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□魔法の言葉
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――誰かが言った。



彼らの喧嘩が変わったと。


池袋の喧嘩人形と新宿の情報屋。


二人の殺し合いの喧嘩が変わったと――。










以前と変わらず、二人が出遭った瞬間から命懸けのチェイスは始まる。




池袋最強の男は走る。





――新宿の情報屋を追って。











新宿の情報屋は走る。




――池袋最凶の男から逃れて。








なれど、池袋の自動喧嘩人形は、宿敵を眼の前にしても公共物に手を出さない。


交通標識は立ったまま。
自販機は治安の象徴のまま。
ポストやダストボックスも宙を舞う事はない。





男はひたすら、黒い後ろ姿を追う。


何度も何度も彼の名を呼びながら、ただ走る。






対する新宿の情報屋は、普段のように他者を利用したりはしない。




得意のナイフも仕舞ったまま。
決して後ろは振り向かず。
決して言葉は発せず。





彼はひたすら、黒い後ろ姿を見せて逃げる。


何度も何度も名前を呼ばれながらも、ただ走る。







遂には男の叫びもなくなり、ただ無言の逃走劇と追走劇が繰り広げられる。



いや、繰り広げられていた。











場所は池袋の人気のない路地裏。



そこで二つの喜劇は交差する。














「やっと追い詰めたぜ……」








――地を這うような声だった。




そして静かな声だった。




溢れんばかりの激情を堪えるような、そんな静かな声を男は発した。






男は路地裏の行き止まりに情報屋を追い詰めた。


そして男に背を向けたままの情報屋を問い詰める。









「返事しろよ……」









返事、とは今現在の男の言葉に応じろ、という意味ではなかった。


なれどどちらにせよ、情報屋は無言を貫き、路地裏には緊迫した静寂が続く。



その事に男はかなりの苛立ちを覚えながら、息を殺して自らの憤りを堪えていた。






二人の関係は明らかに、以前と異なっていた。


池袋最強の男は暴力を封印し、新宿最凶の彼は饒舌なる弁論を封じた。


彼らの関係がこのように変わったのは一月前。




男が情報屋に、己が気持ちを明かした時からだった。













「お前が好きだ」








互いの関係を変えた、魔法の言葉。


その言葉を吐いて、男は情報屋の答えを待つ。


琥珀にも似た透き通った眼光を、切なげに細めて。





万感の想いを込めて吐き出した男の言葉は、それでも情報屋に伝わったのか定かでないままに。
何も反応は返らず。


無人のそれより、余程重い静寂が続いた。









「お前はどうなんだ!……いい加減、答えろ!」









狂おしい静かな叫び。
常ならば男から洩れる事はなかろう、震える吐息。




それでも情報屋は微動だにせず。
決して口を開かず。
決して男を振り向かず。




その表情も、その声音も、
その思考も、その感情も、
それらひとつとて男には伝わらない。



伝えようという素振りさえ見えない。







故に、我慢に我慢を重ねた男も遂には限界に達した。








「せめて、顔ぐらい見せやがれ……!」








怒りよりかは哀しみが勝る眼差しを湛えながら、内なる熱を押し殺したまま叫ぶ。いや、悲鳴を上げる。



そして男が情報屋に近付こうとした瞬間。







――煌めく白刃の投擲。







「ぐッ!」





投げ付けられたナイフを咄嗟に避け、男の身体が僅かに傾く。


その隙間を狙って、情報屋が間髪入れずに飛び込んだ。




急接近した互いの存在。




男は彼を逃すまいと手を伸ばすも、ほんの指先が掠るのみ。



虚空を掴んだ手を躱して、情報屋は吐息さえ聞こえそうな程の距離に迫る。










「――いざっ」




男は悲鳴にも似た響きをのせて、擦れ違わんとする彼の名前を呼ぼうとした。




だが男は――……












――擦れ違い様、












 呼吸を奪われた――
















呼び止めようとした声は擦れ違い様に飲み込まれ。


唇越しに呼吸を奪われた男は、放心したまま時を失う。




瞬きひとつの間。一瞬の犯行は鮮やかな手並みで、唖然として立ち尽くす男を背に、情報屋は軽やかに脱出する。




そして路地裏の出口であり入口、白日との境界線上で情報屋は立ち止まった。




彼は振り向き様、初めて口を開く。



















「シズちゃんなんか大っ嫌い」

























とびっきりの笑顔を浮かべて、彼はそう告げた。




黒い瞳は細められ、逆光に照らされた顔はまさに輝かんばかりの笑顔。


それに相反する言葉を吐いて、彼は颯爽と駆け出した。








交差した逃走劇と追走劇は、遂に共演される事なく幕を閉じる。


いや、閉じようとした。










「…………」






池袋最強の男は動けない。


口許を手で覆い、力尽きたようにうずくまっている。


先程触れ合った唇の感触、告げられた言葉、満面の笑み。


男はそれらに呼吸どころか、思考感情全てを奪われた。


しかし男は――池袋の自動喧嘩人形は、ただの人形のように座ったままではいられない。








「ふざけやがって……」









――地を這うような声だった。




今度は明らかに内なる激情を留めきれていない、震えた声だった。









「結局……答えになって……ねえよ!」








男は気付いた。


情報屋の言葉が返事であるか否か、定かでない事に。


情報屋が己が唇を以って奪った呼吸もまた、返答とは成り得ない事に。




――彼が、まんまと男から逃げ出した事に。








「待ちやがれ!」






ほてった身体、紅く染まる顔、惑う思考。


それらを全て路地裏に捨て、男もまた走り出した。


沸き上がる怒りに身を任せて。







「いぃぃーざぁぁやぁぁあああー!!」









――想い人の名を叫びながら。

















二つの喜劇は幕を閉じる事なく、新たに演じられ続ける。




いつまでもいつまでも。






















――誰かが言った。


彼らの喧嘩は変わっていないと――。








平和島静雄は血管を浮き上がらせて走る。


以前と変わらず、今日も怒り狂って折原臨也の名を叫ぶ。








そして折原臨也は……。









――精々悩んで、戸惑って、困惑すればいい。




――俺の態度に、言葉に、行動に翻弄されればいい。




男は彼の無言の態度に、何を思うのだろうか。


男は彼の突然の行動に、何を想ったであろうか。




男は――シズちゃんは、俺の言葉の真意を、どう解釈するのだろうか――。









――悩めばいい。




――足掻けばいい。








あの言葉を、俺の答えを考えて考えて、考え尽くせばいい。




勘違い、聞き違い。
――そうやって、俺のあの言葉をなかった事にしてもいい。




思い違いをした。
――そうやって、自分の告白をなかった事にしてもいい。




まったく検討違いな解釈をしたっていい。




だって俺が言い間違っただけかもしれないんだ。




可能性は無限に広がり、決して終幕は見えない。






だから、俺は――折原臨也は今日も叫ぶ。



言葉に魔法をかけながら。


秘めた想いが伝わらないように。













――ある誰かは言った。


あいつらは互いが互いに夢中のまま、なんにも変わりやしないよと――。











折原臨也は狂った笑みを浮かべながら走る。







「シズちゃんなんか大っ嫌い!」







以前と変わらず、今日も平和島静雄を罵り叫びながら。













魔法の言葉








END




企画9作目。
【魔法の時間】の世界観と直接の繋がりはあるかもしれないし、ないかもしれない。そんなスタンスの作品です



(2011/02/11)

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