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□Find me!
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今日は仕事の取引で池袋に向かわなければならなかった。
といっても、情報屋折原臨也は池袋に来ていない。
これ、重要だから。
「こんなもんか」
鏡の前に立つのは、普段とまったく異なる人物。
白いパーカーに迷彩柄のハーフチノパン。カジュアルブランドのスニーカーに、安物のシルバーアクセ。黒いキャップの下には茶色の前髪が見え隠れし、その上からさらにパーカーのフードを被る。
姿勢を崩して鏡を睨みつければ、如何にも頭の悪そうなチーマーの完成だ。
黄色いスカーフでも巻けば、黄巾賊だって名乗れるだろう。
「うん、若い若い」
服装によってぐっと幼くなった自分の容姿に、若干面白くないものを感じつつも(意外と童顔なことを気にしてたりする)、完璧な変装に自画自賛する。
今日は自分とは無関係の、とある何でも屋の下っ端として取引に向かわなければならなかった。
別に物資の受け渡しだけの簡単な取引だから、本当に何でも屋に頼んでもよいのだが。
後々のために、無関係の他人として揺さぶりをかけておきたかったのが正直なとこ。
そこで、こうして変装することとなりました。
これだけ完璧に変装できるって、俳優業もイケるかもね俺。
「これなら知り合いでも、俺に気づくやつはいないな」
ルンルンと上機嫌に言い放ったところで……何故か空飛ぶ自販機が脳裏に浮かんだ。
「…………」
――いた。
たぶん、あるいは。……いや、ほぼ確実に俺の存在に気づくだろう最低最悪の男がいた。
言わずと知れた、シズちゃんこと平和島静雄だ。
「気づくかなー。……気づくよねえ」
さっきまでの浮かれた気分は急降下。
ついつい肩が落ちる。
何せシズちゃんは異常なまでに勘が鋭く、しかも俺の気配を察知する特殊な嗅覚を持っている。
――俺の匂いを嗅ぎ当てるとか、どんな化け物だよ一体。
――というか犬だな犬。
しかしその犬に何回計画を邪魔されたことか。
絶対に会いたくない時に限って遭遇するんだから、もはや呪われてるとしか思えない。
もっとも、今回はシズちゃん対策も万全だった。
シャンプーやリンスも変えたし、衣服も他人が一度来た服をわざわざ古着屋で買い揃えた。
シズちゃんの嗅覚がどれだけ優れているとしても、これなら流石に気づかないはず。
「念には念を、とね」
それでもどこか不安があったため、仕上げに普段つけてるのとは違う香水をつけた。
「……好みでないんだけどなぁ」
むしろ臭いな。
なんて思いながらも、ますます自分らしくなくなった自分に満足して、意気揚々と新宿を出た。
取引自体はすぐに済んだ。
俺をただのガキだと見くびっている相手は、面白いくらい簡単に情報を漏らしてくれた。
思った以上の収穫で、込み上げてくる笑みを抑えるのが大変だったくらいだ。
後は俺が折原臨也だと誰にも知られずに新宿に帰るだけ。
だが、これだけ上手く変装したのだから、知り合いをからかって遊びたい衝動にも駆られる。
――来良学園の三人でもからかって遊ぼうか。
――ドタチンにちょっかいかけるのも捨て難いなぁ。
などと甘い誘惑もあったが、流石に実行はしなかった。
今日は折原臨也は池袋に来ていない、という事実が大事なのだから。
せっかくだから、また変装してからかいに来よう。
そう我慢して、一度街中に向かいかけた足を反転。
普段よりも気持ち歩幅を広げ、わざと靴底をすらしながら駅に向かって歩きだす。
こういう細かいところにまでこだわるのが俺。
これだけ完璧なんだから、いっそシズちゃんが気づくか気づかないか試してみたかったかも。
……などと考えていたのが悪かった。
「げっ」
雑踏の奥に見知った金色を見つけてしまった。
――シズちゃんいたし……。
最悪の事態だった。
やっぱり俺は、呪われているんじゃなかろうか。
シズちゃんは俺が渡ろうとした交差点の駅側にいた。つまりは道路を挟んで真向かいにいる。
互いに信号待ちをしているのだから、このままでは鉢合わせになるのは必須。
――逃げなきゃ。
と思い立った瞬間、無情にも信号が青に替わった。
――くそ!
すでに雑踏は流れ出し、ここで不自然に進路を変えれば、かえってシズちゃんの目に止まる恐れがあった。
ただでさえ異様に勘が鋭い彼の事だから、すぐに俺だと気づくだろう。
――それならば。
俺は火に飛び込むくらいの覚悟で、流れのままに一歩踏み出した。
焦らず、不自然に下を向かず。呼吸は一定に。肩の力を抜く。
体に指令を出しながら、何でもない風を装って、目立たないように歩いた。
一歩、一歩。
シズちゃんは隣にいる上司と喋りながら、流れに乗ってこちらに歩いて来る。
進行ルートはもはや変えられない。
ほぼ正面に存在する天敵の脇をすれ違わなければならない。
ぐんぐん近づくシズちゃんの存在に緊張しながらも、俺は呼吸も足取りも平静に保とうとした。
それでも心臓の鼓動はどんどん早まり、嫌な汗が浮かぶ。
一歩、一歩。
――あと5メートル。
シズちゃんは俺に気づかない。
――あと3メートル。
シズちゃんの声が間近に聞こえる。
――あと1メートル。
――あと…………。
………………。
――え……?
肩と肩がすれ違った。
視線さえも交差することなく、互いの肩と肩がすれ違い、遠ざかる。
何事もないままに距離は離れていく。
「……っ!」
俺は呆然としながら、糸の切れた人形のように数歩進んだ。
思考停止。
思考消滅。
復旧不能。
聞き慣れた罵声も、空飛ぶ自販機もないままに、全ては平穏に過ぎていく。
後ろから肩をわし掴まれることもないまま、ついには横断歩道を渡りきってしまった。
――シズちゃんが俺に気づかない?
そんなはずはない。
どれだけ俺が策略を重ねても、それをぶち壊すのが平和島静雄だ。
ましてや、あんなに近くですれ違ったんだ、違和感くらい感じてるはずだ。
――シズちゃんは俺に気づくに決まってる!
せっかくのシズちゃん対策全てを否定するようなことを考えた。
そんな冷静さを失った自分を呪いつつも、俺はどうしても確かめずにはいられなかった。
堪らず後ろを振り返ってしまう。
「…………」
眩しいほどの金髪は俺を振り返ることはなく、どんどん遠ざかっていく。
振り返ることはなく。
どんどんと。
「っ……」
咄嗟に洩れた声は言葉にはならない。
ただ掠れて、喉が渇いた。
――シズちゃんが俺に、折原臨也に気がつかなかった。
ついに雑踏の奥に飲み込まれた後ろ姿に、やっと現実を飲み込む。
冷静に考えればそれは幸運でしかなく、自らが望んだ結果。
けれど言葉では追いつかない、足元が崩れ落ちて行くような衝動が身を駆け巡って。
ついには駆け出していた。