エリーゼ宮は優雅ではあるが、華美ではない。しかし、所有者の趣味の良さが分かる、素晴らしいたたずまいだった。
その薔薇園で微笑むユーフェミアは、さながら春の妖精のようで、ジノは目を細める。
彼女の持つ可憐で清楚な雰囲気は、このエリーゼ宮にふさわしい。その白い顔には、初花が咲きこぼれるような愛らしさを湛えていた。
その彼女が足を運ぶエリア11は、内部制圧がままならず、衛生エリアへの昇格も危ぶまれている激戦区だ。
先頃は彼女の兄、クロヴィス・ラ・ブリタニアが何者かの手に入っよって暗殺されたばかりである。
おっとりとした性格のユーフェミアが、戦いの渦の中で上手くやっていけるとは到底思えない。
しかし、彼女はやはり穏やかな表情を浮かべて、
「私にできることを精一杯やるだけです」
と、花咲くように微笑んだ。
思いがけない事態を前に、戸惑っているのはジノの方だった。
しぜんと険しくなっていく眼の光を悟られまいとして、ジノはユーフェミアの瞳を避けることしか出来ない。私の手から、ますます遠くへ行ってしまうのだ。
あがいてもあがいてもぬけだせない渦に巻き込まれ、息も詰まりそうになったとき、
「ジノ」
と、優しい声が耳に届いた。
顔を上げたとき、そこには悪戯っぽい微笑を浮かべたユーフェミアがいた。
「…私、次にジノに会うとき、恥ずかしくないように頑張ります」
「え」
「お姉様から聞きました。ジノが、皇帝陛下の御前で馬上試合に優勝したと。騎士の名前を授かる日も近いだろう、って。…ずっと一緒だったのに、悔しいじゃありませんか」
一緒に野原を駆け回っていたのに、と、頬を膨らませた彼女は、ジノがよく見知っている少女だった。
その子供っぽい仕種に、ジノは思わず笑みを零してしまった。
「…そんなに力まないで下さい。ユーフェミア様が失職しても困らないように、貴方一人養えるような立派な男になって、お待ちしています」
「まあ、私、ちょっとやそっとのことじゃ帰ってきたりしません!自分に出来ることを、精一杯頑張ります。立派な皇女になるのは私の方です!」
ジノは黙って笑っている。
彼女には敵わない…。
心底そう思って…、出国の支度のために立ち去ろうとしたユーフェミアの背中に、
「ユーフェミア様」
と、声を掛けた。
「貴方が本当にお辛くて、もうどうにもならなくなったら、私が妻問いしますよ」
だから、気負わないでいい、と、告げた言葉は、ジノなりの愛の告白だった。
けれど、ユーフェミアはいつもの軽口と判断したらしい。
にっこりと天使のような微笑を浮かべると、
「ありがとう。ジノはやっぱり優しいのね」
と、その場を去った。
視界から遠ざかる、薄紅色のドレス。揺れる巻き毛。
なんとまあ一方通行な、幼い恋。
それは騎士が貴婦人にささげた愛だったのか。否、違う。そんな美しいものではない。
騎士たちの愛は報われることが決してなかった。
彼らにとって、恋愛とは自らに試練を課し、精神を高めていく行為なのだ。
ジノが愛した女性は、ブリタニア帝国第三皇女ではない、草原を裸足で無邪気に駆け回っていたユーフェミアという名前の少女だった。
中世の騎士的な忠愛などではなく、彼女の白い華奢な指先に、そっと自分の指を絡めたかった。
その小さな唇に、親愛のしるしではない、大人のキスを施したかった。
望めば手に入ったかもしれない恋。
けれど、彼女にとって、ジノは良いお友達で、気を許せる相手で、その信頼を裏切ることはどうしても出来なかった。
(ありがとう、ジノ)
色とりどりの薔薇の花束に顔を埋めて、そう微笑んだ少女。
涙が出そうなほどに純粋な、まっすぐな親愛の情。
それだけでいい、それだけでいいのだと初めて思えた、最愛の女性だった。
(初恋は叶わない、って、本当なんだな)
あれから一年が過ぎた。
ジノは帝国最強の騎士にその名を連ね、彼女と言えば、相変わらず優しい理想をエリア11でも掲げ、世界中の注目を集めていた。
よりによって植民地の少年を専任騎士に迎え、ブリタニア帝国の支配を受けない行政区域を日本国内に作る。
