Novel
□ホワイトデー翌日の話
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のそり、と身体を起こして相馬はシーツから顔を出した。
乱れた髪をのろのろと手櫛で整え、取り敢えず服を着ようと近くにあったものに手を伸ばすが再び力なくシーツにぱたりと倒れる。
その様を横で見ていた佐藤は吹き出したい衝動に駆られたが、静かに煙草の煙を吐き出すだけに止めた。
…昨日はホワイトデー。つまり例のXデーである。
『バレンタインの三倍返し』というどこぞの誰かが言い出したルールを振りかざし、相馬を約束させ、…悪く言えば嵌めさせた佐藤はこの度めでたく恋人と身も心も繋がることが出来た。
佐藤の表情は普段通りに落ち着いたままだが見えない花を周りにきらきらと飛ばしめちゃくちゃご機嫌である。
美味しかった。実に美味しかった。
そんなちょっと最低な感想を抱いちゃうほどに昨夜は隅々まで相馬を味わい尽くしてしまった。
相馬の心の準備期間があったおかげで多少ぎこちなさはあったものの、行為への流れはスムーズだったのも喜ばしい。
しかしやはりと言うべきか問題は起こったのである。
それは本番…いざ挿入の時、
有体に言えば相馬はパニックを起こした。
どうやら相馬は身体の負担や苦痛の覚悟はしていたようだが快楽の想定はしていなかったらしい。
佐藤が動く度に反応する己の身体に戸惑い、混乱し、泣きじゃくり縋る様は今思い出しても三倍どころか余裕でおつりがきます本当にありがとうございました。
…とはいえ、ほぼ強引に行為の約束を取り付けさせた上に初心者に少々無理をさせてしまった節はあるので罪悪感も勿論ある。
「水飲むか?」
出来る限りの優しい声色で声を掛けると相馬はぴくりと肩を揺らした。
怠慢な動作で見上げてきた相馬の目元は未だ赤く、情事の名残を見せ付けられているようで少し落ち着かない。
しかしすぐに逸らされ、水分が引かない目元と同等に潤っている唇が徐に開いた。
「…どうしよう」
「ん?」
「………恥ずかしくて…今なら軽く本気で死ねる」
顔を真っ赤にして呟く相馬に今度こそ佐藤は吹き出した。
「だっ…だってっ…佐藤君があんな顔とあんな声で、あんな…っ」
うわああ、と頭を抱え益々顔を赤くする。どうやら昨夜の光景がフラッシュバックしてしまったらしい。
初めては慎重過ぎるくらいが丁度良いと丁寧に丁寧を重ねて進めた行為はなにもかもが初めてな相馬にかなりの衝撃を与えたようだった。
その初々しい反応が面白くてまた更にねちっこさが加わってしまったのは致し方のないことだとは佐藤の言い分であるが。
「うぅ…、俺もう佐藤君の顔まともに見れない…」
「それは困るな」
恥ずかしがって悶えている姿を見るのもオツなものだが、追い詰めすぎてヘソを曲げられても困るので、シーツに顔を埋める相馬の頭を宥めるように撫でてやる。
と、恨みがましそうな眼で見上げられた。
「……佐藤君はなんでそんなに落ち着いてるの?俺一人パニクって大騒ぎして、全然余裕なくてめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど…」
「いや、俺も余裕なかったけど?」
「余裕のない奴があんなことするかあ!!」
ばすんッ!と力の限り枕を投げ付ける相馬。
……一体なにをしたんだ、佐藤!
「…嫌だったか?」
「え?」
特に動揺の素振りも見せず顔面にぶつけられた枕を退かし、佐藤は風圧で乱れてしまった髪もそのままで口を開いた。
「俺とするのは、嫌だったか?」
「なっ…、」
思わぬ返しに言葉が詰まる。
嫌だとか、そんなわけがない。寧ろ恋人らしい恋人の関係になりたいと常日頃思っていたのは相馬の方だ。
切っ掛けはなんであれ嬉しかったのだ。純粋に。ただそれを遥かに凌駕するほどの羞恥心が素直にそれを受け入れられなかった。
静かに真っ直ぐ見据えてくる眼に居たたまれなくなり、情けなくて申し訳なくて、相馬の口が勝手に滑る。
「ち、違、嫌だとかそういうんじゃなくて、恥ずかしかったけどちょっと驚いたというか、や、だから、その、」
「………」
「………キモチヨカッタ、です…」
「は?」
そこまで聞いてない。
「うわあああ言わせんなよもおぉおお」
「いや、勝手に言ったのはお前だろ」
そう言ってもプチパニック継続中の相手に聞こえるはずもなく。
言い訳にもならないことを言ったりわたわたと忙しそうな相馬を見て、
佐藤はとうとう声を出して笑ってしまった。
「…お前、やっぱり可愛い」
自然と零れた言葉だった。
するとあれだけ騒いでいた相馬がぽかんと呆けた顔になり、じわじわと真っ赤になって硬直してしまった。
それを見てそういえば口に出して言ったのはこれが初めてだったかもしれないと佐藤は気付く。
甘い雰囲気もなにも無いグダグタな朝になってしまったが、三倍返しルールという跳び級のおかげでなんだかやっと恋人同士になれた気がした。
随分と遅くなったけれども。