兵鳳−つわものあげは−

□玖 狐の恩返し
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その少女は、恍惚とした表情で笛の音に聴き入っていた。

凜と澄んだものがあって、それでいて温かで。例えるなら、雪解け水が流れる、初春の清流。
…この人の笛は、本当に美しい。天女にでも教わったのだろうか。

笛を吹いていた青年が、少女に気付いた。

「おや、光風じゃないか。どうした?」
「どうって…。義経兄様の笛を聞いていました。兄様の笛、とっても素敵なんですもの」

素直なその言葉に、青年――義経は嬉しそうに微笑んだ。

「そうか。そう言ってくれると、嬉しいな。――そなたも、吹いてみないか」
「えっ。わたしに、吹けるでしょうか…?」
「ものは試しだ。やってみるといい」

義経は、笛の吹口を布で拭き、綺麗にして差し出す。

「…はいっ」

迷っていたようだったが、光風は差し出された笛を受け取った。
怖ず怖ずと、口元に当てる。

「そうだ。吹いて御覧」

…すふー。すふー。

出た音は、音色とは言えない空気が流れる音だった。

「……」
「始めは皆そういうものだ。練習するうちに音も出るようになる」

がっかりした様子の光風を、義経は笑って慰めた。

「その笛は光風にくれるから、頑張って練習して御覧」


◆◇◆


「…ない」

散らかった部屋で、光風が呟く。
行李(こうり)がひっくり返してあったり、小物が床に散乱していたりなど、かなり探した後がうかがえる。

「……」

あれは大切な物なのに。

「…どうした」
「っ!?」

背後からの声に驚いて振り向く。
延寿――俊孝が部屋の入口に立っていた。

「延寿こそどうしたの?」
「光風の部屋の方からどたどたと騒がしい音がするものだから、気になって見に来てみたんだが…」

部屋の惨状に目を向け、俊孝は言葉を紡ぐ。

「…これは…どうしたんだ?」
「……あの、その…」

光風は目を泳がせる。
その様子に、俊孝は一旦息をつくと、部屋に足を踏み入れる。
散乱する物を踏まないように注意しながら。

「…探し物か?なら」
「だ、大丈夫!散々探したのだけど見つからないってだけで、その…」
「何をなくした?」
「…笛が、ないの」
「笛?」
「ええ。義経兄様に貰った物なのだけれど…それが、どの荷物にも入っていないの」

今までいた苑部の別邸に置いていた生活必需品等は、使用人達に持って来させたのだが、荷造りの時に見落としたか、持って来る時に誤って落としてしまったのであろう。


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