しがないバイトです。
□第一章
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「じゃーなー悠兎。後でメシ奢れよ!」
「ああ、じゃ」
手を振る川田を横目に、俺は足を早めた。やべえ、やべえって!
先程から胸ポケットで主張する携帯を諦めて取り出し、通話ボタンを押す。
「…はい」
「佐伯くん!今どこ!?」
おー、怒ってる。
「走って向かってますよ。あと10分もあれば「急ぎなさい!!」…はい」
橋本さん、最近旦那さんと上手くいってないみたいだし、イライラしてんのな。
そう勝手に解釈した俺は、滴る汗を手で拭いながら走った。
全速力。
なんたって今日は鬼の来る日だからな。
照り付ける太陽は、皮肉にも鬼を歓迎するかのように輝いていた。
***
ド田舎でも都会でもない、至って普通の町の中心にある、スーパーマーケット。
その中の小さなパン屋で俺はバイトしている。
時給と通い易さだけで選んだバイトだが、半年にもなるとシフトが入っている日は嬉しくてしょうがない。
しかしそれはあくまで、鬼の来る日と被っていなければ、だ。
「こんちは!!」
8分で着いた。俺は肩でぜえぜえと呼吸しながら、小さくガッツポーズを決めた。
社員専用の裏口のドアを開けると、ほんのりパンの甘い香りがした。
「佐伯くん!」
「橋本さん、こんちは!間に合いました?」
今年で30になったらしい橋本さんは、マスクに緑のエプロン、それにビニール製の帽子というパン屋店員のお手本のような格好で現れた。
「もう尾西さん来てるわよ。今は店舗チェックしてる。とりあえず急いで着替えてきなさい!」
「うわあ…わかりました」
俺は尾西という言葉を聞いてがっくりとうなだれた。
そう、彼が鬼だ。尾西だから鬼。
月に一度本店からやって来ては、めちゃくちゃ厳しいお言葉を残していく奴。
高校3年生の俺と大して変わらない年だっていうのに、橋本さんにも他のバイトさんにも、店長にも容赦がない。
まああの身長と芸能人みたいな顔、的確な指導に逆らおうなんてのが無理な話だ。
そんなことを考えながら着替え終わった俺は、マスクを付けようとマスク入れに手を伸ばし、隣の鏡をチラリと見た。
168cm。高3にしては少しばかり小さいかもしれない。
あまり筋肉も贅肉もついていない貧相な体。
顔だって尾西のように整っているわけではないし、走ってきたせいか黒い髪の毛はぐちゃぐちゃ。
まあいいんだけどね。
マスクを着けて、俺は店内へ向かった。