よみもの
□あなたの隣に
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穏やかな海は初秋の澄み切った空を写したように碧かった。海岸線沿いにある星矢のヨットハウスに向かう瞬は、吹き抜ける涼しい風にパーカーの襟元を掻き合わせた。
「着いたぜ」
階段を景気よく昇っていくと、星矢はヨットハウス二階にある自室のドアを開ける。
「ただいま〜。悪い、待たせたな!」
乱雑にスニーカーを脱ぎ捨て、部屋に上がる。
「お邪魔しま〜す」
後ろから瞬も続いて部屋に入る。一体自分に会わせたい人物とは誰なのだろうか。星矢の背中越しに首を伸ばし、窓辺の椅子に腰掛けている人物を見てみたが、逆光で顔は見えない。問題の人物は、星矢の声にこちらを振り向いたようだった。
「ほら、瞬。あいつ、お前に会いたかったんだってさ」
星矢は瞬を掴むと、ずいっとその人物の前に押し出した。その人影が椅子からすっと立ち上がる。
「あ…」
「アンドロメダ」
瞬の名を呼んだのは、かつて海底神殿で死闘を繰り広げた、スキュラのイオであった。
「イ、イオ…!どうして…!」
彼は死んだはず。他でもない自分が手に掛けたのだ。静かに瞳を閉じ、命が消えていく瞬間まで、自分は彼を腕に抱いていたのだ。
余りのことに二の句が継げない。ただ呆然とイオの顔を見つめる。逆光の中で彼の顔は優しく微笑んでいるようだった。
「海闘士も、ハーデスに甦らせてもらったんだと。アテナの聖闘士ばかりずるいって、ポセイドンがハーデスに横槍を入れたらしいぞ」
神様ってみんなちゃっかりしてるよな〜と、頭の後ろで手を組みながら、星矢が説明する。瞬は星矢を見、そしてまたイオに視線を戻す。
「本当だ。私は生きている」
触ってみるか?
イオはそういうと瞬の頬に手を伸ばした。
頬の上に、暖かいイオの手の、確かな存在感を感じる。幻ではない。瞬の目から涙が零れ落ち、彼の手を伝った。
「ううっ…ぇぐっ…」
しゃくり上げながら泣き出した瞬に、星矢が頭を掻きながら「やっぱり泣いちまったかぁ。でも良かったよな!瞬。」と瞬を慰める。
「まあ私も、お前なら多分泣くだろうと思ったよ」
イオも苦笑して瞬の目尻を拭う。
「ご、ごめんね、イオ。僕…」
ずっと後悔していた。自分がもっと強ければ、イオを死なせることも無かった。強い意志を持てず、戦いの中で中途半端な甘さを弄んだ。そんな自分のせいで倒れたのに、彼は最後まで自分を心配してくれたのだった。
「謝る必要はないさ。俺達が負けたのは、必然だった。大義が無かったからな。生き返った後でだが、あの戦いの真の意味を知ったよ…」
イオは自嘲の笑みを浮かべた。瞬は、それがシードラゴンのカノンが企んだ野望のことだと悟った。イオ達は、やはりカノンのことをまだ許せていないのだろうか…。
自分と同じ様に表情を曇らせた瞬を見て、イオが慌てる。
「悪かった。お前を悲しませるために来たんじゃないんだ。」
イオが日本に来たのはとある事情によるものだったが、それとは別にわざわざ瞬に会いに来たのは、この気の優しい少年が、自分を手に掛けてしまったことを気に病んでいるのではないかと心配したからだ。案の定、泣きながらイオに謝る姿を見て、自分が生きていることを知らせることが出来て本当に良かったと思う。