螺旋の聖譚曲
□第参楽章 『ある男の狂想曲』
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第参楽章 【とある男の狂想曲】
ヴォルフが旅を始めてから二週間が立った。
夏のシーズンが終わり、陽射しと暑さが段々と柔らかくなってきた為か馬達は以前よりも快調に馬車を進めた。
この調子ならプロイセンには明日か明後日中に着くかもしれない。
『もう少しですね。』
ニコニコとヴォルフの横で微笑みながら、髪を高く結ったのを帽子で隠し、男装したルージュはそう書いた。
御者台に座るアンナはそれに答えるように頷き、ヴォルフもまた"そうですね"と笑う。
ルージュは以前にフルートを貰って音楽士の資質が高い事がわかってからはヴォルフがそれを教えてあげていた。
しかしその力は時たま予想外の暴走を始めていた。
この間の晩にたまたま野菜を切っていた時、
まな板と包丁が楽器がわりとなったのか、
それとも感覚が太鼓に似ていたからなのかはわからないが、
コックの帽子をつけた人間がフライパンとお玉を持っている、というなんとも不思議な幻影が現れた。
結局その幻影はぽかんとするルージュ達の目の前で
夕飯を作り上げると自動で消えたからよかったものの、
先日の細くて長い薪を折る作業の際に『ぽきん』と折れた音で生まれた焚き火の妖精のような幻影を消すのはとても大変だった。
「ともかく、ルージュは力の制御を覚えなくては行けませんね」
その言葉にルージュは曖昧に頷いた。そもそも何故こんなに力が操れるのか、とても不思議だった。
前に誰かに習ったのかと聞いた事があったが、
ルージュは複雑な笑みで笑むばかりで、
何も話さないはもちろん、何も書かなかった。
それがどうにも痛々しくて、ヴォルフはそれ以上は聞く事ができなかった。
ただ、一言"まぁ制御とは関係ありませんし…何も聞きません"と答えるのが精一杯だった。
こんなにも小さいのに。どれだけの闇を彼女は抱えているのか。
ヴォルフは時折寂しそうにフルートを奏でるルージュを見てふとそんなことを考えてしまう。
家族は居るのか、
否、その前に家族が彼女を売ったのか。
それともやむを得なかったのか。
後者であるのを祈りながら
馬車の窓から空を見上げていると、声がかけられた。
「あ、ヴォルフ様。村が見えてきましたよ!
もう夕方になりますし、あそこで泊まるのはどうでしょう?」
アンナの声が届くとヴォルフは"わかりました。頼みますよ"と返す。
(はて、今はどこらへんなのでしょうか…?)
大分進んだ気もするが、どれくらいぼぉっとしていたのだろうか。
ふとなんだか肩が重い気がして横を向くと、ルージュがすやすやと寝息を立てて眠っていた。
(あ…。)
彼女の閉ざされた目からは涙が一筋零れる。
声無き悲しみの叫びは、何よりも心に響くようだった。
ヴォルフは彼女の涙を人差し指で拭うと、"大丈夫ですよ"と頭を撫でてあげた。