drrr 長編

□lodedate15
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――何かが零れ落ちていった。

手を伸ばした。
掴もうとした。
抗いたかった。
抗った。
誰を追ったのか、何を願ったのか。
必死だったのに覚えていない。
目覚めた瞬間に消えてしまう夢のように、胸中をかき乱すだけ乱して無残に消し飛んだ、何かが。

それでも俺は、何を求めたか解らなくても、覚えている。
俺は認めない。許さない。諦めない。掴む。追う。願う、願う、願う。
――逢いたい。
そんなただの衝動はただの衝動でただの衝動だから、俺は衝動のままに――運命に抗った。

「残念。素直に寝ていたら楽だったのにね」

閉じた瞼を押し上げた、その先に。

俺の宿命がほくそ笑んでいた――。





瞼を押し上げる。
光が見える。眩しい。瞬きをする。
冷たい空気を感じる。酸素を吸い込む。
むせる。吐き出す。
静かだ。音がしない。
息を吐き出す。吸い込む。
呼吸音が聞こえない。眩しい。

「残念。素直に寝ていたら楽だったのにね」

声が聞こえた。
すぐ真上からだ。
そこまで自覚した瞬間、霞んでいた視界は声の主を捉える。
紅の瞳を持つ、歪んだ笑みを浮かべた男。

――臨也!?

唐突に世界が色づいて、俺を一気に覚醒させる。

「……いざっ」

だが声は上手く出なかった。
頭上にいる人物――臨也の名を呼ぼうとしたらむせた。
肺が苦しい。身体も重くて動かない。

――俺、倒れてるのか?

声も身体も自由にならず確認もできないが、俺は空を見上げている。
どうして地面に寝ているのか。
理解が追いつかない。
俺は勇者達を追い払おうとして、一人で待ち構えていた。
予定通り勇者達が来て、さっさと勇者を倒そうとしたら、その勇者が弟で、俺は混乱して。
そしたら後ろから臨也が来て、背中に衝撃が走って、でも俺は何もできなくて。
臨也が、弟が、仲間が人間がモンスターが!……俺をどうした?

――そうだ、どうして臨也がここに?

――それよりも、どうして幽がいるんだ!?

回らない頭は、あまりに予想外の光景に機能が低下したままで、パンク寸前だ。

「今だ……攻め込め!」

しかし呆然とする俺を尻目に、事態はどんどんと進んで行った。
聖騎士風の男が鋭く言い放つと、背後にいた奴らが次々に俺の脇を駆け抜ける。

「園原さんを取り戻すんだ」

「俺達三人で帰る。そのために俺達は、ここに来た!」

「俺らも渡草を連れ戻させてもらうぞ」

「ついでにお城もたんけ〜ん!ナマ魔族を拝ませてもらうよん」

「夢魔とがドラキュラとかいるんですよね狩沢さん!くう〜萌えます!」

「ケンカよくないよー。やるならクチに寿司ツッ込むねェ」

思い思いに何事か話しながら、勇者一行は城へと攻め込んで行く。
最後に残ったのは、俺と臨也。そして――幽だけだった。
そう、目の前にいるのは確かに幽だった。
相変わらず体つきは細いが、記憶にある姿よりずっと大人になって男らしい。
元気そうな姿に、傷痕のない綺麗な顔に、俺は状況も考えずにほっと胸を撫で下ろした。
しかし状況は最悪で最低で、俺を待ってはくれない。
解っている事は唯ひとつ。
俺が誰よりも護りたかった、俺の自慢の、たった一人の弟。
かつて俺自身の手で傷を負わせてしまった故、俺は二度と会わないと、逢ってはならないと心に決めた――最愛の弟。


その弟は今、敵として俺の目の前にいる。


「……久しぶり、兄さん」

「か……すかッ」

呼吸をするのがやっとで、声なんて出なかった。
それでも必死に視線を弟に向けて、声にならずとも訴えた。

――お前が元気で良かった。立派になったな。どうしてここにいる?お前が勇者なのか?母さん達は無事か?役者にはなれたのか?

――ごめん。ごめんな。魔王が兄貴でごめんな。俺なんかが兄貴でごめんな。

場違いな喜びと疑問、そして贖罪の気持ちが一気に溢れ出した。
状況は把握できないまま、感情は滅茶苦茶なまま、それでも俺はどこか救われたような気になってしまう。
兄さんと、幽が呼んでくれた。
目の前にいるのは俺の弟なんだ。
俺はまだ幽の兄であったのだと、嬉しくて胸が一杯になった。
だから俺は救われてしまった。



