おめでとう兄さん」

なにがおめでたいのか分からないのに、

「ありがとな幽」

礼なんて言ってしまったから話は完了してしまったとさ。

そして話は円滑に進み、その日のうちに折原家への挨拶だとか書類手続きだとかほとんど済ましてしまって。

「絶対に幸せにするからね、シズちゃん」

見たことないくらい純粋な笑顔の臨也に抱き着かれて、次の週末には同居する一軒家まで臨也が購入、同居を始めてしまったのである、まる。


結論……



「やっぱ結婚してた!」






【現無職・折原静雄のターン!】


新羅の家に行ってから一週間、ついに途中で暴れだすことなく追想は完了した。
思い出す途中で毎度毎度キレて暴れて、うやむやのまま現実逃避をし続けたのだが今日はやっと結論を出すことができた。
だがやっと辿りついた結論に血液が沸騰している。目が眩む。視界は赤い、血の涙が流れてそうだ。

「……してた」

止まった呼吸を強引に再開させる。酸素が、酸素がほしい。
だから息を吸って、吸って、吸って吸って吸って吸って、吐いた。


「結婚してたーーーーー!」


俺の一世一代の叫びに、隣の家の屋根にとまってたカラスが落ちた。フギャッて鳴いたがたぶんカラスだ、黒いから。猫だったら、いややっぱカラスだ。
そんなんどうでもいい。
だって頭の中が『け』と『こ』と『ん』でいっぱいだ。あとちっちゃい『つ』もあった。
認めたくない。すっごく認めたくないんだ。絶対認めたくない。
間違いだ。だって間違いだろ?そうなんだろ?
そうだ俺と、この平和島(現折原)静雄と折原臨也が結婚なんぞするわけがない。
結婚はお互いに愛し合ってる二人がするものだろうが。
だったら池袋の24時間戦争コンビだなんて称された俺達が、これ以上ないくらい犬猿の仲だった俺達がよりにもよって結婚だなんてする筈が……。

「……仲、悪い……のか?」

あれ?俺達仲悪かったよな?うん悪かった。
悪かったけど、プリン食ったな一緒に。うん食ったプリン。
毎日お互いの家行き来して、プリン仲間として一緒に過ごして、でも仲は悪いままー……なんだよな、だって臨也だし。

「意味わかんねぇ!?」

なにやってたんだ俺!?
ツッコミどころ満載だっつの!
なんて自分ツッコミしながらうずくまった時、チャリッと音がした。

「あ」

それは首からチェーンで下げた、指輪だった。
この家に引っ越した時に臨也が俺に寄越したものだ。
何故か無言で手渡されて、指輪は趣味でないけど捨てるのも勿体無いからと首から下げていたんだ。
普段から指輪を二つもしてる奴だし、趣味なのかと思ってた。
でも、だ。
養子縁組。
なのに他の家族と暮らさずに二人だけで同居。
そして指輪。
シンプルな銀色の指輪。裏にはS&Iの文字。
しかも俺が指輪を受け取ると臨也はすっげえ喜んで、なのに首から下げたら落ち込んでいた。
つまり、だ。
つまりそれって、やっぱりだからええっと。


――結婚指輪。


「どんだけ鈍いんだ俺はーっ!」

怒りのままにぶん投げた予備のちゃぶ台は勢いよく壁にぶつかり、粉々に砕けた。
あとで予備の予備を出してこないと……でなくて!

「結婚」

どう考えても結婚だった。

「結婚したんだ、俺達」

再度呟く。
それを否定する言葉はない。

だから無理矢理絞りだす。


「俺達は男同士で、犬猿の仲で……それが」


それが、なんだというんだ。


「……」

分かってた。本当は分かってたんだ。
男同士だとか犬猿の仲だとか、そんな言い逃れはできないくらい、俺達は結婚してる。
もう否定なんか出来ないんだ。
だって否定する意味も理由もないんだから。


――俺が……嫌でないから。


あの糞ノミ蟲と一緒に暮らすのが、あの臨也と一緒にいるのが嫌でないんだ。
どころか本音を言うと、あいつとの生活を悪くないって思ってる。
三食昼寝付きって時点で俺に文句を言う資格は元からないんだが、そんなん関係ないくらい、いいんだ。

だって臨也と喧嘩していない。

一緒に飯食って、プリン食って、臨也がはにかんでて、はにかんだ臨也の隣に普通に俺がいる。
俺に気を遣ってなんだろうが、二人っきりの時は臨也も大人しいし卵料理は美味いし、実は可愛い奴だから俺も……ってちょっと待て俺。
気色悪いことを考え走ろうとしたなオイ。
本能レベルで結婚を否定してたくせに、何いきなり暴走してんだ理性どこ行った。
男を可愛いとか言うな変態か!?


「ただいま〜」

「うわ!」

不意に後ろから声を掛けられ飛び上がる。

「え、どうしたのシズちゃん?」

驚いて後ろを向けば目を丸くした臨也がいる。

――いつの間に!?

周囲を見渡せば、いつの間にか日はすっかり落ちていた。

「な、なっななな、なんでもない!」

一日中臨也のことを考えていた脳みそは疲弊していて、そこへ急に本人が登場したからテンパって修復不能だ。
頭ん中が『か』と『わ』と『い』と『い』と『臨也』でいっぱいで暴走して、馬鹿みたいだ。

「変なシズちゃん」

臨也はクスッと笑う。
すると、ホワッて花が咲いた。たぶん目の錯覚。
でも咲いた。

――あ、やばい。

なんかスイッチが入った気がする。
頭がほわほわして、心臓はバクバクしてる。
なんか、もう昨日までの日常には戻れない、そんな気がした。


「遅くなっちゃってゴメンね。すぐ用意するから」

「おう……その、おかえり」

「ッ!たっただいま!」

帰って早々に働こうとする臨也に、しどろもどろながらおかえりと返せば、臨也の顔が見てわかるくらい赤くなった。
これはほぼ毎日変わらないやり取りで、毎回俺が挨拶をすれば臨也は赤くなって、そんでバタバタと慌てたように走って行ってしまう。
だから俺も呆気にとられて、今までなら変だなとしか思わなかったが……妙なスイッチが入った脳は気づいてしまった。


――もしかしなくても、照れてるのか?え?臨也が?


「うっ」

――嘘だろ!?


思った瞬間、俺の顔に熱がこもる。
俺も真っ赤な気がする。
畜生。臨也なのに男なのに……!


「かわいいじゃねぇか……!」


男から照れられて俺も照れた。
照れた顔を嬉しいと思ってしまった。
ああもう認めるしかないじゃないか!

そうだ認めてしまえば簡単だ。

俺はあいつのこと、もう嫌いじゃな……ごめん嘘だ。やっぱ嫌いな部分もある。

けど、それをひっくるめて、嫌いでないんだ。

嫌いだけど、嫌いなだけでなくて、つまりはきっと。



俺は臨也が、



「     」








「なんか言った?」

「……いーや」

「そう?」





折原静雄になって三週間目。
今日、俺はやっと結婚生活を自覚した。
臨也を見る目も変わった。
明日っから、どう臨也と接したらいいかわからない。困った。

なにより……



「ねえねえシズちゃん、ご飯にする?お風呂にする?」


今日も臨也は可愛い。
もう認める、認める!
いじらしいし気が利くし美人で子供っぽくて最高に可愛い。

それは認める、だから訊きたい。


「それとも……プリンにする?」


――それって嫁の台詞だよな?




俺って婿入り?嫁入り?どっちだ!?








折原静雄21日目。
――恋、しました。







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