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□手を繋ぐまで42秒
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*四作目

















俺は平和島静雄が大嫌い。
当然、手を繋ぎたいなんて思った事もない。



思うはずも無いんだ――

























――しくじった。
俺が思ったのは、そんなありきたりな感想。




いつもの喧嘩だった。

久々に来た池袋。
一応仕事で来てたんだし、シズちゃんにちょっかいを掛ける気もなかった。

こちらは最近寝不足で、正直体調も悪かったんだし。


だからこの喧嘩は、シズちゃんが一方的にふっ掛けてきたんだ。


ムカつくよ。シズちゃんマジで死んでくれないかな。




そんな事を思いながら繰り出すナイフを、シズちゃんは殺気を込めた眼で狙い付ける。


ナイフ目掛けて振り下ろされた凶器の腕を、俺は避けようとして、しくじった。







シズちゃんの腕が、振り下ろした指先が、爪が。

俺の手に、指先に、爪にぶつかった。


そして俺の爪が割れた。






オレノ、ツメガ、コワレタ。











痛みを自覚するよりも早く過ぎったのは、奇妙な既視感。


それでもすぐに意識を現実に戻したっていうのに。


シズちゃんは手に持つ看板で今にも俺を殴ろうとしているのに。



俺は見てしまった。





俺から眼を逸らしているシズちゃんの顔を。






見てしまった。
見たくなかったのに。
見てはならなかったのに。




襲ったのは、無視できようもない強烈な既視感。

一瞬目の前が真っ白になって、刻が止まる。

シズちゃんが迫る。


俺は動けない。













――しくじった。



身体が吹っ飛ぶのを感じながら、俺はどこか能天気にそんな事を思った。



激しい痛みに意識を手放しながら、どこか聞き覚えのある叫び声を聞いた。

叫び声なんて聞こえるはずもないのに。














( 俺は死んだのか? )





身体の感覚があるようで無い、闇の中を漂いながら思案する。


上も下も解らないどころか、そもそも五感が働いているのかさえ確かでない。

けれど、まるで水中にいるような不確かな感触と朧げな思考は存在する。

取り敢えず自我が在るのは確かなようだ。








(なら、まぁいいさ)






どんな状況でも自分という存在があるならば問題はないと、あっさり不可解な現状を投げ捨てた。


そんな事よりも、今なお残る既視感の存在が気にかかった。







デジャヴュ。
デジャヴュ。
デジャヴュ。







思いを馳せれば、感覚の無いはずの指先が痛んだ。







(ああそうか、爪が割れたんだ。)







徐々に働きだした脳みそは、かつての記憶を呼び覚ました。


そうだよ、俺が何度も忘れようとして、決して忘れられなかった忌ま忌ましい記憶だ。



高校時代、同じ事が起こった。
俺達はやっぱり喧嘩をしていた。



普段の俺ならシズちゃん相手に遅れを取ったりはしないんだけどね。

その時はありえないミスを犯した。


まったくもう!今思い出しても忌ま忌ましい!



高校時代の俺は何を思ったんだろう。

シズちゃんに向かって、咄嗟に手を伸ばしていたんだ。


足を滑らせ、背中から転びそうになったその時に。



迂闊だよ。
いや、これは仕方がない事だ。


溺れる者は藁でも掴む。倒れかかったら咄嗟に何かを掴もうとするのは人間の正しい心理。

つまりは本能、生存本能なのさ。








……無理だ、納得なんて出来るはずもない。

咄嗟とはいえ、寄りにもよってあの化け物に向かって手を伸ばしただなんて。

あいつに縋ろうとしただなんて、認められる訳が無い。

自分で自分が殺したくなる!





嗚呼、だからその報いなんだろうな。

俺が不覚にも伸ばしてしまった手は、その指先は、あいつの化け物じみた力の前に簡単に屈服した。






滑稽だ。




だってそうだろ?
あいつの爪ごときにさえ、俺は勝てないんだ。


俺の指先にあいつの――シズちゃんの振り下ろした指先とかぶつかって、俺だけが壊れるなんて。

どれだけ脆いんだろう。





そう、手を伸ばしたら壊れるんだ。


手を伸ばしただけで、壊れてしまうんだ。






あんまりだ。










何人も人間を利用した。
何度もシズちゃんを騙した。
俺自身だって鍛えた。
あの化け物と渡り歩く為に、俺は全力だったんだ。


あの怪物を潰す為に、俺は青春時代の半分は費やしたんだ。



なのに俺の、俺とシズちゃんの数年間の確執なんて脆いままだったんだ。





高校の頃と同じ。






手を伸ばせば壊れてしまう。





その程度だったんだ。






その事実を思い知らされて、シズちゃんと互角に渡り合っていただなんて妄想じみた勘違いを糾されて、身動き出来なくなるなんて。

俺はどれだけ厨二病なんだ。痛すぎるから。



解りきってたはずだ。
自分はただの人間で、相手は化け物だって。




ショックを受ける必要さえないのに、どれだけ自惚れていたのか。

あまつ、避けれたはずの攻撃を受けて、こうして訳の解らない事態に陥っている。


シズちゃんに関わるとロクな目に合わないなぁもう!