幽は纏っていた黒いローブを脱ぎ捨て、腰の剣を抜きながら歩きだす。
状況は最悪で最低で、俺の理解を待ってはくれない。
けれど俺は安堵してしまった。
身体は動かず声は満足に出ない。仲間の安否も戦況も分からない。
幽がここにいる理由も、臨也の存在も理解なんて出来ていない。
それでも幽に倒されるのなら、俺はやっと終わる事ができる。
そう思って安堵した。
抗いたかった何か。違和感を感じた今までの戦い。闇の中で掴もうとした、誰かの手。
把握できない焦燥感は今もこの身を襲い続けている。
俺の無意識は今なお抗っている。
大きな流れに、誰かの策略に、目の前の現実に抗っている。
この身を巣食う本能はサイレンを鳴らしっぱなしで、足音が近づくほどに身体は勝手に暴れようと水面下でもがく。
けれど、それを、やめた。
本能に逆らって、衝動を押し殺して、現実を受け入れる。
弟に殺されるのならいいと思って、眼を閉じた。
今までの運命に納得はできなくとも、相手が弟であるなら、もう抗ったりなんかしなくていい。
仲間達の事が脳裏に浮かんで、今なお俺を足蹴にする臨也の存在に胸がざわめいた。
それでも俺は瞼を閉じたまま、湧き上がる暴力の衝動に耐え、そっと笑った。

理由は解らなくても、きっと、いいや絶対に弟が正しい。
だから俺は負けていい。
何も考えず、抗わず、倒されるのがいい。
幽の足音はすぐ間近に迫った。
俺は満たされて、笑った。

――これでやっと終われる。



「臨也さん……兄を頼みます」


……。
…………。
………………。
今、なんて言った?

「りょーかい。まぁ悪いようにはしないさ」

弟が、今の勇者の幽が、俺の頭上で会話している。
誰とだ?
イザヤと言った。
イザヤ、イザヤは臨也だ。
俺を、今、踏みつけているのは誰だ?
アイツだ。臨也だ。
頭上には二人の人物。それは、俺の大切な幽と、臨也。

「……」

俺の視界は揺らいで、頭はくらくらしっぱなしだ。
意味が解らない意味がわからない、わからないのに!
俺は、一瞬、紅い眼を見てしまった。
揺らぐ筈の視界の中、はっきりと捉えてしまった紅。
紅い、臨也の瞳が俺を映し、そして嗤った。

「――イッ」

臨也!
ぞくりとした何かが俺の背中を伝う。
直感。
予感。
確信。
この男は敵だと。
天敵、宿敵、そんなどうしようもないまでに敵なのだと再認識する。
そう、頭上にいる男はワルイモノだ。
吐き気をもよおすような嫌悪感が、その考えを後押しする。
そのワルイモノが、危険で気持ち悪くて信じられなくて天敵で宿敵でしかなくて、きっと見てはならない、視覚してはならないワルイモノが俺の、俺の大切な弟と向き合っている!
停止した思考も押さえつけた衝動も吹き飛んで、俺は頭上の二人に釘付けになる。
世界は二人と、鳴りっぱなしだった警戒音に支配される。
紅い眼は俺を映さず、あろう事か俺の弟を映していた。
感覚の無かった体に僅かな神経が繋がりだす。
怒りか、恐怖か、俺の体は震えていた。
コワイ、コワイ。
あの紅い瞳に弟が映っている。
イヤダ、イヤダ。
それと相対する弟の瞳に浮かぶのは、ワルイモノに対する警戒心と緊張、そして……そして。
それらに負けない――信頼。

「幽!」

堪らず叫んだ。必死の叫びは正しく叫びとなり、弟の耳に届く。

「……兄さんごめん。説明している時間がないんだ」

そして幽は記憶通りの弟で、無表情だが誠実な瞳のまま俺に返事をした。
強い意思を持った幽の眼差しに、ほんの僅かだが神経が緩み不安感が薄れる。
そうして俺が一度深く息を吐いた隙に、幽は動いた。

「本当にごめん。俺は……ルリさんのところに行かなくちゃ」

幽は剣を抜いていた。だが幽は俺に剣を向ける事なく、他の奴らと同様に俺の脇を通り過ぎる。

「……かすか」

幽の背中が、俺を通り過ぎてしまう姿が妙にゆっくり見えて、世界はまたしても俺を置いてゆく。
弟の名を呟く俺の声は希薄で、幽を呼びとめる力など持たない。
幽は自分の意思で俺に背を向けた。なれば俺に止める権利も意思も元よりない。
だが、違和感。言いようのない不安。
世界は俺を置いてゆく。だが未だ、俺は生きていて、そして警戒音が俺を圧迫する。
世界は俺を置いていきながら、尚も俺を捕えて、どうしようというのか。
いいや、そんな事は問題でない。
問題なのは唯ひとつ。
弟は弟で、勇者であろうが、俺を討とうが生かそうが、それが弟の意思であるのなら、何故今も俺はこんなにも。
こんなにも、震えているのか。
茫然と背中を見つめる俺に、最後に幽が振り向いて、俺が久しく見ていなかった無表情の笑みを見せた。
そして幽は口を開く。
ああ、やめてくれ。

「大丈夫」

聞きたくない、聞きたくないんだ。
だってもう、俺は知っている。
世界は俺を置いていきながら、未だ俺を掴んで離さない。
何故なら。

「臨也さんを信じて」


何故なら、あいつが――臨也が俺を離さないから。



2012/01/09加筆
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