深夜、榛蘇芳は膨大な仕事の山を前に、府庫にこもっていた。
「あー、うざい」
「はい?」
残業中の彼を待っていた静蘭が何の気無しに振り返れば、蘇芳は髪を解いたり結んだりを繰り返している。長雨で湿った空気のせいか、なかなか髪が纏まらないらしい。
「タンタン君、お仕事して下さい」
「でも髪がすぐ解けるんだよ」
「仕方ないですねぇ。じゃあ私が結んで差し上げます」
その言葉に、蘇芳は咥えていた髪紐を落としそうになった。え?今なんつった?という声は完全無視で、静蘭は蘇芳の背後に回る。
「…なに企んでる?」
「失礼ですね。仕事の邪魔にならないように結ってあげるだけです」
そういって蘇芳の髪に触れる手は酷く優しい。繊細な指先が動き、髪をひとまとめにしていく。
その手慣れた手つきに、蘇芳は目を丸くした。
「慣れてんな」
「お嬢様が小さい頃、よく結んであげましたから。ご要望があれば編み込みもできますよ?」
「遠慮しときます…」
にこにこと微笑む静蘭に、身体を縮めて、蘇芳は書類に筆を走らせる。
夜明けが、近い。
手近なお茶で喉を潤した蘇芳は「髪切るかなあ」と呟いた。
「長いと手入れもめんどくさいし。困んない程度にばっさり切ろうかな」
「ふ、それは駄目ですよ」
「え、なんで」
そう聞いた蘇芳の後ろ髪をグイッと掴むと、静蘭はあっさりと唇を奪う。恋人同士の接吻からは程遠い、荒々しい口づけ。
唇が離れたとき、蘇芳の呼吸は乱れまくって、そんな恋人に静蘭は不敵に笑うと、
「行為中に、貴方の髪が顔に落ちてくる感触が好きなんです」
と、肩を竦めた。
蘇芳はもうツッコむ気力も失せてガクッと肩を落とす。あんたの頭はそればっかだな!
「…マジで切ろうかな」
本気でそう思った。しかし、静蘭は蘇芳に後ろから抱き着くと、ご機嫌に笑う。
「ふふ、そのときは鬘を被って我慢するだけです」
「我慢するの俺だろ、それ!!だいたい、今日だってもうヤる元気残ってないから!!」
この仕事が片付いたら、すぐにでも自宅に帰って寝台に身を投げ出したいくらいなのだ。健全な性生活を送る以前に、そのための体力が残っていない。
その言葉に、「やれやれ」と静蘭は肩を竦める。
「何を言っているんですか、タンタン君。お疲れのときこそ"疲れ魔羅"といって、バッチリ臨戦体制なんですよ。一回で終わりなんて素っ気ないこと言わないで、たまには長期戦で私を満足させて下さい」
何ならタンタン君の大好きな紅色草子も用意しますよ、と、小道具の提案までされて、蘇芳は額を押さえた。
たまには女装などもいいかもしれませんねぇ、と、蘇芳の恋人は呑気に笑っているが、もしかしなくても女物の着物を身に纏うのは俺じゃないか!?
「…あんたもうどっか行かない?」
疲れ切った目許はすっかり据わっている。
目の前にこんなに書類が溜まってるというのに、ヤるだのヤらないだの。
何だかこんな時間まで仕事してることが無性に悲しくなって、泣けてきた。そんな蘇芳の心中を察したのか、静蘭はそっとその背中を撫で摩る。
「大丈夫ですよ、タンタン君。心配しないで下さい」
「わかってくれるか、タケノコ家人…」
「ええ。タンタン君なら女装しても絶対綺麗ですよ」
「そっちかよ!!!」
流石の蘇芳もたまり兼ねて、ばっと立ち上がると「俺は忙しいの!!」と、ギャンギャンと叫び散らした。
「この仕事が終わらないことには、あんたをひっくり返してズッコンバコンできないの!!ちょっとは待って」
くれよ、と、言いかけた蘇芳の頬に静蘭の拳がめり込む。何故自分が殴られたのか分からない蘇芳に、「お下品ですよ?」と、ニッコリ笑った静蘭の瞳のなんともまあ酷薄なこと。
あの、タケノコ家人さん…さっきまで魔羅とか大声で言っていませんでした?
しかし、蘇芳に自由な発言は許されない。
ふ、と、唇の端に微笑を浮かべると、「まあ今日のところは勘弁してあげます」と、静蘭は傲慢にのたまう。
「仕方ないから退散しますよ。……これは差し入れです」
そう去り際にぶっきらぼうに突き出された小袋に、蘇芳は目を見張った。
仕事中の恋人に差し入れだなんて、可愛いところもあるじゃないか。
もしかすると自分は彼の嗜虐的で横暴な一面にばかりに捕われて、本当の姿を見落としていたのかもしれない。
府庫を出た彼を追いかけて、慌てて廊下に出るが、既にその姿はなかった。
悪いことをしてしまったな、と、反省しながら、興味津々に袋の中身を覗き込んだ蘇芳は、がくりと肩を落とす。
…蘇芳の恋人は、横暴にして嗜虐的。それでいて絶対的な支配者なのだ。
「ターケーノーコー……」
袋の中には、数本の蝋燭。同封された紙切れには『そういう用途の蝋燭なので火傷の失敗はありません。安心して練習して下さい』と、綺麗に整った文字で書き記されてあった。
蘇芳はゆっくりと蝋燭を袋に戻すと、丁寧に封を閉じる…。
それがどういう用途の蝋燭なのか、はたまた、それを使うのが自分なのかあちらなのか……もはや考えることを放棄して、書類の山に向き合った。
とりあえず、彼が蝋燭以上の暴挙に及ぶ前に、山積した仕事を片付けようと決意して、「蝋燭はナイ…蝋燭はナイ…」とうわごとのように繰り返した。
なんたって最強
(でもそんな私にぞっこんなんですよね、タンタン君?)
END
蘇芳×静蘭
題名を「嫁が最強なんですがどうすればいいですか?」にするか本気で悩んだという…(笑)
「静タン静で、タンタンが静蘭に対して『あ、ちょっといい奴かも?』とか『天使かも?(笑)』とか、魅力的に一瞬だけ思うものの、そのあと『やっぱり勘違いだった…』と落胆する話」とのリクエストをいただきました。
書いてて凄く楽しかったです!!素敵なリクをありがとうございます。
リクエスト下さった方のみお持ち帰り下さい。