BASARA

□キットカット物語
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ワシは英語が大の苦手だった。
自分でも不思議なんだが、どうにも欧米文化が性に合わないらしい。
漢字はスラスラと覚えられるのに、何故かアルファベットはさっぱり覚えられなかったから、
中学生になって英語を習い始めた頃は憂鬱だったものだ。
最近は小学生から英語を習うそうだが、ワシなら発狂していたと思う。


初級英語で躓いたワシに両親も危機感を覚えたらしく、知人宅の英語が得意な息子さんに家庭教師を頼んでくれた。
そうしてやって来た男子高校生は、英語が言葉の端々に混じる一風変わった人物だった。
勉強は嫌だったが高校生の兄ができたようでワシも嬉しかった。
だが成績の方はなかなか結果が出ず、教え子のワシが一向に英語が理解できない事に教師役の彼も匙を投げた。
だから、きっとやけくそだったのだろう。
学校の定期試験の前日、追い込みをかけるワシに彼は赤いパッケージのチョコレート菓子を渡してこう言った。

「いいか、これは割って食うんじゃねえぞ。一本ずつだと『Kit Kat』だが、割らずに食えば複数形で『Kit Kats』になって勝てるぜ!You see?」

キットカッツできっと勝つ。
たぶん言ってて自分で失敗したと思ったのだろう、彼は言い終わると気まずげに顔をしかめたのだが。

「そうか!絆だな!」
「HA?」
「絆の勝利だ!」

複数形イコール勝利イコール絆の勝利。
聞いた瞬間に結び付いた方程式にワシは感銘を受けた。
家庭教師の手を握ってブンブン振り回しながら、ワシは嬉しくて笑ったものだ。
彼は呆気にとられていたが、こうしてワシは土壇場で複数形をマスターし、翌日の英語のテストもなんとか赤点を免れた。
我ながら単純だと思うが、これがキッカケで毛嫌いしていた英語とも地道に絆を深めていった。
今考えてみれば、高校受験で無事に志望校で合格できたのは、あの時のあの言葉のおかげだったのだろう。



それ以来ワシはそのチョコレート菓子を食べるのが大好きになった。
試合や試験の前は必ず食べるようになったし、それ以外の時もワシは折らずにその菓子を食べるようにした。
端から見れば馬鹿馬鹿しいだろうが、ワシにとっては大事なお守りだった。

それは高校生になっても変わらず、今では常にカバンの中に赤いパッケージを忍ばせている。
所謂チョコバータイプのものもあるらしいが、ワシは初めに食べたスタンダードなものを好んでいた。
二本を割らずにガブリとかぶりつくからいいんだ。
ワシの癖には首を傾げつつも、ワシが菓子を常備していると知っている友人達は、腹を空かせると菓子を要求してくる事が度々あった。

「あー腹ァ減ったぜ。なぁ家康、アレ分けてくれよ」

その日もこんな調子で親友が菓子をねだってきた。

「ああいいぞ。ワシも小腹が空いたからちょうどいいな」

快く了解して鞄を開いてから、しまったと後悔した。
珍しく買い忘れていたからか、鞄の中には一つしか残っていなかったんだ。
少し残念だったが、ワシはその一つを親友に差し出した。

「ア?もしかしてラス1か?」
「まぁ気にするな。食ってくれ」

正直に言うとワシはそんなに甘党ではないから、だいぶ甘口のこの菓子を皆が思う程好きで食べている訳ではない。
最近は一袋丸々食べると歯が浮いてしまうので困っていた。
それでも癖で食べているから自業自得なんだがな。
だから特に執着なく、一個しかない菓子を腹ぺこの友人に譲ってやれば。

「なんでぇ悪ィな。ならよ」

ポキッ

「半分こ、しよーぜ」

気を遣って親友は割った菓子の片割れをワシに戻してくれた。

「……」

二本が一本と一本になった。

目の前で起こった出来事にア然として直ぐに受け取る事は出来なかったが、差し出された一本と親友の口に含まれた一本を見て、ゆるゆると嬉しい気持ちが込み上がる。

「ありがとう!絆に感謝する!」

半分になった菓子を見て少し淋しい気はしたが、そんな感傷はすぐに吹き飛んだ。
小さいけれど、二人で仲良く食べられるなんて素敵な事だ。
二本だった一個が二本に。
これも立派な絆だ。

半分こにした菓子は、甘いけれど歯は浮かなかった。



それからワシは人と分け合って食べる時は菓子を割るようになった。
特に仲良くなりたい相手には、一袋渡せばいいものを敢えて半分こにして渡す。
だってその方が絆を深められる気がするんだ。

「貴様の手がついたものなど食えるものかぁぁああああ!」

でもこの友人からは未だ食べてもらえた試しがない。
普通は袋に入れたまま半分に割るものらしいが、ワシはついつい割る前に袋を開けてしまうのだ。
指が汚れるとかチョコを直に触るな等々、友人達からは毎度突っ込まれるのだが、割らずに食べていた時の癖はなかなか抜けないものだ。
何より、袋の中で半分に折るのは絆を断ち切るような気がして好きになれなかった。
ちなみにこの万年栄養不足の友人は、ワシが手づかみせずとも。

