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□桜の
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去年、俺と臨也はこの公園で遭遇した。
桜が満開で、散り始めている頃だった。
不自然に明るい東京の夜に、夜桜はそれでも風流をくれてやってた。
だからなのかその日の臨也は……俺達はおかしかった。

いつものように喧嘩になるかと思えば、臨也はどこか思いつめたような切なげな顔をしていて、調子が狂った事を覚えている。
少し散歩でもしようか、なんてありえない提案をされて怒鳴るタイミングを失ったままに腕を引かれて、人混みをぬって歩いた数分間。

珍しく言葉少なげで、笑みも貼り付いてない自然な――それでいて愁いを帯びたような、いまにも笑いだしそうで、いまにも泣きだしそうな見たこともない顔をしていた。
いつもと同じ黒コートは少し暑いのか、俺の腕を掴む手がほんの少し汗ばんでる気がした。
もしかして緊張してるのか?一瞬かすめた疑問は、その理由を考えるのが恐ろしくて、すぐに気のせいだと切り捨てた。
ただ臨也の腐りかかった果実みたいに甘い悪臭が強まって、桜の花と相まって俺の鼻を麻痺させるみたいだ。
鼻どころか思考さえ汚染していってる。
だってそうでなければ、俺が黙って臨也の後ろを着いていくわけがないんだ。
だから思ったまま文句を言ってやると臨也は答えた。


「桜って、案外香りが弱いのにね」


どんな嗅覚してんの?軽口を叩きながら振り返った臨也の表情は、笑っているのに口角は下がっていた。
器用なことすんなって呟くと、独り言だったのに何?って訊き返されて焦った。
情けない面すんなよ調子くるうぞ馬鹿野郎。
焦って言い返すと、臨也はそう?と目を丸くしながら、今度も困ったように笑った。
今日は少し饒舌だねと臨也が言うからお前が喋らないからだと答えた。
だって今日は喧嘩したくないんだと臨也が言うから、俺は驚いて臨也の手を振りほどいてしまった。

シズちゃんとお花見したかったから。

いきなりそんな事を言われてしまって、しかも嘘をついていないと分かってしまって、追い詰められた気分になった。
なんで苛々すんのか考えたくもなくて、だから素直に、お前と俺が花見なんておかしいって言ってやった。


「そうだね、君と俺が一緒にお花見なんておかしいよね」


桜が舞う。ひらひらと。
二人の間に舞い飛んで、ひらりひらりと舞い遊ぶ。
桜の花びらに彩られて、余計に臨也の黒い髪が目に映った。
このまま夜に溶け込んでしまうのではと心配になるくらいには、あいつの姿は儚げだった。


「でもさ、もし人生にリセットボタンがあるとして」


花見客の喧騒が遠くに聞こえた。


「もし全てをリセットできるんなら俺は……」


風が吹いた。

花びらが舞う。

桜が舞う。ひらひらと。

ひらりひらり、ひらひらと。

むせ返るほどの花の香に包まれながら。


「いつか桜の下で――」


臨也の姿を覆い隠して。

桜が舞う。ひらひらと。


風が止んだ時、臨也の姿は消えていた。










風が吹いた。
ひらりひらりと桜が舞い落ちる。
そのひとつに手を伸ばそうとした時、視界の端に黒い影を見つけた。


「……」


桜の香りに紛れて、むせ返るほどに甘ったるい匂いが漂う。
これまでで一番、強く、甘く。
口角が上がるのが自分でも分かった。
体温が上がる、体が熱い。


「いーざーやーくーん」


馴染みのフレーズは馴染みのはずなのに久々すぎて、ひどく懐かしい。
幻みたいなその姿。
もしかしたら少し痩せたのかもしれない。
桜の影に隠れて、消えてしまいそうだ。


「みーつけたー」


そうやって夜桜に紛れようったってそうはいかない。
どれだけ闇に溶け込もうったって、真っ黒なコート姿は目に焼き付いてるんだ。
フードで顔を隠そうと、俯いて瞳を逸らそうと、俺はお前を見間違えない。
さぁどうしてくれようか。


「あん?」


すると無言のまま、桜に寄り添っていた人影が踵を返す。
まさかこの期におよんでまだ逃げる気なのか。
だったらボケッと立ってないで最初から逃げろよ間抜け。


「鬼ごっこか?たぁーのしいっな!」


ぐんと地を蹴り上げ一気に距離を詰める。
臨也が木々の狭いスペースを駆けるから、俺は地面ではなく桜の木を蹴飛ばしながら最短コースを翔ける。
思いの外効果があり、ぐんぐん距離は縮まって、伸ばした手はもう少しで臨也に届く。
奴はこのままでは捕まると悟ったのか、不意に身を捻って横に進路を変えようとする。
その動きは以前より精彩に欠ける。
らしくねぇなと思いながら、そんな隙を逃す気などさらさらなかった。
だから俺は跳躍の勢いは殺さないまま左手を突き出し、奴の退路を阻む。
目の前に伸びてきた手に臨也が怯む。
その瞬間、俺は身を寄せ腕の中に臨也を閉じ込め、そしてそして。


「臨也」


愛しさを込めて名を呼ぶ。
瞳を閉じて、勢いのままに臨也を抱きしめ――











花を  



   抱く。



一瞬の、






「――ッ!」






夢を見た。









何度も喧嘩をした。
襟首を掴んで、手や足を振り回して、頭突きを喰らわせた事もある。
驚くくらいにタフで、急所は絶対に避ける奴だったから、結果として俺の力に一番触れてきた人間だ。
だからあいつの身体なんて俺が誰よりも知っていて、だからだからだから感じた違和感。