その宣言は、本国の基本政策とは大きく異なっていて、お偉方は苦り切った顔をしていた。
御人形は御人形らしくしておけばいい、と、悪意に満ちた言葉に、ジノはそっと視線を伏せて…、微笑んだ。
しきたりや慣例に従って生きていくことが馬鹿らしくなるほど、彼女という人は常識を突き破る。
ジノとて、彼女の思想や生き方を全て受け入れられるわけではない。いっそ愚直と思うときさえある。
ただ、そのひたむきな生き方が眩しくて、そして彼女の愛情を一身に受ける騎士が羨ましくて、彼は息をついた。
(貴方は、貴方のたった一人を見付けたのですね、ユーフェミア)
ジノは、そのたった一人になれなかったけれど、何故だか心は満たされていた。
「…ジノ、思い出し笑い。気持ち悪い」
「…うるさいなあ、アーニャ!感傷にくらいゆっくり浸らせてくれよ」
皇居に向かう車の中、同僚の手厳しい言葉に、ジノは苦笑を浮かべる。
備え付けのモニターには、エリア11で今まさに華やかに開かれているセレモニーが映し出されていた。
彼女の理想とするユートピア。そのお披露目の式に、代表者であるユーフェミアは、奥に引っ込んだまま姿を見せない。
と、そこで、画面に現れた少女の姿に、ブラウン管越しにも式典の参加者の熱気が伝わった。
翻る薄紅色のドレス。薄紅色にふちどられた白い顔は愛らしい微笑が浮かび、幸せに陶酔している。
『……日本人を名乗る全ての皆さんに、お願いがあります!』
そこでジノはモニターのスイッチをオフにした。
そっと瞼を綴じて、次に顔を上げたとき、ジノはとても満ち足りた表情を浮かべていた。
ユーフェミアの理想は一歩間違えば危険思想だ。
全ての人間に優しく、だなんて、皇帝にでもならないかぎり不可能に決まっていた。
しかし、彼女は恥じ入ることも恐れることもなく、自分にとって一番大切なことを声にした。
その勇気に、ジノは胸を打たれながら、自分自身がそう在れないことに深い空しさを覚えている。だからこそ、彼女の理想が実現されることを願わずにはいられないのだ。
「…ジノ、テレビ」
「もう宮廷に着いたんだからおしまい!ほら、行くぞ!」
けれど、宮廷の車寄せで車から降りたジノは、電源を落とす間際、モニターに映し出された少女の微笑の異変を、見落としていた。
ぱっちりとした瞳に、こぼれるような微笑を湛えていた少女。
その顔が筋をこわばらせ、目を据えていたことに、ジノは気付いていなかった。
その頬にはまぎれもなく笑顔が浮かんでいた。
だが、天使のような愛くるしい顔に滲んだ奇妙な笑みに、その瞳に浮かんだ絶望の赤色に、誰一人として気づくことはなかった。
…のちにブラックリベリオンと呼ばれる、ブリタニア国外最大の反乱を引き起こすこととなる、十二月十日。
日本国民の期待を一身に受けていた慈愛の皇女は、突如として心神喪失に陥り、その理想に賛同した者たちを無抵抗のまま虐殺した。
十二月の灰色の空の下で始まった大虐殺は、日が暮れるまでにすっかり片付いてしまい、ユーフェミアは冷たい亡きがらとなって発見された。
が、彼女を焼く憎しみの炎はこのブリタニア帝国からあまりに遠い。そして、ジノが事態を知ったとき、ユーフェミアは、その炎に身を投じてしまったあとだった。
ユーフェミアの最期を知ったとき、ジノの頭には様々な思いが駆け巡る。
腹立たしさと、悔いと懐疑心と…。
けれど今、ジノの胸はユーフェミアの理想の去就に満ち足りていた。
エリーゼ宮の美しい薔薇園で、無邪気に恋していた、幼い二人。
ユーフェミアの最期を知ったとき、自分たちの恋はあの花園で結末を迎えていたのだと、ジノは理解するのだ。
ただ、愛だった
(彼女は美しい、夢の中を生きる人でした)
END
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ジノユフィ
な、何と言う捏造…。
捏造ではありますが、スザユフィとは違う、深い悲しみがあります。
リクエスト下さった方、ありがとうございました!!