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□夏の終わりと真波
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「真波くんが変?」


それならいつものことではないかと彼女は縁側でアイスを食べながら疑問符を浮かべた
真波はいつも飄々とした不思議な子だ
夏休みということで、久しぶりにその名前を聞いた気がする


「ああ。インターハイが終わってからだ」


彼女の隣に並んで座ったのは真波の先輩である東堂尽八
若干距離があるが、実家のれっきとしたお隣さんだ
尽八の一番の上の姉とは幼馴染で、幼い頃はよく連れて遊んだ
その彼が高校三年生で、自分が箱根学園の教師という世間一般では気恥ずかしいような関係になっても、その関係は変わることはなかった
学校は学校、プライベートはプライベートと上手く使い分けている
彼女が束の間の夏休みの終わりを実家で過ごしているとき、インターハイを終えてしばらくした尽八が彼女を訪ねて家にやってきた
冷蔵庫に確かもう一つアイスがあったはずだと裸足で廊下に足を滑らせ、台所の冷蔵庫の中を探して、尽八に残り一つのアイスを渡して話を聞いた


「ごめん。インターハイ、一日目しか研修で見に行けていないんだわ。結果は聞いたけれども」

「そうか」

「尽ちゃんは成績結構良かったんじゃないの?」


一日目の山岳リザルト、最終日総合三位
箱根学園のクライマーとして十分役割を果たしていると思うが、その表情は冴えなかった


「……最後にきちんと巻ちゃんと勝負できたのは良かったな」

「何をしょぼくれてるの?私のときだって、箱根学園が全国優勝したのは一度だけ。お兄ちゃんのときも一度。尽ちゃんだって去年一度経験したでしょう?」


王者箱学と言われているのは過去の優勝回数や入賞回数が多いからに他ならない
毎回優勝に辿り着けるほど、ロードレースは甘くない
三年間で一度優勝を経験できるだけでも、環境的に恵まれている


「まあ、悔しいのは分かるけど」


高校最後のインターハイは思い入れが深い
万全の体制、メンバーで臨む
特に今年は三年生の仲が大変よく、下級生だった頃から頭角を現しており期待されていた
それでも、穴があった
真波山岳
あの子を入れたのは選手層が厚い箱根学園では随分と賭けだったに違いない
勝負強さはレースで磨かれる
真波はその経験に乏しい一年生だ


「真波が真面目に練習している」

「良いことね。負けたなら、そうならざるを得ない」


負けて、人は強くなる


「そうだな。ああ、そうだ。本来は喜ぶべきところだが……」

「尽ちゃんは何が気になるの?」


まどろっこしいのは嫌いだ
尽八に直球で疑問を投げかけると、躊躇った様子で不安を口にした


「あいつは、真波は危うくなった気がする」


アイスがぽとりと綺麗に磨かれた縁側の木目の床に落ちた
夏休み前にインターハイが楽しみだと屈託無く笑う真波しか思い浮かばない彼女は尽八の言葉にどうしようもない違和感を感じた


「えっと、今日の欠席は」


そして、まだ蝉の声が聞こえる新学期
朝のホームルームで、席を確認すると全員揃っている
いつも穴があるところが埋まっている
自然にその席の人物に目がいった
真波山岳


「いないわね。一時間目、始業式は体育館だから遅れないように。シューズ忘れないでね。式の後に服装検査あるから、今から直しときなさい。以上、起立、礼!」


新学期特有の騒がしさの中で声を張り上げる
真波がこちらをじっと見つめているのが分かって、汗が背中を流れた
尽八が変なことを相談するからだ
遅刻常習者の真波が朝から大人しく席にいて話を聞いているなど、違和感でしかない
本来はとても喜ぶべきことなのに、素直に思えない


「真波くん」


体育館に一人で向かう背中に声をかけてしまって、彼女は何をしているのだと心の中でため息を吐いた


「柊先生、久しぶりだね。元気だった?」

「ええ。真波くんは」


インターハイ惜しかったわね
インターハイ楽しかった?
また来年があるわ
どれも慰めにしか聞こえなくて、一位と二位の差を知っているだけに重く重く空気がのしかかる


「焼けたわね」


夏でロードレース
日焼けしないわけがない
しかし、真波は元々色が白かったので、余計にそのように思えた
ひと夏で、腕や足が焼けて逞しくなった


「……そうかな」

「そうよ。よく見てたから分かるわ」


真波は問題生徒だから
他の生徒よりも目が向く
夏前の真波はふわふわと不安定で真っ白というのが似合う少年だった
手を伸ばしても、すぐに飛んでしまいそうな決して掴めない風のような子
それがどうだろう
夏が終わった真波は輪郭がはっきりとして筋肉がしっかりとついた青年になっていた
種が落ちて少し根を張って、ここで生きていくと決心したようなそんな感じ
危うい感じは受けない
きっと、尽八の勘違いだ
真波は真っ当に成長している高校生のように見えた


「二学期は遅刻しないように、頑張って」

「柊先生」


彼女は真波の頭を撫でて、職員室に一度戻ってから体育館に行こうと踏み出した
その手を真波に掴まれて、思わずはっとした


「真波、くん」

「俺にインターハイのこと聞かないのは、柊先生だけだよ」

「私は、一日目しか見に行けなかったから」


その場にいなかったのに、真波のことをどうこう言ったり励ましたり褒めたりできる気がしなかった


「知ってる。一日目、山頂にいたよね」

「よく見てるのね」

「その後、いくら探してもいないんだもん。俺、頭が暑さにやられたのかと思った」


ぎりぎりと真波の大きな手が彼女の手を握りこんだ


「真波くん、痛い。離して」

「ごめんなさい」

「真波!」


緩く腕の方に手が回されて、とっさに彼女は大きな声を出した
周りはとっくに始業式に向かっていて生徒はほとんど残っていない


「やっぱり、尽ちゃんの言ったことは……当たってた」


真波は変になっていた
傷つけられそうになったのは彼女なのに、自分が一番傷ついたかのように肩を落として廊下に尻餅をついた
俯いた顔から表情は読み取れない


「私は、それでも」


まだ出会って半年も経たない一生徒
それでも、見捨て置くことはできない


「ちゃんと見てるよ、真波くん。だから、そこから立ち上がってごらん」


真波が自分で立ち上がるしかないのだ
這い上がるしかないのだ
一つの夏が終わり、また夏がやってくる
重い責任を背負って、それでも自由にロードレースで走る真波の姿を今度はきちんと見てあげたい
彼が自覚した、成長した姿を見たい


「あーあ。何を期待してたんだろ、俺」

「たぶん、私が救ってくれることじゃない?無理だからね。自分でおいで」

「厳しいなあ」


真波が吹っ切れたように笑う
ああ、この笑みだ
懐かしい幼い可愛らしさを残した笑顔
自分で立ち上がった真波に彼女もつられて微笑んだ
夏が終わり、また夏がやってくるまで、真波は色々な経験をするだろう
何かするわけではない
ただそこにいて、見守っていけばいいのだ
何の心配もない
彼は強く逞しくなったのだから





真波は書きやすい
不安定さが好き






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