掴んだ、そう思った指先はほんの一瞬宙を掻き、そして掴んだ。

予想より一回り、いやそれ以上細い身体。
力を込めたら砕ける、触れた表皮の神経がそう警戒を発する。
一瞬の躊躇は効を制して、腕の中の存在を潰すのを堪えた。
触れた、か触れないか。
柔らかな花を連想させる、予想より小さな身体に意識を奪われる。


「――ッ」


俺は臨也を抱きしめる、筈だった。
抱きしめた、筈なんだ。
けれど腕は一瞬宙を掻き、躊躇いは勢いを削ぐ。
生まれた隙間、掠る表皮。
まるで花びらのように淡く、やわらかく、か弱い存在。
腕の中に閉じ込めた、そう判断した瞬間に薫った甘い甘い花の香。
甘く優しく、記憶していたものよりさらにさらに、桜の風情。
濃密で濃厚で淡くてやわらかくて微かな香り。


俺は臨也を抱く、筈だった。
ではこれはなんだ。
臨也だ。
だが何かが決定的に違う。
なんだこれは。
花が、桜の花びらが薫る。
腕の中の臨也が薫る。


俺は花を抱いている。


「――ッ!」


おかしな妄想、ありえない連想。
全ては瞬きひとつの束の間の出来事。
違和感に筋肉は収縮する、強張る身体は緊張を伝えて。
俺は瞼を開く。

そして花を見た。




抱いた、この手に掴んだ存在は愛しい花。

桜が舞う。ひらひらと。

ひらりひらりと。

風に吹かれ、飛び散った。


「――ッ!」



――花を抱く。一瞬の夢。



掴んだ、この手で抱きしめた、甘美な夢。
甘さにやわらかさに瞳を開けば、花が散る。
抱いた筈の花はこの手に掴めず。

風が吹いた。

渦を巻く、花びらが舞う。
桜の花びらが飛び散って、愛しの人はもういない。


「臨也?」


声が掠れる。掠れても紡ぐ名に返事はない。
目を見張る。空白の一秒。
瞳を閉じたその一瞬、意識を奪われたその一秒。


桜が舞う。ひらひらと。

ひらりひらり、ひらひらと。

むせ返るほどの花の香に包まれながら。

桜は舞う。


「臨……也?」





愛しの人を連れ去って。









「桜……だって、さっき……」

むせ返るくらいに桜の香りがして、あいつの匂いと混じって余計に甘くて。
桜の花びらが舞って、ひらひらと彩って。
あいつを、隠した。

その桜は、


「どこだ?」


桜が舞う。ひらひらと。

ひらりひらり、ひらひらと。

むせ返るほどの花の香に包まれながら。

桜は舞う。




桜は舞えど、花は無し――



「桜は……臨也はどこだ?どこにいった!」


触れれば消える、幻の花。
愛しの人を連れ去って。


「臨也。臨也臨也臨也臨也臨也!」


――桜の下には死体が埋まっている。


「違う。違う違う違う違う!」


確かに触れた、あいつの、臨也の身体に触れた!
だって匂いがする、したんだ。
今も今も今も!


――桜の下には死体が埋まっている。


「いる!臨也はッ臨也はいるんだ!だから死んで、死んでなんかいない!」


「どこだ!どこにいるんだ臨也!?」


桜が舞う。ひらひらと。
ひらりひらり、ひらひらと。
静かに舞って、舞って、舞うだけの花。
触れれば消える、一瞬の夢。


「いざっ……」


伸ばした手は宙を掻き、触れた花びらは消えてしまう。
残り香だけが濃厚で、頭を侵食させるほど。
ただその香りだけを掻き抱いた。
幻じゃないと叫び続けた。








「というか、なんでこの時季に怪談話が流行るんだ?」

「ですよねー。幽霊なんてどうでもいいってカンジですよ。だって私達の愛はそんなものに負けないくらい熱いんですから!今だってどんなに寒くても、誠二と一緒にいるおかげで」

「なんだ寒いのか?もっと寄れ」

「ッ!誠二ステキ!惚れ直しちゃいます」

「でもくっつきすぎると危ない……ん?ああ、そうか」

「どうしました?」

「雪が桜みたいだ」

「誠二!ロマンチックです!」








桜が舞う。ひらひらと。

ひらりひらり、ひらひらと。

桜の花と信じれば、

散らない桜は咲き誇る。



桜は……舞い続ける。




「隠れたって無駄だぜ臨也くんよぉ」


今宵も男が一人、彷徨い歩く。


「お前の匂いは分かるんだ」


桜の下を彷徨い歩く。


「お前は俺のもんだ。俺が愛してやるんだお前だけなんだ」


愛する人を捜し求める。


「お前はっ……幻なんかじゃない!」



ひらひらと、舞った桜が男の瞳に映る、ことはない。

その瞳に恋人の姿を映し続け、男は歩む。
ひらひらと、舞った桜はただ舞って。
舞って舞って、男の瞳に積もって、ただの涙を流すだけ。

その瞳に桜は映らない。


「だからっいつか……」


今宵も男は一人彷徨い続ける。
愛する人をこの手で抱くために。

桜が舞い散る、あの日の約束を胸に抱き――














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