「貴様からの施しなど要らぬ!死んで詫びろ!ぃぃいいぇええやすぅぅうう!」

となるので、結局の所食べてくれない。
もしかしてビター味なら食べてくれるだろうか?
最近は半分こにしても甘さをキツく感じていた。
ワシより甘党だった気はしたが、もしかしたらこの友人もそうかもしれないと考えてみた。
食べてもらえなかった二本の菓子を食べながら、次は違うタイプを用意しようと決めた。
全部食べると、やっぱり甘すぎて歯が浮いたからだ。



だがまぁ、結局のところワシは今でも赤いパッケージの甘ったるい菓子を持ち歩いているんだがな。
何故なら――



「徳川、菓子を寄越せ」

これも甘味の成せる技なのだろうか。
ある日いきなり、今まで一度も話した事のなかったクラスメートから菓子を要求された。
毒舌かつ取り付く島がない事で有名な彼は、これまで何度か話しかけても挨拶さえ返してくれなかった。
きっとこの機会がなければ喋る事はなかっただろう。
だから戸惑いつつもワシは素直に喜んだ。

「いいが……残り一つだからワシと半分ずつでも構わないか?」
「フン、使えぬ駒め」

文句を言いながらも席を立たない彼に破顔する。
拒否されると思ったんだが、意外にも了承された。
かなりの甘党だと噂で聞いていたが本当だったとは。
駄目元でも言ってみるものだな。この機会に沢山話せたらいいな。
などと嬉しくて気が緩んでいたワシは、またしても菓子を半分にする前に袋から出してしまった。

「あ」

潔癖そうな彼の事だ、食べ物を手づかみにしては怒られるだろう。
仕方がないので今回は半分こにするのは諦めようと、中身がほぼ袋から出た状態で彼に差し出した。
だが差し出した菓子を受けとったのは彼の手ではなかった。

「ん」
「えっ!?」

吸い込まれるように菓子が彼の口の中へ。
彼は小さな口を開いて、ワシが差し出した状態のままの菓子をあむっと頬張った。
二本の菓子はくっついたまま彼の口に含まれて、ザクッと小気味よい音と共に、大部分がワシの手から離れた。
あまりに予想外の光景に絶句してしまったが、当の彼はワシなど見向きもせずに甘ったるい菓子を咀嚼している。
無言無表情のままだから機械的に食べているように見えたが、ぼかんと眺めていればそれは違うと分かった。
目元を細めてゆっくりと菓子を噛み締めている彼は、傍目には分かりにくいが菓子を味わって楽しんでいた。
うん、とても美味しそう食べている。
日頃『氷の面』と言われている彼だが、存外柔らかい雰囲気になるのだと知って驚いた。
そうだ、ワシは思わず魅入ってしまったんだ。
だが彼に見惚れていて自覚はなかったが、ワシはだいぶ間抜けな顔をしていたらしい。
不躾な視線が不快だったのか、ギロリと睨まれた。

「なんぞ文句があるか。ちゃんと半分残してやったではないか。器の小さい男よ」

そして菓子をしっかり飲み込んでから、彼は何故か偉そうに言ってのけた。
半分残したと言いながらも、手元に残ったのはどう見ても半分未満。
というか一口分しかない。

「……ブッ」

その大胆な主張と食べっぷりが妙におかしくて、気づけば笑い出していた。
二本は二本のまま、半分――正確には八割とニ割になった。
菓子は二本で一つのまま、それでも二人で分け合える。
この新事実に頬を緩ませたまま、ワシも彼と同じように菓子を頬張った。
腹はちっとも膨れないが、一口ならこの甘さでも歯は浮かない。
その事がなんだが楽しくておかしくて、ただ嬉しい。

「徳川、次はもっと大量に用意しておけ」

そしてやっぱり偉そうな彼にワシは――――



今日もワシの鞄の中には赤いパッケージのチョコレート菓子。
目の前には無言無表情のまま菓子を咀嚼するクラスメート。

「毛利殿、ワシにも一口くれ」
「人の食いかけを欲するとは誠、浅ましき事よ。手元にある自分のを食えばよかろう」
「一個丸々食うには甘すぎるんだ。あと一応、毛利殿が食べてるのもワシのなんだが」
「我が手に取った瞬間から所有権は我にある。相変わらず器の小さい男よ」

そう言う彼は相変わらず口が悪いのだが、それでもワシの傍で菓子を食べている。

「そもそも甘味が苦手なら何故菓子を持参するのか」
「好きなんだ」
「苦手なくせに好きだとほざくとは、げに理解不能な行動をとる。まぁ貴様ごときの嗜好など知った事ではない。駒は駒らしく――」
「あ、そっちじゃなくて」
「む?」
「毛利殿が好きなんだ」

ぽかんと口を開けた毛利殿は菓子を取りこぼした。
机の上に転がった彼の食いかけを拾い上げ、ひょいと自分の口に突っ込んだ。
口の中に広がる甘味が好ましい。

二本は二本のまま、ほんの一口だけで幸せな味。
嗚呼うん、やっぱり好きだな。

「毛利殿に惚れたんだ」

二本は二本のまま、二人で一緒に食べられる。
単純でも構わない、それを教えてくれた毛利殿が好きなんだ。


キットカットの複数形でキットカッツ。
毛利殿と一緒に食べたなら、なんでも勝てる気がする。
これもきっと、絆の勝利。



END

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