シズちゃんなんか死ねばいいのに!















(あれ?)




ひとしきりまくし立てた俺の指先に、何かが触れた。

痛む指先を包む温かさ。




温かい。
温かい。
懐かしい、感触。








(――ドタ、チン?)







この感覚は覚えがあった。
そっか、またドタチンが手を握ってくれてるのか。ドタチンはやっぱりお人良しだなぁ。


高校の時俺は人間のくせに毎日シズちゃんと喧嘩していたから、実はいつも綱渡り状態だったんだ。


決してシズちゃんの前では弱った姿なんて見せたくなかったが、しょっちゅう傷は負ったし神経だって擦り減った。

そうだ、俺はただの人間だから。時にはへばって、動けなくなる事もあった。

平気な顔が出来なくなる時だってあったんだ。



ドタチンはそんな、シズちゃんと喧嘩して弱っていた俺に付き合ってくれた。


別に変な意味でないよ。


疲れて動けない俺がドタチンの傍に行けば、彼は黙ってそこに居続けていた。

余計な詮索もせず、求めればひざ枕をしてくれた。

何も言わず、何も考えず、ただそこにいてくれる彼は本当に優しい。


男前だよホント。


色々察してはいたようだけど、意地っ張りな俺に黙って付き合ってくれていた彼は、器がでかいよね。




誰かさんと違って。










『      』







遠くから声が聞こえた気がした。



再び蘇る既視感。
それは残念な事に、すぐに思い出せた。




せっかく優しいねって褒めたのに。

ドタチンとの想い出を、俺の殺伐とした青春時代のオアシス扱いにしたっていうのに。

嫌な事を思い出しちゃった。





駄目だよドタチン。
せっかく俺が、自分の無力さを噛み締めて素直に反省していたんだから。


自惚れていた自分を叱咤して、現実を見て、不幸のどん底みたいに落ち込んでみたのだから。









(そうやって、目を逸らしたっていうのに)













『素直になれよ』










声が聞こえた。
かつて門田京平が呟いた言葉。


高校生だった俺は聞こえないふりをしていたし、言った本人も聞かれる事は望んでいなかっただろう。

それでいい。だってふざけた戯れ事だ。

ごめんね、ドタチン。
俺はね、自分の欲求に素直なのさ。


だから、無理。
もう素直なんだから、これ以上素直になんてなれないよ。




だから、だからさ。









(もうこれ以上思い出させないで)






指先が、ズキリズキリと痛む。





俺の必死の攻防なんて虚しく、眼の前にバーテン服姿のシズちゃんが現れる。


俺が見たくない表情を浮かべて、寂しそうに立っている。

それは高校の時に見た、俺の爪を傷つけた時のシズちゃんの顔。



大嫌いな俺に傷を負わせたっていうのに、まるで嬉しくなさそうだった。

それどころか、見てしまったこっちが痛々しくなるような、まるで人間らしい表情を浮かべていた。

今にも泣き出しそうなその顔を、思い出したくなんてなかった。








( 俺 は 結 局 …… )







悔しい。悔しい。
認めたくなんてない。
だって認めたら終わりだ。


それはいけない。



だって俺、素敵で無敵な情報屋さんだから。




シズちゃん以外の全ての人間を愛しているから。





だから、そう、この話はおしまい。





なのに、なんでまだいるんだ。









(ごまかそうとしたのに)








眼を閉じれば、高校生のシズちゃんがいる。


眼を開ければ、バーテン服のシズちゃんがいた。







見てはいけなかったのに。
見たくなかったのに。
見てしまった。






今にも泣き出しそうな、弱々しい顔のシズちゃんを。





やめてよホント。
調子が狂うったらないさ。



だって君は俺が嫌いなんだろう?

だったら、もっと愉しそうな顔をすればいい。

傷ついた顔なんかして、怯えないでよ。



君が、そんな、俺を壊れモノ扱いなんてしないでくれ。






俺を――――……











( も う や め ろ )








気付いてしまったら、自覚してしまったらもう取り戻せない。


違う、自覚なんてしている。
ずっと昔から、あの爪が壊れた日から気付いている。



だから、俺は、上手く目を逸らしたっていうのに。

ずっとごまかして――嘘をついてきたというのに。




どうして俺が、咄嗟に、衝動とはいえ、大嫌いなシズちゃんに縋ろうとしたか。

そんな滑稽で愚かな失敗を犯したのか。

どうして俺が、傷付いたシズちゃんの顔を見て、動けなくなったか。

何故、傷付いたシズちゃんの顔を見たくなかったのか。





そんなの、決まってるじゃないか。








でも、だから、だからこそ。











(言葉にすれば、壊れてしまうんだ)







俺は自分の気持ちを知っている。



新羅の懸念も、ドタチンの優しさも、シズちゃんの臆病さも。



だから、そう、利用するんだ。


全てを、全てを。


嘘で隠して、絶対に認めさせない。気付かせない。

壊れてしまったら、きっと直らないから。








( だからさ、このまま )








( 自分に嘘をつかせてくれ――…… )

















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