睡眠不足は思考を奪う 分かっていても計画通りにことが進まないので仕方がない よたよたと朝の教室に入ってきた彼女はクラスメートで隣の席の荒北に力なく声をかけた
「……おはよ」
「柊チャン、顔色悪いねェ」
「二徹だからねぇ」
荒北が心配そうに声をかけてくるが、彼女にはもう喋る気力は残っていない 始まるまで寝ていようと机に突っ伏した それからの意識がどうもはっきりしない
「玲良、お疲れみたいだな」
朝練後にパワーバーを齧りながらやってきた新開が彼女を突っついたり頭を撫でたりしたが反応は返ってこなかった
「静かにしろよ、ボケナス」
「仕事だから仕方ないって言ったって、こんなに細っこいんじゃ、いつか倒れちまうんじゃないかって心配だ」
突っ伏した下敷きになっている腕は随分と細い
「漫画ってのは色々削ってやってんだなァ」
「それで俺たちは楽しく読ませてもらうと。感謝感謝」
彼女が正式に連載する漫画家になったのは二年の後半だった 連載作家になった彼女を苦労していたときから知っている同学年からすると、色々と心配してしまう部分が大きい
「先月、掲載順位下がってなかったか?」
「駄目なときは駄目って、は割り切ってたけど、内心穏やかじゃないだろうな」
いつ打ち切られるかもしれない恐怖と小さな背中が闘いながら描いているかと思うと、どんなに分からない世界でも尊敬する
「へェ」
「俺は欠かさずアンケート書いてるぜ。ウサギのイラストつき」
新開はバキュンと彼女を撃つ仕草などしているが彼女の方から反応は返ってこない 寝ているのだから、当たり前だ 荒北は阿呆な動作を手で無理矢理止めさせて、声を小さくした 彼女の少ない睡眠時間を邪魔したくはない
「ケッ。ウザイんだよ。俺だって出してる」
「自転車競技部三年はほぼ全員書いてるだろ」
彼女の漫画の月刊誌の発売日翌日には、読んでどうこう言うのが部室の恒例の話の種になっている
「俺はフクチャンが書いて直接渡してんの、最初結構ビビったんだけど」
本人たちだけが知らぬふりを通しているが、手紙のようにして毎月渡されているあれが何かだなんてもう学年では周知の事実だった
「ああ。知らない人から見たら何事って感じだよな。なあ、靖友。あの噂を知ってるか?」
「……何だよ」
「柊ちゃんが誰かをモデルにして漫画を描いてるって噂」
「そりゃ、手短な人間くらい参考にするだろ。特にコイツの描いてるのは」
自転車漫画 彼女はきらきらした少女漫画を描いているのではなかった 見た目からは小さくて細くて、そんな類のものが似合いそうなのに、実はかなり熱いスポーツ漫画を青年誌で描いている あれ、女子高生が描いてるなんて世間が知ったら取り上げたりするんだろうなと思いながらも、その辺はしっかりガードされているらしい 駆け出しの新人であるから情報量が少ないだけなのかもしれないが 連載が決まってからも自転車競技部に取材に来るが、連載が決まる前の方が更に凄い勢いで見学していたし、回数も多かった だから、その辺の事情を知る自転車競技部三年は彼女を応援している
「特に尽八なんてこの美形が、あの美形が俺がモデルかもしれんって言ってるぞ」
「バカだなァ」
言われてみれば確かにどことなく似ている人物がいなくもないが、性格が真反対だったり口調が特徴的だったり、小さい部分が似ているだけでそっくりそのまま人物を作りこんでいるとは思わない
「……参考に、してるよ」
「起きてたのかよ、柊チャン」
「ごめん、途中から。ちょっと寝たらすっきりしたー」
すぐ眠れるが、すぐ起きれるのも彼女は自分の長所だと思っている 彼女は元気を少し取り戻して顔を上げた 彼らが何やら気になる話をしていたからだ
「玲良、やっぱり俺ら参考にされてるんだな!」
「うん。東堂はね、キミちゃん」
新開にバキュンを返しながら彼女が言うと彼らは固まった
「「……キミチャン?」」
顔を見合わせて何のことだと言いたげなので、彼女は決定的な爆弾を落とした
「ヒロインのキミちゃん」
「ええーっ!」
嘘だよねと腕を掴んで彼女の体を揺らす新開に制止をかけた 荒北は頭を抱えている、大丈夫か
「あれでしょ、あの遠距離でも応援してる選手に電話をかけ続ける謎ヒロイン。私はないなーって思ってたけど、その健気さが編集さんからすると良いらしくて」
「ま、さか」
結構なダメージだったらしい 言葉がない彼らに彼女は知りたいことではなかったのかと次を口にしようとする
「新開と荒北は、「ストップ!ストップ!」
「ちょっと口閉じとけ」
「自転車競技部はキャラ濃いからね。お世話になってます」
漫画と現実は違うらしい 違うから良いのだと力説されて、彼女はそういうものなのかと納得して頷いた
某漫画ヒロイン反転 きっと部活で東堂が変な目で見られるに一票
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