「……はあ」
「柊先生、お疲れですなあ」
職員室で生徒がいないことを確認して、ようやく隅っこの自分の席で力が抜けた ため息の原因はよく分かっている 分かっているのに改善策がないのが現状だからだ 一息つくと気合を入れ直して、印刷室で刷り上がったプリントを持ってクラスに戻った ため息の原因はこちらを気にする様子もなく平常通り まだ登校すらしておらず、席は空っぽだ 真波山岳 特別に素行が悪い不良ではない 中学校からの申し送り書を見たり保護者から話を聞いたりする限り問題はなさそうな生徒なのだ ただ一点、異常なまでの遅刻や居眠りを除けば 何故そういうことになるのか理由を聞けば、真波本人は曖昧に笑って山に呼ばれるのでなどとよく分からない返答を返してきたので唖然としたのを昨日のことのように覚えている まだ生徒の邪魔をしないだけましだと入学当時に不良の問題児を抱えていた三年生の先生方は言う しかし、その不良の問題児は今では落ち着いて、真面目に授業を受けて熱心に部活動に励んでいるらしい 過ぎたことだから、他人事だから言えるのだ 今、問題を抱えている当人は楽だとは思えない
「宮原さん」
「はい!」
「もし、次の授業に真波くんがこなかったらプリント預かってもらえない?今日中に仕上げるってことで、他の先生方には手を打ったから」
「あ、ありがとうございます!」
あなたが感謝することじゃないのだけれども、と言いかけたが止めた 彼女は真波と幼馴染で、本当に真波のことを心配しているように思えた 若いって青春でいいなあとも思う ただ真波はおすすめしない 悪い子ではないが、難点が多くて将来的にも苦労しそうだ 関係ない関係ないと自分に言い聞かせて、チャイムと同時にチョークを持った
「真波くん」
「あ、柊先生」
「あ、じゃないでしょ。あなた、これから部活?」
自転車競技部 廊下でシャツからユニフォームに着替えようとしている不格好な真波を見つけて呆れた 今日初めて会うのに、大遅刻を悪びれる様子もなく相変わらず人懐っこい笑みを浮かべている 部活動にもろくろく参加していないと聞いていたが、そうでもなさそうだ
「はい。ちょっと大事なレースがあって」
「今の時期はインターハイのメンバー決めでしょう」
「え?」
何で知っているのだろうと言いたげに真波は首を傾げた もちろん、よく知っている 真波は知らないだろうが、実は箱根学園の卒業生であり、例の自転車競技部のマネージャーでもあった自分には知りすぎていることだった 今は長年お世話になっている顧問の先生に頼まれて名前だけ副顧問として貸して、たまに差し入れと様子を見に行くこともある 担任として真波が自転車競技部に所属していることも把握していた
「柊先生、よく知ってますね」
「ええ、まあね。プリントは終わったの?」
「はい!」
「そう、じゃあ行くといいわ」
一年生でも手伝いがあるのだろう 授業もまともに出ないのに、部活ばかりしてという小言は親の言うことだ 課題をきちんとこなせていれば、咎めはしない 願わくは今よりも遅刻と居眠りが改善されることを祈っている
「さよなら、先生っ!」
廊下を早足で歩いていく真波の後ろ姿にを見送っていると、廊下と階段をばたばたと走る音がした
「廊下と階段は走らない!」
踊り場で下りてくる生徒を叱る その顔は見慣れた生徒の顔で少し面食らった
「柊先生!山岳、真波くん見ませんでしたか!?」
「宮原さん。部活行くって言ってたわよ」
「プリント全然終わってないのに!……これ全部終わらさなきゃ、まずいですよね?」
彼女が大量のプリントの束を抱えて震えているのを見て、急いだ様子の真波の何か含みのある笑みを思い出した
「……してやられた!」
とっさに真波が嘘をつくとは思わなかったので、出し抜かれたと分かって悔しくなった 教師を一体何だと思っているのだ こうなったらこちらも強硬手段だと彼女の手を握った
「部活に乗りこみましょう」
「え?先生、ちょっと!」
学校にいるのだから、逃げられないようにすればいいだけの話 今のうちから真波には見縊られないように、きっちりと叱っておく必要がある 他教師の手前、今日プリントを終わらせなければという面子もある 自然と大股で足が行き慣れた場所に進んだ
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