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室内の練習場所に人はほとんどいなかった
数人いた一人が、窓越しに気づいて戸を空けてくれる


「柊先生、ちわッス!」


元気な声
後輩の指導が良いのだろう
一年生のように見えるがしっかりしている
それに比べて、真波は何がどうなったらああなるのか分からない


「練習お疲れさま。真波山岳、呼んでくれる?」

「真波、ですか?」


戸惑った表情の部員に彼女は微笑んだ


「メンバー決めで外に出てる?」

「はい!もし、真波が入れば箱学初一年生レギュラーの誕生ですよ!」


彼女が自転車競技部に好意的なのが分かったのだろう部員は顔を輝かせて話してくれた


「一年生、レギュラー?」


初耳だった
一年生は入学してすぐの夏のインターハイの出場はほとんど不可能だ
箱根学園に入ってからロードを始める者も多い
前例がなく、彼女も実際に聞いても信じられない
真波はそれほど強い選手だったのか
自転車競技者の中でも、一見すると特に細見で見抜けなかった


「最後は何を決めているの?」

「クライマーです。あの、もし良ければ中で待ちますか?もう少ししたら正門にゴールする時間ですから」

「そうね」


彼女は視線で宮原に聞くと首を横に振った
確かに部外者は入りにくい空間だろう


「用事があるの忘れてて……真波くんのこと、お願いしてもいいでしょうか」


青い青い空の下
夏も近く太陽が直接照りつけて暑い
宮原が何かを思っているのを彼女は気づくことはなかった


「遠慮しないで。一応、あなたたちの担任なんだからできることはするわよ。用事あるなら帰った帰った」


宮原には付き合わせて悪いことをした
彼女にとっては宮原も自分の生徒だ
甘えて真波のお守りばかりをさせているわけにもいかない
宮原は彼女に何度もお辞儀をして帰って行った
宮原の姿が見えなくなってから、彼女は懐かしい室内の練習場所に足を踏み入れた
箱根学園の自転車競技部は強豪で有名だ
彼女が生徒のときも三年連続全国大会に出場し、その内一回は全国優勝した
強豪箱根学園にはわざわざ自転車競技部に入るため他県からの志願者もいると聞く
彼らのために抜群の環境が用意されている


「柊先生?」


三年生の顔見知りのマネージャーの生徒が現れてほっとした


「お邪魔しています」

「放課後に寄ってくれるなんて、珍しいですね」

「うちの真波を引き戻すつもりで来たのだけれど、あいにくレースらしいから待たせてもらうね」

「はい。あ、椅子に適当に座っててください」


暑いですからどうぞと選手のために作ったのであろうスポーツドリンクを薄めた水の一部をコップに入れて出してくれる
本当に至れり尽くせりだ
座って飲みながら、壁上にある賞状を懐かしむ
部屋の中央の辺りにあるのが彼女がいた頃のものだ
賞状を掲げるのはマネージャーの仕事の一つだったので、よく覚えている


「あれ、柊先生?どうしてここに?」


レースは無事終わったらしい
結果は真波が勝ったと福富から聞いた
少し疲れていながらも笑顔の真波が部員に混じっている彼女を見つけて寄ってきた
こいつ、さっき騙したこと完全にレースで頭からなくなっているなと彼女は真波の腕を逃げないように掴んだ


「まーなーみー」

「ははっ」

「今日は部活はなしよ。顧問と福富くんに話し付けたから。プリントやってもらうからね」


労力ばっかり無駄にかかるけれども、成果はあまりまだ出てこない
それでも、ふとした瞬間に憎たらしくも可愛いなと思う
疲れているのに、不思議と力が湧いたり頑張ってみたりする


「捕まっちゃったから、仕方ないか」

「教室行くよ、真波」

「はーい」


周りが呆れたように真波に注目の視線を送る
真波はそんなことで動じない
度胸だけは人一倍ある


「で、どうだったの、今日のレースは?」

「生きてるって感じ!」


生きている
当たり前のことをこれほど嬉しそうに言う奇妙な人間を彼女は知らない


「……やっぱり理解できないわ、私」

「インターハイ行くよ、柊先生」

「もう、真似ないの!」


今年は地元箱根でインターハイが開催される
目の前のいい加減な遅刻魔高校生が、期待の新人クライマーとして箱根を走る
普通にしているときは感じさせないロードの才能が真波にはきっとあるのだろう


「頑張りなさいよ」


沢山の人が真波を支えている
彼は知っているのだろうか
彼を心配する幼馴染、応援する同級生、陰で支えるマネージャーやインターハイに選ばれなかった選手がいること
自分も期待している一人であること


「もちろん、楽しみだよ」


天才は感覚が違うと人はよく言うが、一年生なのにインターハイに臆せずに楽しみだと生意気にも口にする真波の頭を彼女は軽く叩いた





真波天使!
絶対敬語が使えない子だと思ってる




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